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よしなしごと

格言でも名言でもないだろうけれど、引っかかる言葉が好きだ。

昔読んだ小説のシリーズ解説的な所に出てきた言葉が
ふとした拍子に出てくる。


うっかりしていた。今日は悲しまなればならなかったのに。


私は情緒に疎い。だが、大人に囲まれて育った為に「合わせる」事には長けていた。

周囲の人間観察と本による知識によって、私は情緒を外注して取り繕うことにした。

今になってそれらが変化したのか、元々一応かすかながら存在していたモノが育ったのか、稀に小説等で目が潤うこともあるが、
基本は外から取り寄せた紛い物である。今でこそ そういうモノ としているが、昔は多少気にしていた。(兄が涙脆いせいもある)

この言葉に遭い、あぁ、と思った。
納得と安堵である。

大多数の人間が悲しむべき、悲しまなければ異常だとされる時に「うっかりする」存在がいる。
そしてソレはあまり大事ではないということに。

現在、様々な場面で「多様化」というワードが免罪符のようにばら撒かれるご時世なので、
喜怒哀楽のバランスが悪かろうが大した問題にはならないのかもしれない。

しかし、折角入手したので、
うっかりすることもあるだろうが、私は私の情緒を内蔵したまま、これからも暮らしていこうと思う。