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女性性が先にゆく

暑いけれど、どうしても自宅ではクーラーが体に合わなくて、朝から(家をでている)娘の部屋の北側の窓辺で避暑している。

北側に椅子を向けて、ひざの高さの窓枠にコーヒーをおいて、ボンヤリと眼下の車や人の往来を眺める。

日傘を差した、ポッテリしたおばちゃんが歩道を歩いていたが、おばちゃんはあわてて日傘を揺らして駆け出した。車が左折しようとしたのだ。
おばちゃんが走り抜けたあと車はスイーッと曲がった。

車を見て駆け出したときに、私は『おばちゃん、暑いのに走らんでいいんやで!』と脳内で声をあげた。
坂道を登ってきたおばちゃんについ感情移入してしまった。

以前、こんな記事を読んだことがある。

この頃は、歩行者が通るのを停車して待っているあいだ、当然のように目の前をゆっくり歩く者が多くなった。以前なら、車のほうへ会釈をして小走りに駆けたものだ、と。

そうやって最近の歩行者の配慮のなさ、謙遜の薄れを嘆いていた。

イギリスでは、運転免許取得のおりには、歩行者の安全を守ることを徹底して厳しく叩き込まれるらしい。
横断歩道では歩行者の渡る前から、わたりきる後まで、絶対に車は動かない(らしい)

日本では、青信号で歩き出した歩行者が目の前にさえ居なければ、車は進む。
なんなら、注意を促すためににプッと短いクラクションを鳴らして歩行者の足を止めてから、先に通る車もいる。

どんだけ先を急いでるねん
どんだけせっかちやねん

しかし私は、日本人は歩行者のことよりも、後続車を恐れているのかと思っていた(自分がそうだから)

後続の車に『チッ早く行けよ!トロイな』と思われるのが怖いので、つい、スキを見て曲がろうとしてしまう、と思っていた(少なくとも私はそういう恐怖感が染み付いている)

しかし、今朝はおばちゃんをみて、また違う風に思った。

現在においても日本人男性(日本社会全体)は、ほとんどがモラハラ気質だ。
モラハラとは「自覚なく従わせる」って感じの意味。

たとえば、欧州に住む日本人女性の話で
現地では子連れで空港まで行くのは、大変楽チンだそう。
街を歩いていたら、飛行機に乗るまで何人も男性に声をかけられる。それは女性が一人で荷物を持ってベビーカーを押している!ので、手助けを申し出る男性が数珠繋ぎに次々と現れ(発見されたら小走りに寄ってくる)時には二人三人でもってエスコートをしてくれるので、移動に苦労がない。
けれど飛行機に乗って日本に到着したとたん、空港でも電車でも街でもまさか荷物を持ちましょうと声をかける男性どころか、邪魔だなとか早くしろという視線で気を使い、日本に着いてからは子連れの移動って大変すぎるよヘトヘトになる、というエピソードを聞いた。

道徳的に、さも『教えている』かのように、女性はこうするべきだ、と考えている男性、そして女性が日本にはとんでもなく多い。

女は料理できたほうがいいとか、部屋は片付いているほうがいいとか、タバコは吸わないほうがいいとか、自然と無自覚に思う。

男性には思わないが、女性には『え、バック持ってないの?じゃあハンカチも持ってないの?』と私たちは思ってしまう。

だから、お母さんは働いていても子育ても家事もするのが当然なんだ。
お父さんもお母さんも働いていてるのに、お父さんばっかり家事や子育て(幼稚園への連絡とか巾着縫いとか)をしていたら、オカシく思っちゃう社会なのだ。

欧州の『女性に親切にしないとカッコ悪イ~!』という価値観ではなくて『男は黙って女子供を従わせるのがカッコいい!』という価値観なのだ。

男性の社会でもそれは同じで、威張ることがカッコいいので、間違いへの非難や指摘が(要らぬマウンティングで)おおくなってしまい、そしてその結果、防御だらけのシステムになる。

すすまねえ~…日本、だからすすまねえ~

2年くらい前に会った兄に『これからは女性の時代』と言うと『うっわー、いっややなあ~!』と物凄く嫌そうに言っていた。

嫌だと言うのは、女が強くなると女の尻に敷かれるイメージだからだと思う。女は喋るし感情的でワガママで論理的でなくて、ヒステリックで、やりこめられる…というイメージがあるのだ。

違う違う(ヾ(´・ω・`)

いや、違わないけど、そこを乗り越えられるのが、女なのだとおもう。

私が感じるのは、抑制されてきた怒りが溜まっているのが無自覚なストレスの原因だということ。

抑圧された組織にイジメが発生する仕組みと同じ。

先人をみて、社会をみて、『しなきゃいけない』という役割があって、でも実のところは役割にはまらずもっと個性それぞれだから妙に納得いかないのに
全体的な無言の抑制に従い、私たちは潜在的に怒りがたまる。そしてモラハラは循環する。

それは男も女も一緒だけれど、まずは女が解消するべきなんだ。

なんでかって言うと、女は男よりもそれが簡単に出来るから。

ひとつの愛を感じるだけで、四方八方に愛を振り撒けるのは女性の性の感覚かなとおもう。


男性にも女性性をしっかり持っている人は山盛り居るだろうけど、社会的に女性性そのものが歓迎されてこなかった土壌があるから(富国強兵や高度成長は男性性が優位でないと成し遂げられなかった)

どうしても『性別、女性』の方が女性性の母数が多いので先行するのは女となる。
(男性性が強い女性も山盛りいるけど!笑)

戦いは、おわり
経済成長して
インフラが整い

人間は安全に暮らせるようになった。
男性の皆さんありがとう
それを、支えてくれた女性の皆さんありがとう。

では、つぎは、心の豊かさやね。つまり愛やね。

女性から
怒りをさっさと手放そう、先に愛そう。
甘えることも愛だとおもうのだ。

おばちゃんが車を見て駆けるのも
私が後続車を恐れてしまうのも
気遣いには違いないんだけど
走らなくてもいい、焦らなくてもいいって思わないと、心から人にも同じように思えない。

甘えることができて、それでもいい、自分は許して愛して貰えると確信したら、自分も甘えを許すことができる。

人に甘えさせることが出来ても、自分は甘えられないようなら、これまた抑制のうちだと思う。

仕事でよく見かけるのだけど、人の世話は平気でするのに、世話はされたくない女性の多いこと!

私は母親と重ねてしまって、可哀想になってしまう。ここらへん、まだそう見てしまうことが自分の課題だと思ってる。

私は女性がめっちゃ好きだから、女性寄りのお話になった。

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