サクマドロップスのつれづれ

ダイエットだ、と昼食にわかめスープとゆで卵、小ぶりの冷凍焼きおにぎりを二個食べ、もう昼間は何も食べるまいと決めた。焼きおにぎりは、開封したきり長らく冷凍庫にしまいっぱなしだったので、冷凍焼けがひどく、いざ解凍してみると外側が乾燥しカチカチで、半分は食べられた状態ではなかった。
 そんなもので足りるわけもないのだが、やせ我慢で棚にストックしてあるパスタ入りのカップスープや、これまた冷凍庫にしまいっぱなしの未開封の冷凍チャーハンなどには手を出さず、熱い麦茶で胃の隙間を埋めた。
 そうしてパタパタとパソコンに向かい一心に文章を打ち込むが、やはり満たされない胃は、徐々に主張を始めた。ぐぅ、とははっきり鳴らないが、無言で私に不満を伝えてくる。私はくぅ、とこらえ手を動かそうとするが、いよいよ頭も働かない。糖分だ、糖質だ。今にも台所に行こうと立ち上がりそうな膝をかかえ画面をきっとにらむも、何も浮かばない。そんな折、視界の端に缶があることに気が付いた。
 いただきもののサクマドロップス。取引先の会社のノベルティだということで、パッケージは変更されてある。サクマドロップスは今、どこへ行けば買えるのかも、いくらなのかももう知らなかった。自分で買うことなんてないので、いただきでもしないと食べる機会なんてない。
 前にひとつ、オレンジ味だったかを食べてみて、ふうん、と思ってそれから放置していた。軽く振ると、がらがらとまだたくさん残っていた。
 飴ならば、糖質といえど、一粒のカロリーは知れたものだ。チャーハンを食べてしまうよりならと、蓋をあけ一粒手に出してみる。あ、真っ白。はずれ。
 子供の頃、たまに食べるサクマドロップスの中で、私はやはりはっか味は苦手だった。サクマドロップスといえば、はっか味が食べられるかどうかがおそらく一番最初に話題としてあがる事項だと思う。はっか味が好きな人はとことん好きだし、子供はだいたい苦手だ。
 私は、手の上のはっか味の飴をどうすべきかしばらく悩み、思い切って口の中に入れてみた。ここで缶に戻して違う味の飴を食べることにしたとしても、いつかはこのはっか味と再び対峙する時が来てしまう。その時、私はどうする?判断を先送りにしているだけではないのか。
 何年ぶりかすらわからないくらいのはっか味は、徐々に口の中に独特の風味を広げ、香りが鼻に抜けた。そうそう、これ、と顔をしかめたが、思ったよりも不快な感じはしなかった。その感覚が不思議で、口の中で何度も何度も転がしてみた。舌の色々なところで、はっか味を感じてみた。
 なんだ、食べられるじゃないの。ひそめていた眉がゆるんだ。これが、空腹だからなのか、味覚が変わったからなのかはわからないが、とにかく、あの頃の私に伝えたくなった。はっか味、食べられるようになるんだよ、って。
 その後も、はっか味が出ると一瞬ひるむが、缶に戻すことなく口にするようになった。そのうちに、はじめて一缶すべて食べきってしまった。空っぽになった缶を眺め思うことは、大人になるのは意外とうれしくてたのしいのだ、ということ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?