家族ごとの嵐の只中

母親が急逝した連絡を受ける前の夜、
全く眠れなかった。
喉がやたら乾いて、真夜中に何度もお水を飲み
トイレへ行く、それを繰り返していた。
眠れないまま朝を迎え、なんとなしにくたびれながらの平日。
夜になってきょうだいと親戚から、母親のことを知る。

実は父の危篤の時も、やはり眠れなかった。
眠れない上に意味の分からない涙がポロポロ溢れて、泣き腫らした顔で朝を迎えた。
この時は入院している父を、サプライズで見舞うため夜行バスに乗って向かっていた。
いま振り返っても、よくぞ行動したと思う。
なんせ、危篤の連絡をもらえなかったのは、私一人だったから。

そんなことを知らず、きょうだいからはセンチメンタルな連絡がくる。返信もしないし、電話は聴覚障害で聞こえないから出ない。
母親が残した遺産。
そのお金のせいで、ずっと虐待を受けてきた。
お金があることは知らなかった。
ただ、学生時代に部活動などで、何かしら学校に出さねばならない金額が発生する。
その度に「お前なんかにお金を出すなんて」と言われ睨まれながら、手渡されるのは辛かった。
『お前なんか』だから助けてもらえないのか、と犯罪に巻き込まれたときも未遂の時も、性的虐待を母親の目の前で受けた時も、救いの手はのびてこなかった。

きょうだいからも性的な扱いを受けた。
その時のことは消えないでいる。
そのきょうだいから連絡が来ることが有り得ない。

親戚には、今回の相続手続きが終われば、きっちりきょうだいと縁を切ることを伝えている。
理由も全てではないが知ってくれている。
だけど毎日のようにくる、きょうだいからの連絡が辛い。
虐待をした側は、事の重大さに気付かないまま
のうのうと生きるのだな、と感じる。

内臓も性格も変形したまま生きていく私に
救いなどあるのだろうか。

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