助け合う関係

我が家は昔からインコを育てていました。時々、リスになったり、別の動物になったりもしたけど、ずっとインコを育てていました。

20代で私がとある病に罹患し、何故か母親から相談もなく突然「育てろ」とセキセイインコの雛を渡されました。世話を雛からしたことがないから慣れなくて、しかも自分の病の治療でもイッパイイッパイで入院が必要になりそうなほどでした。

見かねた父が、仕事が休みの時だけ手を貸してくれるようになり、なんとか成長したものの母親が逃がしてしまいました…。

あまりのショックで病が重くなり、主治医先生も親を静かに責めるしかなかったようでした。それでも母親は自分の犯した罪(小さな動物とはいえ、命に関わることです)に知らぬふりをして、今度はオカメインコの雛を押しつけてきました。

さすがに命を軽視した行動が許せなかったけど、もうお店に返せないからということで、また自分の命を削るように雛を育て始めました。

そんな折り、突然アメリカ在住の叔母宅へ三ヶ月追いやられることになり、オカメインコは父が面倒を見てくれることになったけれど、私の治療が中断させられるので、主治医先生もため息を吐いていました。

帰国してから父が言うには、「ほとんど小屋から出てこなかった」とのこと。私がいると、私の部屋に来て一緒に遊んでいたのに。

それから数年後、私の病が重くなり危篤状態になりました。看護師さんから「あと少し運ばれてくるのが遅かったら助かってなかった」とのこと。またもや母親の判断だったらしいけれど…退院まで一月かかり、筋肉も体重も落ちて雲の上を歩いているようなフワフワした歩き方で、帰宅することになりました。

オカメインコはじっと私の顔を見つめ、うーんと伸びをするように体を伸ばしてから、私のところへやって来ました。やはり一度も小屋から出てこなかったと。父が小屋を開けても、エサで誘き寄せようとしても、頑として出てこなかったという話を聞いて、「私が二度と帰って来なかったら、どうするつもりだったんだろう」そう考えながら、またオカメインコの世話が出来ることに喜びを感じました。

オカメインコの他にも、ご近所さんから「代わりに育ててほしい」とやって来た、セキセイインコとボタンインコがいました。それまでの間、事故で落鳥した辛い別れもありました。

育てることの責任感や難しさ。弱い立場の彼らをメインに、生活スタイルを変えていく必要性など、自分に出来ることを行動に移していきました。ボタンインコが半身不随で上手く飛べなくなってしまったのも、きっかけの一つでした。移動するのに、彼の希望を逐一訊くのですが、お互いに分かる合図が出来上がっていきました。YESは私のほっぺにキス。NOのときは何もしない。これはボタンインコが決めた合図です。YES-NOで答えられる質問で、希望を叶えるようにしました。

長く一緒に居たせいでしょうか。私の耳が聴こえないことを、彼らが認識していたようでした。というのも、テレビからの音声が分からないけれど、私が好きなアーティストが画面に出ると肩までセキセイインコが飛んできて、注意を引くようにボタンインコがテレビの前で鳴くのです。それだけではなく、来客があり家の呼鈴が鳴っても気づけない時や、ヤカンのお湯が沸いた時、お風呂のお湯張りが終わったときも、教えてくれました。

一切、そうした訓練をしなかったのですが、お互いに助け合う関係を、少しずつ少しずつ築いてこれていたように思います。

今は彼らも虹の橋を渡りました。頼りきっていたわけではありませんでしたが、音で報せる生活に振り回される事が多い日常に、くたびれています。

小さな身体の彼らから、大きな愛情を教わりました。聴こえなくても差別なんて無かった。助けていたつもりが、私も助けてもらっていたこと。持病でまともにお世話をしてやれなかった日もあったけれど、私を待っててくれたことを今も忘れられません。

消せない愛情を胸に、また明日も生きるのです。

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