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オスモー・イン・ザ・スカイ

 航空力士とは。曰く、天を土俵とし、「廻し」にて空を翔け、相撲を取る力士である。

 不意の遭遇戦に、姫乃里は焦りを感じていた。
(今場所はもう戦闘の予定は無い筈だが)
 空力四股姿勢のまま、姫乃里はマワシを振り絞り、大銀杏を下方へと振る。動力四股(パワーダイブ)。常は高度優勢を旨とする航空力士にとり望ましからざる手。土俵際に自ら突進するが如き愚挙。だがそれは、相手に土を付けることを前提とするならばの話だ。
 この場では立会不成立が白星に勝る。そのために、彼は高度という資産を食い潰し、速度に変換する。高空の冷気が肌を刻み、マワシが異常振動を始める。
 姫乃里の脳裏に、「不浄負け」の四字がちらつく。航空力士にとっての「不浄負け」とは、マワシの空中分解。即ち、確実な死だ。
 航空力士は、大気速度を肌と肉とで感じる。彼等が全裸に等しい姿で空を翔る理由の一つはこれだが、その肌が、熱を帯びて焼け付く。
(これ以上は、不味い。)
 音の速さが近い。
 ある横綱力士は、「音速の世界は土俵の外側にある」と語った。その横綱もまた、「不浄負け」によって土をつけた。
 マワシをしたままでは辿り着けない世界に、それはあるのだ。
 故に、彼はマワシを緩める。しかしこれ程の速度、振り切れた筈。周囲を念入りに見回す。

 果たして、と云うべきか。敵の力士は、『下』にいた。
 有り得ない。遭遇時の高度は同等。そして、姫乃里は動力四股による降下を続けていた。
  つまり、それは。敵士は彼を上回る降下率で下方に回り込んだ、ということ。そして、今まさに。敵士は上昇に転じ、姫乃里を迎え討とうとしている。
 気付いた時には、遅かった。接触の瞬間、巨躯を支える重力が、ふっと消失する。姫乃里が失速する。
 否。

 投げられている。
 大地という名のクッションの無い航空相撲に於いて、投げとは即ち略奪である。
 作用反作用則を転用し、相手の速度と運動量を略奪し、優勢と劣勢とを入れ替える。一滴たりとも零さず奪い取り、相手にダメージと不利を押し付ける。それが投げ手の本質である。
  故に。姫乃里に意識が存在したのは、その瞬間までのことであった。

【続】

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