一人称がいまいちしっくりこない話

 ずっと昔から、一人称がいまいちしっくりこない。しっくり来ていないので、一人称を統一できていない。日常会話では基本的に『俺』を用いるが、TPOや気分によっては『私』や『僕』を使うことがある。Twitterではもっぱら『俺』で、ごくまれに『私』を使う。ただ、アカウントを開設をしたばかりのころは、『私』をメインに使っていた。Youtubeでは一応いまのところは『私』で統一している。

 こうなったのには心当たりがある。

 小学一年生のころ、学校の帰り道で友人に「なんでたこはち(仮名)は自分のことを自分の名前で呼ぶの?」と聞かれ、脳内を疑問符でいっぱいにしたことを覚えている。

 当時の私は、自分のことを自分の名前――「たこはち」と呼んでいた。学友たちが「私/僕/俺は炙った蛸が好き」と言うところを「たこはちは炙った蛸が好き」と言っていたわけである。いままでそれで不便はなかったし、そもそも当時の私は人称代名詞の使用の必要性について懐疑的だった。太郎は太郎であるし、花子は花子であるし、たこはちはたこはちなのだから、私とか俺とか、彼とか彼女とか、よくわからない語句を使うのではなく、常に名前を使えば良いと思っていたのである。

 しかし、学友たちや周りの大人たちはそうは思っていなかった。当時、なんとなく人と違うことをやり続けていると面倒なことになるとわかり始めてきたころだったので、私はしぶしぶ一人称を決めることにした。

 第一候補は『私』であった。もっともフラットな感じがしたからだ。しかし、周りを観察してみると、女性は『私』、男性は『僕』もしくは『俺』を使っている者が圧倒的に多い。『私』を使い続けていたら、またどこかのタイミングで一人称を変えなければいけないことになりそうだと感じた私は、『私』を候補として外すことにした。

 となると、『僕』と『俺』の二者択一になる。当時の私は『僕』はやさしい感じで、『俺』はやや大人っぽい感じだなと思っていた。特に好悪の差はなく、かなり悩んだ。最終的には、弟がすでに『僕』を使っていたので、キャラかぶりを避けて『俺』を使うことにした。

 しばらく『俺』を使っていれば慣れるだろうと思っていたのだが、いつまで経ってもしっくりこない。それならばと、『私』や『僕』も使ってみるものの、しっくりこない。そのしっくりこなさを引きずりに引きずり、いまに至っている。

 やはり、他人に言われて嫌々一人称を決めたのが不味かったのか。しかし、いまさら「たこはち」に戻したところでしっくりこないだろう。おそらく、私が一人称にしっくりくる瞬間はもう二度と来ないのだろうと、半ば諦観している。

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