見出し画像

秋が変容をうながしている

最近、頭痛やだるさ、なんか調子出ない人が多いらしい。

私も先週、くしゃみと鼻水の乱発止まらず、声も出ないし頭もボーッとするので、昼まで様子をみたあと仕事の訪問をキャンセルさせていただいた。

翌日に健康診断で、尿に出血(私は子宮全摘出している)とタンパクが降りており「や、疲れてるネ」と思っていたら、胃のX線で飲んだバリウムが排泄されずに、次の日は大変な思いをした。
冷や汗をかきながら洗面所で生き倒れていて、一歩も動けなかった。胃腸に負担がかかっていたと思う。

腸が弱ると、なんとなく動きが緩慢になる。
身体が重い。
なるべく仕事を最小限にして、身体に配慮をしなければ、状態を戻すまでに大変な時間を要することになるので、自戒しなければと思っている。

週末は身体を休めて、映画を3本みたし、人気を博していると聞いた『虹プロジェクト』も見てみた。私はエンタメに興味はないが、社会現象には興味津々だ。

日曜の夜勤明けに上の娘が1泊で帰省したので、なんとか部屋の家具移動をした。(リフォームで娘の部屋をあけてもらうため)

翌日の仕事帰りに美容院へ行った。
私は髪の毛が多いようで、美容師さんは大抵私の髪を少なくしたがる。
大袈裟のように思うかも知れないが、(私も冗談にしたい)本当に、私の髪の毛を切りたくなる人が多すぎる。

見た目、髪の質、喋っている雰囲気から、『もっと軽くしたい!』という美容師のバランス感覚の本能を掻き立てるのだろうか。

しかし私の髪の毛はおおきなうねりのある癖毛が隠れているので、髪の毛の内部を鋤かれてしまうと急に癖が現れて横に広がるのだ。
何度も泣きをみている。

いつも内側の癖毛との戦いで、使うシャンプーやトリートメント、カットの仕方には大変注意している。一歩間違うと知らぬ間に、対処の効かない反乱を起こすクセものだ。

そこでも充分に脅かしたつもりが、楽しくなんやかやお喋りしているうちに気が緩んだのだろう、『1センチ』と言っていたクセに、肩についていたボブカットが結構なショートボブになっていた。

美容師さんの想いがもろに注入されてしまった(私のことをより良くしたくなったのだろう)

カットのあと、美容師さんも『癖がでないか心配』と恐縮していた。

そりゃないでしょ、と冗談みたいだが
仕方がない。
というか、私の感情はスローなのでその時は『美容師さんとの空間』に沿った自分にカメレオン化しているので、ほぼ何も思わない。

時間がたって、『あれー?ショートになってるやん』とかなり軽くなった頭にやっと違和感をもつ。『後ろでまとめれない』ことを実感して『またもや大幅に鋤かれてしまった』『広がらないようケアをおこなわなければ~』と気づき、あとのまつりだ。

夢をみた。
ヘラヘラしたおっちゃんだ。
俺に害はないよとアピールしている。楽しそうだ。やってやろうとワクワクしている。新たな技に挑戦するから見ていてよ。というように正面から奇妙な勢いをつけて両手で私の胸を触る。

私は右胸の脇がビリビリと痛んだ。触られて「痛い…」と呻く。
すると親切心を前面にして内心の悦びを洩らしながら「痛い筈がない」とまた触ろうとする。

痛いのに、こんなに痛いのにと、(私はリアルな夢を見るのでほんまに痛くて嫌だった)
私はその痛みをわかってもらいたい一心になった。

おっちゃんには通じない(よけい確かめようと触る)ことに、よけい苦しくて泣きそうだった。

目を覚ます。
トイレに行ってまた布団に潜りこんでから

…そうか!と気づく。

夢を巻き戻して『いたい…』じゃない『やめて』とおっちゃんに強く言ってみる。
すると
弱いものに強いだけのおっちゃんは、簡単に引いた。あの単細胞には『痛い』は通じない。
痛いと『やめて』は違うのだ。

ああ…これだったんだ……

私は布団のなかで目の洗われる思いがした。
そこだったんだ…と
私は言葉の変換ができない。
嫌なことを心で『痛み』にして、それを自覚出来にくくしている。

自分自身が日常生活で使っている言葉の選択の偏りを思った。

私は拒絶や批判、否定の感情を現すのが極端に苦手だ。
そういう言葉の学習じたい(体感における学習)が遅れていると言える。

コミュニケーション能力が高くて、大概やんわりとかわす事ができるが、夢のおっちゃんのように思い込みが激しい状況下には通用しない。

通用しないとき、大変困る。
通じない相手には、相手に合わす、味方になる、そして許してもらう
そのようなやり方以外の有効策を、私はほとんど持ち合わせていない。

基本的な土台構造が『自分が悪い』という作りをしているので、なにか自分の意に沿わぬことが起きても、見方を変えて、解釈をしなおして納得することで自分の思いを抑え込むことが自然だ。

夢のおっちゃんも、『悪い人ではない』ということがまずトップ項目で脳内に点滅しており『私と仲良く遊びたいという気持ちを持つ』ことが前提(という解釈を起こしている)なので『気のいい憎めないしょーもない奴』という夢の現場設定だった。

嫌なことをハッキリ言うことができない、そういう自分を『嫌われる勇気がない』『NOの言えない性格』なのか、そういうことなのか、と(いや違うそれとは違うと思いつつ)薄いもやのなかでくるみ、結局『拒否できない弱さ』を責める。

やっと、体感的に『自分を責めていては何も解決出来ない』ということが解っているので(いやこの道のりは長かった)責め癖から距離をおく。

私には、問題を外在化することが大変重要なのだ。

『問題』を『自分の中』からいったん出して
『自分のせいではない』とするのだ。

この作業をしてからでないと、出口ルートに行けない。

『すべては自分が作り出している観念』に過ぎないのだけれど、回り道が必須だ。

今回は、最近知った『体癖』で外在化する。

私は『体癖』の4種だ。私の身体のタイプは自分を抑えて出さないタイプなんだそうだ。転換や発散がうまくいかないらしい。

私の心の問題ではなく、身体の問題なのだ。どうしようもないではないか。

まず責任を手放して、それから、自分をあらためて観る。

すると、案外めっちゃ言えるようになっていることが解る。

私の下の娘も同じ4種の体癖で、彼女を見ると発散、転換がマジで苦手そうだ。生真面目で胃腸が弱い。自分責めの宝庫だ。(長女は3種)

私は彼女より倍の時間を社会で生きてきたが、体感的には四倍くらい、物言う口を育てており立派な大阪のおばちゃんに成長している。

いやいやいや
言うやん、自分、結構なんやかや文句言えるやん。いつも言いたいこと言うてるしな!

そうだった、
夢はただ夢だった。
かつての自分に重なった気がしただけだ。
いまは髪の毛だって、ほんまに結果が嫌なら美容師さんに言わずに居られないだろう。

私の平和的かつ建設的な解決方法は、『私ってこんな風に悪い面がある』という方向にフォーカスしだした時には、ゆっくり段階を踏んで、悪いと思ったことを『勘違い』で処理することだ。

なにかの欠落(足りなさ。ここでは自分の思いを言えないこと)に気づくと『改善しよう』とか『治そう』とか思って、少しずつでも努力しようとしたくなる。

いや、ヒジョーに、したくなる。
修行とか自己研鑽がしたくなる。

けれど、それでは解決できない。
思考の一人相撲をとるばかり。
実際にはその場をぐるぐる回るだけ。


出来る、やればできる、とつい大きな勘違いをしてしまうのだ。欠乏からの成長を夢見るドーパミンが出ているだけなのだ。

欠乏を感じていること、それ自体が勘違いなのだ。

思考ゲームに入らないこと。

どうやら、体調が不安定だ。
だから、ネガティブをわざわざ引っ張り出す。

落として、上げたいのだ。
(身体が心を利用している)

しかし

はじめから私に問題は存在しない。
存在しないことを自分に気付かせる。

いま、ここで完璧。
振り回されない。

人間は慢性欠乏症なので、だからこそ進化しているのだけれど、心は振り回されてしまいがちだ。

とくに、映画やエンタメを見たあとは、心や思考はだいぶんとかき回されることになる。

変化の秋だ。
薔薇の枝も一本、色が変わって枯れそうだ。

植物でも夏からの変容を余儀なくされ、再生へと一旦回り道をしている。

刺激と安らぎとをうまく合わせて、楽しく自分らしく過ごしたい。

長い文章となりました。
ここまで読んでくださったあなたにも、穏やかな優しい変容の季節でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?