なんの、誰のためのクリスマス?

近々思うことがある。人々は何のためにクリスマスという行事のためにライトアップを施すのか。もちろん手段としての家族や仲間との楽しみ方としては上等だろう。では、家をライトアップする意味とは何なのか?見栄?世間体?ああ、何となく?どの線でいっても疑問は絶えない。


他にもある。ハロウィン。私は日本の行事文化の経歴を語れるほど知ってはいないし参加もあまりしたことない。しかし、外から見て思うのは、“何のためにそれをする?”ということだ。

あとは、都心に行った際に、「うわぁ、いっぱい人おんなぁ。この人ら、何もすることなんかな?なんかこっちまで虚しくなるわ。」と感じたこともある。まるで残された時間が刻々と迫ってくるかの如く、はしゃいで、はしゃぎきって、何が残るのだろう。私は虚しさと、おまけに仮装した衣装とアメちゃんだろうと想像する。

この論をより深めるものは、先々月のイテオンの寿司詰め事件である。もちろん“梨泰院クラス”による集客要因は計り知れないし、行ってみたい気持ちもわかる。ただ、その念は自分だけ抱いているとでも思うのか?むしろどれだけの人がその思いを持ったことだろう。

これらのことが、一体だれによって日本に運ばれたのか?何のためにそれを行うのか?割と欧米文化の匂い、いや臭いを押し付けられ、擦り込まれる危険性もある(危険性というか、時既に遅し)上、日本の元あるものが消え去っていく恐ろしさにだれも目を向けなくなる。


この現状はどう考えられるべきだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?