言葉の重み

#君のことばに救われた

こんなタグを使う企画があるらしいので少し考えてみた。

元々人付き合いが苦手というか嫌いなので、誰かに救われたという経験が少なく、全く思い浮かばず、きっと他人と比較したら一般的に見て寂しい人生を送っているのかもしれない。漫画とかアニメでかっこいいセリフとか好きなセリフとかならあるが、それによって救われたのかと思い返すと、そうではない。それでもこれまで生きてきたし、これからも自分自身が納得できれば、他人の言葉は必要ないのかもしれない。

そんな私でも、真剣に向き合ってくれたり、悩みを相談してくれたり、話を聞いてくれようとする人には、何か少しでも残せればいいなと思うことはある。

人が話すことができる内容なんて、自分が経験したことや学んだ範囲から推測できるレベルのものしかないだろうし、自分がこれまで立派な経験をしてきたかといえば、平凡な日常をダラダラと送ってきただけで、言葉の重みなんて皆無で、オブラートくらい薄っぺらい。

天才ではない限り、人の人生を変えるような言葉は新たに生まれてこない。それでも相手に対して、自分の経験から、相手の知らない道を示すことや、相手の選択の善し悪しについての意見くらいならできる。その時に、どこまで真剣に相手と話をすることができるのかが重要なのかもしれない。

真剣に話をするというのは非常にリスクが高い。自分の底の浅さを露呈することであると考えているし、それ以上の価値がない人間だと思われるかもしれない。それでも真剣に話ができる人が現れたら、目の前の人くらいには何か残していけるような人生でありたいと思う。



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