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9.4 手話で学ぶアメリカン・ペアダンスin京都(ふりかえり)

 こんにちは、デフダンスのNami♡です。
 9月4日から、アメリカン・ペアダンスin京都プロジェクトが始動しました。これは京都市の助成を受けています。会場費を助成していただけるとので、本当に助かりました。使えるのは会場費、交通費(ローカル除く)、外注の印刷費だけという非常にシンプルなものです。京都市、感謝!

 ことの発端を書こうと思います。ヨシ矢野先生というアメリカンスタイルのペアダンスの先生が、ダンスをやりたい聴覚障害者募集。みたいな感じでFacebookに投稿されているのを、ブラインドダンサーの人から教えてもらいました。こんなの出てたよ、って感じで。

 それで連絡して、会うことにした理由と言うのが、手話を勉強中と書いてあったから。何?と思いました。というのは、以前、東京でその同じ先生の主催のサルサとかハッスルのワークショップに参加したことがあって、その時はコロナ前で人数も多くて、とくに聴こえない人に配慮をしているという場ではない普通というか(普通ってワードが刺さるなぁ)通常の場だったので、友だちの参加者の方にメモを書いてほしい!とむりくりお願いして情報保障をなんとか手繰り寄せようとして…なんとなく撃沈しました。二回目行くことができなかったんです。

 わーいわーい!あの先生が手話を勉強してるってよ!と喜ぶ私に、手話のできる友だちが心配してついてきてくれました。それで、結果として一緒に活動を始めることになりました。部屋を予約したりする母体というか活力と言うか基盤みたいなものがこちらにすでにあったので、デフダンス関西という団体で予約してトライアルを身内だけでやりました。身内は全員、プロの手話通訳者に入ってもらいました。

 心配もあったのですが、とりあえず始めてみることにしました。ヨシ先生は交通費とか謝金とかは基本ボランティアでいい、ただ、無料だと気を使い始めるから、ひとり500円。という方針らしいです。いろいろ考えはあるけれど、それもとりあえず受けることにしました。

 ただ、活動日が月曜日!なんですよね。私、ふつうに仕事の日。労働人口の層も普通に仕事じゃん。ということで、そこは月1~2回なら。と思いました。

 なぜ、月曜日の活動に乗ったんだろう私。なんかこの勢い凄くない?普通なら私は仕事日の活動は断ると思うんです。私を知る人はお分かりと思いますが、仕事ファーストの人間ですから。仕事、はい、あるから無理ね。とプラべはセカンドの人なんです。その辺はうまく説明できない。とにかく乗った。乗ってしまった。なぜだろう。

 それで、問題となったのは、会場費があるから、参加費を500円に設定してしまうと、会場費が払えない。参加費から会場費を引いた額でいいよと先生に言われましたが、それいくらと思ってるの?!って話です。だって、引いたらマイナスかもしれないし、その時は計算したら100円だったんです。100円って、渡せます? それで会費が1000円になって、京都はそれでやろうということになり、助成金も申請することになったのでした。前置き長いな。

 初回はヨシ先生を含めて12名集まりました。ろう者・難聴者(この呼称は自己申告に基づいてます)が5名。お試しで来てくれた人、ありがとうございました。また機会があったら来てください。動画は、初回のダンスのようすです。


 さて、ろう者のダンス、デフダンス。私たちはそう呼んでます。Deafは、大文字にすることで言語文化的な誇りを込めています。Deaf Sportsがすでに呼称として定着しており、Deaflympicsもあります。Deafの人たちのDance。それがDeaf Danceです。日本語では音からとってデフダンスと言うことにしています。

 デフダンスには、そのジャンルに関わらず、カウンターを置く、カウントや伝達の仕方を工夫するなど、さまざまな特徴があります。アメリカンスタイルのダンスでも、それは普遍的に引き継がれることです。

 そして、ろう者は、ダンスが好きな人も嫌いな人もいます。ダンスが音楽に依拠していることが、敬遠されることの理由の一つにあると思っています。何気に、「音楽に乗って踊ろう」とか「音楽を楽しむのもダンスの醍醐味」とか言いますよね。それも、私たちの心に地味に刺さります。だから、音楽のことは丁寧に扱ってほしい。音楽のことも分からず、ただ真似して踊らされているだけなら、それはなんだかパペットみたい。そう思ってしまったとしたら、ろう者がダンスを敬遠してしまって当然のことです。好きでやっている人に対して「あの人は頭の中が聴こえているから」という意味の手話がありますが、そういうふうに言われてしまうことも、もしかしたら、あるかもしれません。それは音楽が絡むすべてのことに言えるのではないかな。少しでも聴こえているからできるんだよね、難聴だからできるんだよね、とか、そういう感じです。ともかく、音のことは、きこえない人たちの間を分断していくぐらいの、破壊力があります。

 でも、私はダンスが基本的に好きです。4歳から、バレエを見て自分からやりたいと言って始めた人です。だから、あまり何も考えてませんでしたが、だんだん、そういう、なんていうのかな、好きじゃない、敬遠したい総体みたいな、合成される総意みたいな。総意でもないか、垣間見えるもの。それを大事にしたいなと思うようになってきました。だから、noteを書いていきます。

いただいたサポートは、デフダンスの普及イベントや情報保障のために使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。