【ブルーアーカイブ】「月華夢騒」の雑多な所感
全体的な所感
素晴らしい。レッドウィンターと山海経の交流イベントであるなら、こうなるべきだろうなという感じ。ギャグとシリアスの塩梅が良い。演劇・仮面というモチーフを非常にうまく使っていて、唸らされる。人の本音に迫ることの難しさを描いている辺りは、エデン条約編の変奏とも言えるし、ポリティカル・サスペンス的な要素は、カルバノグの兎編を彷彿とさせる。ブルーアーカイブという作品が繰り返し描いてきた要素が骨太に組み込まれており、メインストーリーとしても良いのではないかと思えるような重厚感がある。山海経のクーデターという重い議題に、クーデターが日常茶飯事のレッドウィンターをぶつけて、主犯のカグヤへの印象が悪くなり過ぎないようにしているのにも、愛を感じる。
人物への所感
漆原カグヤ
京劇部の部長であり、仮面というモチーフを最も色濃く纏った人物。非常に優れた造形のキャラクターであり、カグヤが居ることでこのイベントの深みが数段増している。
場ごとに、変面のごとく話し方や雰囲気が変わる。相対する人物に合わせて、鏡のように態度をマネているようにも見える。キサキと相対するときはより大仰な言い回しをし、ミナと相対するときはより断定的で頑固になる。「様々な役を演じているため――たまに、己の本当の姿が分からなくなる」というセリフは示唆的である。初めてチェリノに会ったときの気の良い姿も、牢獄でみせたあの頑固な姿も、仮面と素顔、建前と本音とで容易く二分できるものではないのだろう。
保守的な考えの持ち主で、カイに伝統の価値も京劇の意味も解さない外部の人間に京劇を見せるのは「屈辱」だったろうと言われ、否定しない姿はなかなかのもの。ただ、チェリノは初めて触れた京劇の文脈に戸惑いつつも、素直にキサキの解説を受け入れ、徐々にその意味や価値を理解できるようになって行くところだった。残念なすれ違いだ。
クーデターという手法は性急に思えるが、カグヤの不安と主張自体は理解できる。成熟しているように見えてもまだ子ども。閉鎖的な環境で育った彼女が、変化に恐れを抱くのは致し方ないように思う。
また、キヴォトスにおいて、退学は国籍を失うようなもので、非常に重い処分である。あの美食研究会や温泉開発部、便利屋68ですら停学処分がせいぜいで、ナギサが補習授業部の四人を退学させようとしたときも、先生の権限を組み込んでなんとかという感じ。カイがなにをしたかはわからないが、彼女の退学処分の手続きが法度にそぐわないものであったのなら、それは犯人が明らかだからと言って裁判を行わずに刑を執行したようなもので、十分キサキへの批判材料になりうるように思う。
キヴォトス全体を見ても、手続きやルールを重視する生徒は少ないので、そのあたりが軽視されるのはいつものことではあるが……。『契約』が霊的な拘束力すら持つキヴォトスでは、手続き軽視の姿勢は危険なので、先生はこのあたりの教育を頑張って欲しい。
竜華キサキ
サクラコと仲良くできそう。部下が勝手に発言を深読みしてとんでもないことをやらかす様は、傍から見ている分には笑えるが、キサキにとっては気が気ではなかっただろう。喰われぬようにと肥大化させた『玄龍門の黒い君主』という仮面に、どこまでも苦しめられているのが本当にお労しい。
今回の「もし妾が他学園の生徒だったら、女優になれたかもしれぬ」というセリフや、龍武同舟での「ルミと一緒にやっていく未来もあったはず」というセリフには、もしも、の未来への拭いきれぬ未練が感じられる。門主以外の道を捨て、私を捨て、ひたすら君主の辛苦に耐える姿はあまりにも健気で見ていられない。夜の自室のシーンで、キサキの視線から目をそらさずには居られなかった先生の姿は印象的だった。沈痛を感じる。
周りからどう思われていようと、トップに立つ者もあくまで人間であるという描写には、対策委員会編第3章での、「平凡な私たち」という先生の言葉が思い出される。カルバノグの兎編でも示唆された様に、完全無欠の超人の王など存在しないのだろう。硬く冷たい仮面の下には、柔らかい肉の素顔があるのみである。先生、キサキをもっと甘やかしてやってくれ。
諫言劇において、『黒い君主』になり切ったカグヤは「妾が天下を捨てようとも、天下は妾を見捨てぬ!」と言っていたが、この読み解きは完全に的外れで、真逆であろう。キサキの芯にあるのは、山海経への無償の愛。「山海経(みな)を放っておけぬ」という気持ちである。龍武同舟でもはっきりと「あまり門主の座に拘りはない」と言っている。この辺りの内心を推し量ることへの難しさは、エデン条約編とも共通するところだろう。
キサキの「愛されずとも、愛す」という姿勢は、予告編で「門主様が私を見捨てることはあっても、私が門主様を見限ることはありません」と述べたミナとも共通している。主従の根本が似ているのはなんか好き。
予告で衰弱の症状がカイによるものとわかったので、逆になんとかなりそうな気がする。ちょっと安心した。この辺りの、読者のストレスコントロールも上手く思う。
近衛ミナ
普段抜けたところがあるが、決めるところはちゃんと決めてくれる。キサキの心根を理解しているとは言い難いが、それでも懐刀として忠義を捧げるという覚悟があり、カッコいい。決して裏切らないミナとサヤが傍にいるのは、キサキにとって幸運だったし、心の支えになっていることだろう。
薬子サヤ
錬丹術研究会の会長として、御典医として責任を持って働いている。こんな殊勝なタイプとは思っていなかった。キサキからも全幅の信頼を寄せられており、その忠義も本物。重い責務と秘密を抱えていながら、普段それをおくびにも出さないあたり、彼女も名役者である。
申谷カイ
児童を密輸の駒として使い、人に衰弱死に至らしめる毒を盛る。一線を超える悪行をし続けている気がする。この所業からすると、よっぽどのことをやらかして退学処分になっていそうではあるが、口ぶりからしてカイからすれば不当なものらしいので、なにか事情がありそうな気もする。
どちらにせよ、カイが山海経に向ける恨みは相当なものらしい。この辺りの他人への憎悪は、七囚人に共通するところか。アケミはヘルメット団に裏切られ、ワカモは絆ストで人間に裏切られたことを仄めかしているので、七囚人はなんらか裏切りを受けて深く傷ついた生徒たちなのかもしれない。
「あの退学処分がなければ、私はとっくに卒業していた」「山海経は私を忘れた。だが私は忘れてなどいない。――忘れられないのさ」というセリフは、カイが山海経に向ける怨恨以外の感情、愛着や執着のようなものも感じられる。カグヤがカイの退学処分の瑕疵を指摘したとき、カイは嬉しそうにしており、この部分はカイにとって真摯な傷なのではないかと思える。特に「矯正局に収監されたこともあった」と二度も言っており、矯正局入りは相当堪えたようだ。
また「山海経は私を忘れた」という言葉には、エデン条約編での「忘れられ、苦しむ生徒に寄り添いたいだけ」という先生のセリフが思い出される。彼女もまた、先生にとっては救うべき生徒の一人なのだろう。来るべき先生との対面が楽しみである。
連河チェリノ
普段は狭量な暴君だが、ところどころ王に足る器を見せつけてくる。キサキの体調不良に気づいていたのも印象深い。キサキのような君主の辛苦とは無縁だと思いきや、寝起きの年相応な姿を思い出すと、チェリノもまたキサキと同じように、喰われぬように、侮られぬようにと苦心しているのではないかと思い直させられる。思えば、あのつけひげはいろんな意味で象徴的だ。あれも極小の仮面と言えよう。
「すべての生徒には、意見を表する権利がある」「すべての生徒会長には、その意見を受け入れ、学園を導く権利がある」「お前らのやっていることは、朝の挨拶にもならない」という発言は非常に興味深い。チェリノがクーデターを大事に思っていないのは、それに慣れているからだけではなく、それが正当な権利、生徒と生徒会長との間の健全なコミュニケーションだと思っているからなのだろう。文句があるなら相手にぶつかっていくのが当然で正当、という価値観を持っているとすると、普段の暴政にも、政敵をあっさり赦すのにも納得がいく。互いに殴り合う立場は、ある意味でフェアだ。
チェリノのこの価値観は、キサキとカグヤの和解を予感させる。キサキもカグヤも山海経のことを思って、今回の事件が起きた。この衝突も、意見を違えたものたちが、互いに正当な権利を行使したまで、当然のことだと思えれば、そこに怨恨は残らない。チェリノの姿勢があれば、エデン条約編のような憎悪の連鎖を断ち切ることができる。連河チェリノ、大器である。
佐城トモエ
ハナコを思わせるような思考のキレがあり、驚いた。先生よりも表情の機微に敏感ともなると、もはやキヴォトストップクラスの洞察力であると見るべきだろう。すごい。流石はチェリノを幾度も復権させてきた立役者である。得意のアジテーションも健在で、末恐ろしさすら感じる。
池倉マリナ
今回もコメディリリーフ的な役回りだったが、それが箸休め的に重いテーマや展開を中和してくれてありがたかった。ミナと背中合わせで、京劇部に対抗するシーンは熱い。チェリノのへの忠義も本物であろうが、胸の内にはまだ野心の炎が燃えているようで、それも良かった。
おわりに
先日、ブルーアーカイブの立役者であったisakusan氏がネクソンゲームズから退職し、これからのブルーアーカイブにやや不安を持っていたのだが、これほどの話を出していけるなら問題ないだろうと思いなおした。月華夢騒に続くイベントストーリーや、これからのメインストーリーも楽しみである。