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暖簾の先

宮城県の東鳴子にある、いさぜん旅館に宿泊してきた
こちらは1941年開業で、4つの源泉があり混浴の浴室も完備してあり億劫である
温泉にはおおらかさを必要としている故【女性がいて恥部を見ようとして嫌悪感を持たせ、自身も後悔する】【女性のパートナーに鋭い眼光で警戒される】といったおおらかさとは真逆の緊張感を強いられる状態になるので、気が進まない
当日の入浴時には男性しかいなかったので、緊張状態は巻き起こらなかった
22時頃、男女別の浴室が交換された
颯爽と変わった浴室に突入し、健やかに入浴を済ませた
客室に戻るべく廊下を闊歩しておるに、混浴の暖簾の下に猫が腹ばいになって佇んでいた
全く生物の気配がない暗い状況だった故、少しバックステップを踏みたじろいだ
あちらもびくつき、その場から去って行った
浴室からは桶でお湯を汲み、体にかけているであろう音が耳から聞き取れた
「まさか猫が見張りをしていたのか?」といった推察が出来た
今、暖簾の奥はいったいどうなっているのだ?
立ち止まり、目を閉じてみた
【ちょっとだけ暖簾の中を覗いてから部屋に戻りたい】という大いなる欲望が沸き起こった
日曜日の東鳴子で22時半前の暖簾奥には、泥つきLサイズ作業着とバスタオルのみが無造作に長椅子に放られてあった
この文章を見る知人の女性は、私のスケベ根性を軽蔑するだろう
【暖簾の先にある何かを見たい】という好奇心から産まれる欲望がある事は生命活動の一端を担っている、という事はありえる
すべての男性に当てはまるともふんでいる
それを公開する滑稽さは生命活動と一貫した繋がりがあり、これに執着している節もある
翌日11時、松島の旅館での日帰り入浴の場には私以外誰もいない
海に浮かぶ島を眺めず、温泉に浸からず、へりに腰を下ろして読書をしていた
目の前に思わしい物がありそれを享受出来るのにしない、をする事で産まれる軽々しくないゆとりは好ましい
突っ込むことも、突っ込まないことも、生活において必要に思われる
暖簾先の籠の中に脱がれているモノは、おそらくずっとある
求めているモノであるかは定かではないが、非常に興味がある
生活を続けて、生きていくしか道はないなり

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