藤井風のdamnと満ちていくを聴いて息をする
藤井風の存在は前から知ってたのに急にハマってしまった。きっかけは友達に藤井風が歌ってる洋楽のカバーをおすすめされたこと。そこから公式にしてはふざけすぎているshorts動画で魅了されてしまった。
どうしてもまつりを踊りたい藤井風。え!これ全員同一人物!?と思うくらいいろんな人に化けれてる。かわいい。
そこからの寝そべり配信。リスナーのリクエストに答えていろんな曲を弾いて歌ってる。しかも岡山弁で雰囲気がちょ〜〜ゆるい。ゆるく聞ける。なのに音楽がとても良くてずっと聞いちゃう。藤井風は歌ってる時が一番楽しそうで、自然体でほんとに生きててくれてありがとう、音楽をこれまでずっと続けてくれてありがとう。
それでだんだんと藤井風の歌を聞くようになっていった。どの歌も有名だったから耳馴染みはあったけど、ちゃんと歌詞とリズムを聞くようになったのはこれがはじめて。
どの曲も「悲しい」とか「嬉しい」とか「楽しい」の狭間にある感情を歌っていて、心のすきまに入っていく。というか、これを感じてるのって自分だけなのかな、とふとおとずれる自分でも気付くか気付かないかの孤独を温かい水でうめていってくれる感覚。
はぁ〜〜〜わかる。こんなはずじゃなかったんだよね。いつだって私は良いバランスをとろうとしてるし、とろうとしてるはずだったのに。気持ちが重くなったり速くなったりして困っちゃうよね〜〜。気持ちがひどく落ち込んだときって、どうやって幸せでいれてたんだっけ?ってわからなくなっちゃう。一人でいるときは幸せだったはずなのに、戻り方がわからなくなっちゃう。
でもこういう重めの気持ちをめちゃめちゃポップに歌ってくれるから気持ちが軽くなる。まさにdamn!って感じで流せる。でもそんなに簡単に流せないから、何回も聞いちゃうんだけどね。
そんなdamn!って感情のアンサーソングとして「満ちてゆく」があると思ってる。(勝手に)
抱え込んでるものを手放して。そうすると余白ができる。余白があれば、自分の内側から満たされていく。
満ちてゆく、という言葉のチョイスが素晴らしいなと思ったのは、自分のために外側からなにかをもってこようとか、なにかをしようとかそういうことじゃなくて、幸せになるために必要なものは自分の中にすでにもってるということを教えてくれるから。自分の中に空虚な部分ができたときって、外側に求めてしまいがちだと思うけど、「なにもしなくて大丈夫だよ。内側から満ちていくから」と安心させてくれる。
この曲の歌詞は全体的に抽象的。なのに、ここまで心に沁みわたっていくのは、不要な説明とかがないからなのかな。
優しくて、シンプルかつメッセージが強い。刺さる。沁みる。
この数ヶ月間、音楽やライブ、アイドル、映画、小説などのエンターテイメントから力をもらうことがすごく多かった。
やっぱりしんどい時こそ、人の心の支えとか、救いになるのってエンタメだなと思いしっている。
どんな人間でもその人の孤独はあるし、それって周りの人や、友達、家族と共有できる時もあれば、そうでないときもある。その孤独が共有できないとき、「どうせわかってもらえない」ってあきらめの気持ちがだんだん重なって、話さなくなって、話さなくなるから自分でもそんなことを思っていたことを忘れる。それがふと、偶然見た映画や聞いた音楽によって、今まで閉じていた箱が開けられることがある。開けられた瞬間は、涙が出たり、なんだかよくわからないけどずっと残ってるな、とか体がザワザワするなという感覚になったりする。その瞬間や、見終わった後はわからないことも多い、というかすぐに言葉にできない分だけ、心で感じ取ってるということだと思う。そういう体験って歳を重ねれば重ねるほどできなくなってくるなと感じる。
だからこそ、感動することこそ人生の全てだよなぁと一周回って(?)思ってきた。
私はそれを作る方の人間でもありたいなぁ。人のザワザワを起こしたい。感動させたい。たぶんそれはずーっと長い間思い続けてる。
その方法は模索中だけど、このあと数年間で思うだけじゃなくて、なんかしらの形でなるべく多くのことを形にできますように。
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