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雨を楽しむことは可能か

 5月31日、雨が降っている。先週くらいから天気が安定せず、ぐずついた空模様が続いている。もうしばらくすれば東北も梅雨入りだろうか。台風も気にしなくてはいけない時期か。しばらく先まで天気予報を見て雨のマークが並んでいたり、朝起きて窓の外を眺める時、それが仕事であれ休日であれ、多少なりとも残念な気分になる人は多いだろう。しかし雨を無条件に残念に感じてしまうのはなぜだろうか。たとえ晴だったとしても屋外で遊ぶ予定や仕事でない限り、ほとんどの時間を屋内で過ごすのであれば、天気はあまり関係ないのではないか。外に出る予定がないのに雨が降っているだけで気分が沈む、天気が悪いという感覚、大荒れではなくたとえ小雨だったとしても感じる雨に対する負のイメージ

 日本のほとんどの地域は温帯に属し、四季の変化に加え日々の天気の移り変わりも様々だ。多くの人が晴れに気持ちよさを感じているとはいえ、毎日が晴天であることは不可能であり、雨が降らないことは様々な不具合を生み出す。(私はほぼ毎日が晴天の地域に数年間住んだことがあるが、それはそれで不快だった。)そうは分かっていてもやはり晴れに気分の良さを感じてしまい、天気のよさを望んでしまうのも避けられないだろう。

 しかし、我々は雨それ自体を楽しむことはできないのだろうか。晴れ空のような爽快感、日光を浴びる気持ちのよさ、思う存分に身体を動かすことのできる環境下ではない雨の日それ自体を少しでも味わうことの可能性。そのことについて考えてみたい。

 雨の日が好きだという人が一定数いることも事実である。雨が好きな理由を少し調べてみたが「静かに過ごせる」「外に出る理由がないので楽」「家の中が好き」「雨の音や景色が好き」など、そもそも外に出ること事態があまり重要ではない人にとって雨は好まれるようだ。しかし通勤や犬の散歩などの日々必要な外出や、それ以外でもせっかくだから外に出たい、外の空気を吸ったり気分を転換したいという人もかなり多いはずである。そんな時に雨だから必ずしも残念ということではなく、雨には雨なりの外の雰囲気を体験してみるのはどうだろうか。

 じつは私に一つの提案がある。それは良いレインウェアを揃えることだ。良いレインウェアと言ってもそれほど高価なものを揃える必要はない。いまはワークマン等に行けば、安価で防水性の高い雨具がたくさん売られている。重要なのは自分が気に入ったもの、かつそれなりに高性能なものを手に入れることだ。機能がそれなりに良ければ安価でも、高級なアウトドアメーカーのものでも構わない。ただし必ず上下で手に入れること。ジャケットだけでは不十分だ。次はシューズ、これも気に入っていればなんでもよいが、普通の長靴よりは防水性のあるスニーカーやアウトドアシューズなど歩きやすいものをお勧めする。それぞれお気に入りのものが見つかったら、思い切って購入してみよう。そこから天気が崩れるのが少し先であれば、雨の日を持ちながら部屋の中で試着しフードをまで被り、この状態でそのまま雨の中に繰り出す姿を想像しよう。

 雨の日がやってきたら、休日や仕事にかかわらず雨具を着て外出してみよう。ここからはそれぞれ実際に体験して感じてもらいたいが、筆者が感じたことを以下に書く。まず雨の中に出た瞬間にジャケット、特にフードにあたるパラパラという雨音が気持ちが良い。傘を差した時に聞こえる音よりも耳の近くで鳴ることで雨を身近に感じる。雨具を通じて雨が直接自分に当たっている感覚も新鮮なはずだ。このように自分が雨の中にいることがより実感されるに違いない。少し歩いてみよう。自分の動きに合わせて、雨の当たり方が変わり雨の感触、音が変化する。わざと水たまりに入っていく必要は無いが、濡れることを気にせずどんどん歩いて行けるシューズの機能も感じられるはずだ。雨の強弱により体に感じる雨や音が不規則に変化する。こうして全身で雨を感じているような少し変わった体験ができるだろう。

 それもこれもやはり防水機能に対する安心感から生ずる。自分が雨具によって守られている感覚、雨の中でも感じられる一種の万能感に近い。レインウェアに当たった雨粒が粒のように丸くなって滑り落ちる様子を眺め、その機能の高さを実感する。用途は違うがSFなどで見るアーマースーツのようなものかもしれない。濡れる心配や不快感がほとんどなく、どんどん歩いていけるような、何でもできてしまうような、不思議な爽快感がある。一度この感覚を味わった人のなかには、またレインウエアを来て雨のなか外出したいというちょっとした不思議な欲望が生まれるのではないだろうか。

 雨だから外に出られない、残念だという日々から、雨の日の可能性を少しでも救い出し、晴れの日とは違った雨の日にだけ体験できる自分なりの感覚を手に入れる。そうすれば日本のような気候のなかにいることの意味それ自体も変わってくるのではないだろうか。晴れもあれば雨もあり、それぞれの天気の中に私がいる、そういう日常は私たちの前に広がっている。


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