瓶せん詰め
日記
どうしようもなく何かが書きたい夜がある。そんな時にどう書いたらいいのか悩んで寝てしまうのはなんだか勿体無い気がしてしまう。だから、五十音を皮切りに書いてみよう。そういうまとめ。ただ書き出しの一文字だけ五十音であるだけだけど。
このタイトルが相応しいだろ。 ま〜じで気持ちの整理がつかないので書く。カス は〜カスカス。あなたも私もカス なんとなく、その予兆はあったと思ってる。 後付けかもしれないが今そう思ってるからその程で話を進めるけれど、 嫌な予感というか、前ならなんとなく個人に聞いていたようなことが主語が広がったり、明らかに感情の動向が変わっていたり。そういうちょっとした違和感と寂しさは感じていた。 案の定、去った。 どこか、連れてってくれると思っていた。 それなりに楽しく過ごせたし、それな
記録用 ・五月後半にまんざいやるために人とやり取りを始める。 ・六月四日に会う。二時間ほど話す ・六月十日ネタみせ予定。ドタキャン 次回十八日予定 ・六月十六日 DMブロック 終わり ふざけんな!!!!!!!!言っただろ私!!!!一番最初に「やめるってなったら言ってください!全然いいんで!」って!!!!2回言ったぞ!!!!釘刺したぞ!!!!!!!!言え!!!!!!一言でいいから言え!!!!!!!! Twitterのアカウントオリックスオタ活アカウントに変えてる
結局いつか死ぬ。 これだけが希望というのはなんか違うなと思うけど、思考の最後にこれがくる 生きてていいとか駄目とかその辺は勝手な決めつけで評価でもなんでもないので思わないが、資格に関しては思う。人と喋る資格とか、服装に口出しする資格とか、評価が直結するような資格は割と気にする。 あんまり、生きてる資格はないと思う。 大学の子のことを誰一人として信頼していないんですが、流石に3年と少しもいたら手の内晒してもいいだろうと思って少し喋ったら、共感も諭しも説教も何もなくてただ理解
クソです。しにましょう。 いいわけあるかよ。嫌なんですよ。軽々しく死ぬって言うの。言えば言うほど軽くなっちゃうじゃないですか。でも、言葉の逃げ道として一番大通りで近道なんですよねこの言葉。まあだからなんだって話だが。 自我を取り分けました。昔。 本気で痛い話だからうわ〜、、、笑 と思って読めばいい。 中学ぐらいの頃自分は自分という自覚を持った瞬間からめちゃくちゃ暗かったから、これまでの自覚を持たなかった明るい自分を保つために思考を二分させようとしたんですよ。 明るい方
ぐちゃぐちゃ思考を書いてもスッキリしなくなってきたし、今日書いたのはなんかもう既に自分の吐き出しでもなんでもないように感じてる。じゃあどうしたらいいんだよ。
希望は大体叶わない。そんなもんだろ。 席替えで前でないように願ったとしても無駄。自分が問題を当てられないように願っても無駄。自分が勉強したヤマが出るように願っても無駄。明日が来ないように願っても無駄。そんなもんだろ。だからどうせ叶わないんだよ。願ったとしても、なりたいものなんてなれないし、私には手に入れられない。手に入れられても私の力じゃない。私のためじゃない。そう出来てるんだよ。小学校の運動会。実行委員になりたかった。なりたくて、立候補して、同じ班のやつと話し合って決めるよ
書いたところで変わらない。動悸、焦燥、えずきは止まらない。誰かに相談しようにも誰に何を相談したらいいか、そもそも誰かに話す事自体すらストレスに感じる。そのくせ自分主体の雑談を始めると自分の中のぐちゃぐちゃを露呈したくてたまらない。見てくださいと、反応はいらないから見てくださいと言いたくて、言ったところで何も産まなくて、自分のどこかは全くもって言うことを求めていなくてもうわからない。苦しい。意味がわからない。 まともに生きれている。そんなはずがない。でもまともに会話している。お
自分の語彙の手前に首吊ってしぬがあっていいはずがない
終わりだ。何もかも。 私に照らされている、私が進みたい未来は真っ暗闇で称賛されるようなものではない地獄である。また、それに背いて進む真っ当な未来は、私の理想でもなんでもない輝かしくもないつまらなくて、それでいてまともな、人口的な明かりで照らされたような薄暗い未来である。 どのみち終わりではないか。 夢を見るには遅すぎる。ここにいるべきではなかったと気付くにはゴールが近すぎる。かと言って、ゴールまで簡単だというわけではない。私は未熟者なのだから、残りを悠々とゴール出来る人間はい
得るものがない。失敗から何も学んでいない。 それでいいはずがないが、積み重なった失敗は当たり前となり当然となる。そうなって仕舞えば、もう何も得ようがない。改善出来ないんだから。 改善ってのは出来る兆しがあるから出来るからするものだ。ない。ないよ。しようとしたよ。なかったんだから仕方ない。何が仕方ねぇんだよ。なかったらなかったまま、救われることなくそのままベルトコンベアにのって間引かれてくだけだろ。仕方なくねぇよ。嫌だ。普通に生きてる。普通に生きてるだろ。なんで間引かれなきゃい
うだつの上がらない日々だ。 まだ大丈夫、焦らなくて良い、いつか、いつか何とかなる。と、問題や議題を先送りにする癖に、焦燥は止まらない。 うだうだぐだぐだとのたまわるこのような日々があって良いはずがない。 いや、あってはいいかもしれないが、そんな奴が報われるはずがない。 病院へ行くべきだ。そんなことずっと前から知っている。グズでノロマで最下位の人生がまともであるはずがないのだ。前を向いて生きているなら、人はそうならないのだ。そうなってるからには原因がある。知っていた。知っている
いつか救われる。とかのビジョンが見えない。 救われることを良しとしてない。救われたいとは思ってるけど、救われる過程には自分以外の人が必要で、自分以外の人に救われた過去を持って生きていける気がしない。どうせそれ自体が救われることのない重しになる。 嫌だね。めんどくさくて。 救われることを良しとしていないなんてまるで自分に厳しいかのような言い様だけど、どうやったってどう考えたって救われるわけがないから出てる自信で、強くも厳しくもない。逃げでもある。 私の前に転がっている課題は一つ
明日が来て欲しくないとかそんなことを考える余裕すらない。 明日までに何々をしなければ、とか。 あの日までに成し遂げるために明日これをしなければ、とか。 明日に全部を詰め込んじゃって、そうやって今日昨日やろうと思った出来なかったことを悔いている。 もう明日やろうは馬鹿野郎とかそんな次元じゃなくて、どんどん玉突きにやらなきゃいけない事が溜まって溜まって苦しくなってて、今日めいいっぱいやって出来なくて、それで明日やろう明日こそ全部出来る。終わらせられるって信じて寝なきゃやってられな
Twitterが終わるって、コト?!
いつまでたっても自我を失うぞ!私は
何もわかんなくなってきたぞ!自分のこと全部!