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第5回「Don't think twice ~桜並木の面影にゆれて~」を考察する。

みなさん、こんにちは。


この前なんとなくYouTubeを初めてみました(SOM_大学生_趣味、という名前です)。


始めたその心は、「とにかく剛についてなんらかの形で”布教”したい!(押し付けたくはない)」という気持ち、そして、、、2025年の桜島ツアーに向けて、一種の、気持ち高めみたいな面が大きいです。


なので今回は、


ふと気づくと学校の帰り、鼻歌として口ずさんでしまいがちな


「Don't think twice ~桜並木の面影にゆれて~」


について語っていきたいと思います!




1.歌詞

明日なんてない 希望なんてない
昔の栄光?  誰も知らない

さあ、始まりました。


普遍的な、こう、なんとも言えないメロディーと共に幕を開けます。


私はこのメロディをきくと、なぜか無性に「懐かしさ」を感じる現象にいつも陥ります。


おそらくこのフレーズは、


「明日なんてない、とか、希望がないとか、昔はこうだったのに、、とか、


そんなもん誰も知らんがな。」


といったメッセージを感じます。


それは突き放しているのではなく、


「そんなもん、誰も気にしちゃいないよ」と、


思いやりをもった視点で我々にメッセージを与えています。

その思いやりあるメッセージ性は、
ちゃんとこの次の歌詞に続いていきます。

描き直しても 構わないからDon't think twice

そもそもの「Don't think twice」の意味とは、


直訳は「二度同じことを考えるな」ですが、意訳としては、


「くよくよするな」や、
「ためらうな」といったものだそうです。


また、「It's all right」というフレーズもこの後頻繁に出てきますが、


このフレーズとDon't think twiceはいわばセットのようなものです。

それはなぜかというと、

洋曲に「Don't think twice, it's all right」という、Bob Dylanさんというアーティストの曲があることが何か関連しているのかもしれません。


また、長渕さんは「All right」という曲も出しています。メッセージ性には共通点があるように思います。「オーライ」というのを多用する(少なくとも「君たちが未来だ!」では、「締め」かと思われたシチュエーションで歌われた)のには何か理由がありそうです。


私の予想は、単に「響きが好きだから」かなと。


もしくは、日本語で「くよくよするなよっ!」と、


いくら叫んでも伝えたいことも伝わらないという不甲斐なさを学んで、命名に至ったのかな、とも思います。


少なくとも字面だけで比べれば、「STAY DREAM」とは全然違う曲ですし、
聴いてる時の心情もまるで違います。

次いきます。

生きることなんて確信などない
ただ今日に爪を突っ立て
時代を引っ掻き It's all right

最初のフレーズでエールを送った上で、

「生きることなんて確信などない」というメッセージが加わりました。

「確信とかもっての他だし、”今”なんだよ、今。」

といった感じでしょうか。

剛のテレビ企画に「長渕炎陣」という企画がありました(今もYouTubeにあるはずです)。

そのどこかのパート(たしか「愛」だったかな)で、剛はこんな格言を送っていました。


「人生とは、今、今、今の、集積だ」と。


ここでまたパワーワード、「今日」です。

自分の「人生」とか「生き方」にはこだわりを持たず、

ただ今日、今日という日を必死で生きるのだと、


そういう意気込みを感じます。


そして「時代を引っ掻きit's all right」ですが、


時代を引っ掻くのはまさに、剛本人ではないでしょうか。


実際に数々の「時代への引っ掻き後」がいろんなところに残っています。


そしてその度、いろんな批判等ありつつも、
「心配ないさ」と。


今を生きていたら後悔なんぞ何もない、という感じでしょうか。


だから、そんな人生、生き方をリスナーに訴えているのだと思います。

昔なんてない 昔は語らない
今日を感じたい 今日にしがみつき
常に今日だけ 今日という日だけDon't think twice

ここでは、畳み掛けるように「今日」と連発していますね。


前述したことをメッセージとして、もっとイメージつけようとしている感じでしょうか。




「「今日」は二度と戻ってこない。」




その日だけ、もしくは1年だけ有言実行するのは簡単でしょう。

しかし、その過去に発した自分に嘘をつかないよう、長渕さんも日々筋トレして「自然に抗っ」ています。


あまりに根詰めすぎると逆に生きるのが辛くなる、というのが私の感想ですが、


やりきれなかった「過去」への悔やみは、絶対取り戻せないのだから、それが常に原動力になっているのでしょう。

正しさなんて変わりゆくもの
ただ今日に爪を突っ立て
欲しいものは全て 手に入れちまえ

「正しさ」というのはこの歌詞の通り、

仮にその場では自分が何か間違っていたとしても、

時が経てば「変わってしまう」という側面を持つことをここでは語っています。


さらにここでは「正しさ”なんて”」とまで言っているので、


それだけ世は当てにできないとか、

周りに振り回されてるのが馬鹿らしい、

といった気持ちもあるのかなと感じます。



そして、「欲しいものは全て手に入れちまえ」と書いてあります。

「今日」に一生懸命になっていれば、

失敗への怖さとか「正しさ」とか「世間体」とかを気にする気はなくなり、

やりたいことやり倒しちまえ、ということでしょう。



ただこの主張について2年前の私は少し懐疑的でした。理由は、「目指したいものを持っているほど、そもそもこの世界に、自分の人生に希望が持てない」というものでした。それについて剛はしっかり答えをくれました。


「夢は、持たなくていいです。夢なんかなんでもてるのよ…」
「憧れを持つことです。「あの人、すごいなぁ!」って、憧れを持つことなんです!」


私は剛ファンとして、またZ世代として、

「君たちが未来だ!」に参加できたことをとても誇りに思っているし、

間違いなく今後の人生のアドバンテージになると確信しています。
(詳しくは言えませんが、Abemaの再放送でも、何回か私の顔が写っていました。)


話はそれましたが、つまり「自分に正直になれ」ということです。

それがわかれば、あとは突っ走るだけ。

その剛のメッセージは昔も今も変わっていないでしょう。

Not too late 振り出しに戻ろう
Not too late 振り出しに戻ろう
花びら舞い散る桜 桜並木の面影にゆれてDon't think twice
花びら舞い散る桜 桜並木の面影にゆれてDon't think twice

サビに入った段階で、メロディーはなんとも神秘的なものにガラッと変わりました。時間を泳いでいるような感覚に襲われます。


この「Not too late」というのは、初めて聴いた時、一番ぐさっと刺さりましたね。

時には「「Not too late」なんていつまでいってんだ自分…」なんて思いつつも、この曲を聴くと、

まるで生まれ変わったような気持ちになりました。


「何度でも変われるんだ。振り出しから始めよう」という、

「REBORN」にも通じるものもあります。


そして、題名にもなっている「桜」がここで出てきます。

なぜ桜だったのか、は今も考えています。


自分でもなぜかわからないけれど。
「花びら舞い散る桜」は「始まり」という意識をいつも持ってしまいます。

もしかして卒業式や入学式なんじゃないのか、って思いましたが、


どうやらそれとは違います。


見たこともない風景がいつも頭をよぎります。


私としては特にここは、この曲の大傑作ポイントかなってずっと思ってます。

そして後に続きます。

Uh uh uh, Uuh Uh uh uh  桜舞い散る面影にゆれて
Uh uh uh, Uuh Uh uh uh 桜舞い散る ひらひら舞い散る

この前述の「始まり」のイメージを見事にメロディーで演出、延長することに成功しているって感じです。


一見すると「重い曲かな?」と感じさせもしますが、


一通り聞き終わると、おそらく今まで聴いたことない感覚に包まれるので、ほんと不思議です。


さて、2番いきます。

永遠じゃない 最後でもない
夕焼けは嫌い 黄昏もない
泣き崩れても構わないからDon't think twice

ここは割と面白いフレーズですよね。

「夕焼けは嫌い」とおっしゃっています。

「確かに人生は永遠じゃない。しかし”最後”なんて自分で決めるものだから、最後なんてない!
あと、黄昏という概念は俺にはねぇ!」と言わんばかりの文面かなと思います。

黄昏とは、盛んを過ぎて終わりに近づくこと、と書いてあります。


ここで面白いのが、「夕焼け」、と聞くと「夕焼けの歌」とか、
「orange」とか、どっちかというとほんわかした温かみを想像するところですが、


人生の議論となると、「終わり」という全然違う側面でも捉えることができるのです。(「沈まぬ太陽」みたいな感じかな)


また、「泣き崩れても」というのは、「ひらめになれ、ひらめに!」ってことでしょう。(長渕剛語録より)

今日の孤独に折り合いをつけ
咲く花の声 響くメロディ
生まれたばかりの            Today

どれだけ今日を走っても、絶対どこか心には「孤独」が存在しており、

その孤独と折り合いをつけることで、また新たな明日、つまり「今日」をまた生きていくのだ、といった感じでしょうか。

おそらく「花の声」や「メロディ」というのは、「朝」かなと思います。大きくは、生命が活動を始め、また花が咲き、鳥のさえずる声が聞こえてくる、って感じかなと思います。

朝=始まりであるという壮大なイメージを空想して、
ある種の「今日の素晴らしさ」みたいなものも見出しているのかなとも感じます。

自由なんてない 束縛もない
昨日は大嫌い 足跡もない
歩き疲れても構わないから Don't think twice

ここの「自由」と「束縛」は一番解釈に悩みましたが、


私なりには、「今日」に自由も束縛も存在しないんだ、ということではないと思います。

ただこの剛哲学(最近日常会話で父とよく使う言葉です(笑))は、到達するにはとても難しいものがあります。

人間誰しも、束縛があって、その反面自由が欲しくなって、と、、、その繰り返しだと思います。

ただ、こういう考え方もできます。「自由」も「束縛」も、全て「自分がそう決めているから」そうなっているのだということ。


愛は語らない 語り尽くせない
ただ今日だけ 今日しかなくて
今日咲き乱れよう it's all right

Not too late 振り出しに戻ろう
Not too late 振り出しに戻ろう
花びら舞い散る桜 桜並木の面影にゆれてDon't think twice
花びら舞い散る桜 桜並木の面影にゆれてDon't think twice
uh,,,

「「愛」は語らないよ、だって語ったとしても語り尽くせないんだもん。語らず、今日をいきよう」、って感じですかね。


このフレーズ、とてもロマンティックでいいですよね〜。

愛する人に向けて、

「今日しかなくて、。今日咲き乱れよう。it's all right」

詩的でとてもいい。


そして同サビになって終わりになります。



2.まとめ

さて、今回は「Don't think twice ~桜並木の面影にゆれて~」について語ってみました。

この曲調は「Amen」に似てるなと、前々から思っていたことなんですが、
自分でも今回記事を書いてみて、


メッセージ性には大きな違いがあることを知りました。

もちろん、人生論については、たくさん、いろんな人が語っていることと思います。

しかし、私は長渕さんを通して、こういう人間の繊細さとか、奥ゆかしさというものを考えるきっかけにしてきました。本をよみふけり始めたのも、人生について真剣に考え始めたのも、剛を知った中3の頃からです。


こういうアーティストが本来アーティストであるべきだと、ずっと思っています。しかし、前回の「OH!ツアー」でも剛さんは「日本のエンターテイメントの連中は、目先のカネのことしか考えてないよ!」と、少しお怒りの様子でした。私も同感です。

不都合はこれだけじゃありません。日本経済は?文化は?自由は?権利は?環境は?…いろんな問題が氾濫状態です。さらに日本外も同様でしょう。

そんな中、この世界的な不安を抹消するべく、剛は桜島ツアーを”ファイナルとして”やると約束してくれました。


我々も心で誓わねばなりません。


そう、don't think twice, it's all right🔥



※これからはYouTubeも始めて、剛について投稿していきたいと思ってるので、どうぞよろしくお願いします。

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