MAについて
本日の仕事の昼の休憩時間が、あまりにも暑すぎた
当時所在地域だった山辺周辺の施設で冷房が効いてて30分ほど休める場所を探していた
山辺北部公民館が近場で休めそうだったので、向かった
目的地に到着すると、すぐ隣に安達峰一郎生家なる茅葺き屋根の家があった
山辺北部公民館内にも安達峰一郎の資料を見ることが出来る部屋があった
私は吸い込まれ、閲覧した
以下安達峰一郎来歴引用
日本の外務官僚、国際法学者。法学博士。メキシコ公司、ベルギー大使、フランス大使を経て、アジア人初の常設国際司法裁判所所長。山形県出身。
アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし、国際連盟を脱退することになる。所長3年の任期を終え、1934年1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日、オランダのアムステルダムにある病院で死去した。この時、オランダは国葬の礼をもって、国際平和に尽力した多大の功績と栄誉を称えた。墓所横浜市総持寺。
1968年より優れた国際法の研究業績をあげた研究者に対し安達の名前を冠した「安達峰一郎記念賞」が授賞されている。
*常設国際司法裁判所とは1922年に設立された国際連盟における国際司法機関で、国際社会に初めて登場した本格的な常設の司法裁判所
*国葬とは、国家にとって特別な功労があった人物の死去に際し、国費で実施される葬儀のことである
斎藤茂吉については以前情報収集し山形の偉人として把握していたが、安達峰一郎については全く知らなかった
国際連合脱退で心臓弱るのは些か色んな意味で怪しいが、とんでもない山形の偉人がおられたようである
自身が生まれ育って生活する街もアメリカナイズされ、インターネットに飲み込まれた
そんな中誰も来ない小さな資料館はレコードのように場所として存在し続け、私に事実を教えてくれた
ひょっとした拍子で歴史を知り、身につまされる自身の甘えにビンタされた
他県の方にレペゼンする山形の偉人を紹介する際、斎藤茂吉びいきだった私は安達峰一郎へと移行する事にした
どうしたってそこにあった事実は、哀しくなるほど誰も知らない
飲み屋で話をしたとて、ドウインで流れる音楽のように流されゆく
それでも私は今日それを知り、胸がいっぱいになるような感謝を胸にローソンの雪見だいふくを食べた
ワザップ
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