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青春が終わらない

「終わらない青春」と聞いて、皆さんはどんな感想を抱かれるだろうか。

終わらないなんて素敵、と思うだろうか。
それより、それってどんな状況?と気になってしまうだろうか。

私はとあるバンドのファンをしている。

確か、ファンになった年にそのバンドはデビュー25周年を迎えていたと思う。私が20歳になる年だった。(誕生日を迎えていなかったため、まだ10代であった)
それからさらに25年が経過したわけである。今もたくさんのファンを抱えて精力的に活動をしているので、私がいまさらこのバンドについて訳知り顔で語ることはとても無粋だと感じるし、この記事ではちょっとネガティブめなことを書くので、ここでバンド名を含め詳細を語ることはやめておく。
(そんな長い間活動しているバンドなどそうそう存在しないので、きっとあのバンドだと想像がついていることと思う。だとすれば正解です。)

件のバンドは、だいたい通年こんなスケジュールで活動している。

  • 4月〜6月に春の全国ツアー

  • 8月に夏のライブ

  • 10〜12月に秋の全国ツアー

  • 12/24〜29にアリーナツアー

私は独身のころだと、だいたい1ツアー6本くらいのペースで遠征していた。夏のライブを足し、大晦日のライブまでざっと計算すると年間約14本のライブ参加である。
31歳で結婚したので、それまでの約10年間そんなペースで参加していたとすると、まあだいたい140本くらい。
結婚してからも地元のライブには行っていたし、行けるときは旅行がてら夏のライブに行ったこともあるのでそれを換算すると、私程度のファンでも(そう、25周年でファンになったような私はヒヨッコの殻がやっと取れたくらいの感覚なのだった)おそらく今までで200本にギリギリ届かないくらいの本数を通っているわけである。

ファンになってからの私の25年。
10代の最期から大人になるまでの多感な時期。
共にそのバンドがあり、ライブがあり、曲があった。
ふとその曲を聴いた人なら「ラブソングだな」「コーラスがうまいな」としか感じない曲だが、私の場合は違う。
野外ライブですごい雨が降ってびしょびしょになり、帰る途中の公衆トイレで服を絞った光景や、また別の年の、失恋したてで泣きそうな気持ちなど…友達、風景、そのときの私生活…とにかく色んな過去の場面が付随してくるのだった。

まるで思い出のジュークボックスみたいに。

バンドが全く変わらず活動をしてくれているおかげで、私の青春は歌を聴くたびその曲に付随する過去がつい先程のことのように蘇り、20歳の私と地続きに、いまだ続いているのだった。

それを幸せだと言って良いのだろうか?
たぶん言っていいと思う。
変わらないことは幸せだ。
でも、同時に私はほんのりとした怖さも感じてしまう。

普通の人は、青春時代にはまっていたテレビ番組が終わったり、推しのアイドルが卒業したりして自然と少しずつ変化し、その後のシーズンにだんだんと移っていくものだと思う。
私も実生活では環境も人付き合いも人生におけるステージも変化し、それなりに歳を積み重ねてきた自覚がある。

が、ライブ会場の中では違う。
ライブ会場は異空間だ。
演者のスタンスも観客のテンションも1ミリも変化しない。少なくとも遠目に見る分には外見もさほど変化していない。そこにいると、自分がまるで全く変わっていないような強烈な錯覚に陥るのだ。
異空間のなかで44歳のはずの私が、瞬間的に19歳や26歳に巻き戻る。そしてもはや何歳なのかわからなくなる。関係なくなるのだ。
私は、私たちは、ずっと続く青春時代の中にいる。
それは得難い体験であると言える。
楽しいし、嬉しい。けれど、少し怖い。
ボーナスステージがずっと続いている怖さと言えば、少しは伝わるだろうか?
幸せな怖さだ。

だが、彼らに青春時代を明け渡した時点で、今のこの感情も込みで、私は約束したのだと思う。
人生のチケット代を支払ったのだ。
もう着いて行くしかない。
途中で抜けたとしたらきっと後悔するに違いない。
私は過ぎたことに対して「なぜ、あのときこうしなかったのか」と後悔することが嫌いだ。

だから、私はもう少しの間は前向きに、この長いボーナスステージを享受していようと思う。

50周年おめでとうございます。
これからも、どうか健康に。

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