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微環境とサイクリング

土曜日の夕方とかにカフェミュージックに浸されてしまうと、お会計をしてそこから〈生活〉に引き戻されるのが口惜しい。ざらついた生活感と無縁な、郷愁と甘美に満たされたこの場所にずっと居れないものだろうか。近所の星乃珈琲店をあとにするとき、僕は胃に収めたパンケーキと珈琲の重み以上の何かを感じる。後ろ髪をひかれる、とはこのことを言うのだろう。

こうしたことは何もカフェに限らず、僕の生活空間にあまねく及んでいる。「代金を支払って、カフェミュージックに浸されながらパンケーキと珈琲を口にし、この空間に留まりたいと後ろ髪を惹かれる」ように、何かの制約を履行すれば効用が得られて、その反作用として磁場のようなものに捕捉される。

たとえば、温々としたシャワーと寝床。あるいは、最寄りから新宿への特急電車。それから、ふらっと立ち寄れるラーメン屋。ちっちゃくみれば大体のものはそんな風にできている。

そして多分こういうのを組み合わせて僕らは〈生活〉している。

たとえば、〈府中市の端っこにある一軒家を定住地として、麻布十番を拠点とする会社のエンジニアとして週5日働く〉という魔方陣を組む。そうすると、月給30万が錬成される。しかし代償として、僕の平日は京王線と大江戸線と会社のデスクに釘付けられるし、休日もなんだかんだマインドシェアを簒奪される。睡眠負債の解消と、ストレス解消のお笑いライブと、スキルを伸ばすためのコーディングに消えるのである。

清濁合わせ飲んで適切に制約を組んでいけば、場はそれに応えて大きな効用を与えてくれるのだが、それ相応の強い磁場に引き留められることになるのだ。

とりあえず僕の社会人生活が要領をえないものだということは置いておくとすると、大小さまざまあれど、皆んなそんなふうなんじゃないかと思う。


微環境、このちゃちな生活空間。

こういうのにあてがうためのなるべくフォーマルな言葉を探していたのだが、生態学の概念として「微環境」というのがあるらしい。

熱帯の森林はさまざまな「微環境」で構成される。微環境とは、ごく狭く小さい特別な環境のことである。たとえばアリの生息場所でいうと、落ち枝や腐った木の実の中、洞(うろ)、樹上、そして地下などがあげられる。その微環境ごとに別の種のアリが生息し、それぞれの微環境で生態的に重要な役割を担っている。

丸山宗利『昆虫はすごい』

微環境とは、特定の生物や個体群が必要とする小規模な物理的条件のことである。どのような生息地にも、光、湿度、温度、空気の動き、その他の要因への露出度が微妙に異なる、多数の微環境が含まれている。
巨石の北面に生育する地衣類は、南面に生育する地衣類、水平な上面に生育する地衣類、近くの地面に生育する地衣類とは異なる。また、溝や盛り上がった表面に生育する地衣類は、石英の脈に生育する地衣類とは異なる。
これらのミニチュアの「森」の中に潜んでいる [...] それぞれが固有の生息条件を備えている。

Wikipedia『Microhabitat types』

より浸透している似た概念として、「ニッチ」というものがあったはずである。受動的であれ能動的であれ、あるいは中動的であれ、それぞれに物理的な制約を絞っていってその姿に行き着くのだろう。そうして適合した微環境から効用を得て、その反作用としてその生態的地位に強く引き留められる。

生態学においてニッチとは、ある種が特定の環境条件に適合することである。ニッチとは、ある生物または個体群が資源や競合の分布にどのように反応し(例えば、資源が豊富なときに成長し、捕食者、寄生虫、病原菌が少ないときに成長する)[...] どのように変化させるか(例えば、他の生物による資源へのアクセスを制限し、捕食者の食料源として働き、獲物の消費者として働く)を表す。

Wikipedia『niche』 

さて、すでに書いた通り、いま僕の微環境はこういう設定のもとで構成されている。

府中市の端っこにある一軒家を定住地として、麻布十番を拠点とする会社のエンジニアとして週5日働き、月給30万を貰う。

日々そうして磁場にとらわれて生きているから、ともすれば、ちっちゃな区画の行き来でいとも容易く僕を説明できてしまう。少し分解したってこのぐらいの文量で収まる。

  • 最寄りから新宿への特急に乗って、地下深くの大江戸線に乗り換える。

  • 駅前のコンビニでわかめおにぎりやパリパリサラダを買い、ビル風に煽られながら早足で歩いて、セキュリティと掃除の行き届いたオフィスに到着する。

  • ずらっと並んだ小綺麗なモニターに映された黒い画面に向き合ってコードを書く。

  • ライトアップされた東京タワーを横目に22時頃にオフィスを出て、ふらっとラーメン屋に立ち寄る。

  • 1on1 で上司にもらった小言を思い出して辛酸を噛み締めながら、来月のお笑いライブを予約する。

  • 申し訳程度に週末もコードを書き、そうしてまた月曜日、未明にかけておいた地下芸人のラジオで目が覚める。

それでも、差し当たり今のところはそうして生きるのだ。

それ以外の選択肢はいくらもあって、その上で何らかの「こうすれば俺の人生はうまくいくはずだ」という確信があって、それに従って今の微環境を選び抜いた。たまにシニカルになることはあっても、差し当たり今のところはここに居ていいんだと、そう思っている。

微環境から微環境へと

僕は近いうちに府中市の端っこにある一軒家を出ると思う。

それでも僕が微環境を生きることは変わらない。そういうものだからだ。僕はまた別の微環境を生きる。僕たちが〈生活〉するというのは、〈どこかに軸足を置いて、それに見合うように制約をうまく組み合わせ、気分に合わせて付け外ししながら、日常を運用していくこと〉でしかないからだ。

何だかなあ。差し当たりそう言えるとしても、興が冷めるか。

それならたまには、出かけるといいと思う。それもアイコニックな消費のスポットを訪ねるのではなくて、自分の生活しているエリアのずっと域外がいい。

私は休みを利用して瀬戸内海の島に来ています。この島では、五時半になると「夕焼け小焼け」が流れて、「皆さんお家に帰りましょう」と町内放送で呼びかけられます。思わず私は、醤油の香りのする路地を走り、海の見える家に帰る人生を想像します。晩ごはんは、小さくてさくっとした歯触りの烏賊をさらっとお醤油で煮付けたものかな。あの煮付けたお汁を白いご飯にかけて食べるの、お行儀が悪いけど、おいしいんだよな。

今ある人生とはまったく別の一生を思い浮かべてみる。私が旅に出る醍醐味はこれに尽きます。今の人生に不満がある、というわけではありません。むしろ満足している。けれどもそれでも、自分の人生がまったく別のものであった可能性を考えてみることは、私が自分の人生というものを引き受ける上で、大切な思考の手がかりである気がします。

宮野真生子、磯野真穂『急に具合が悪くなる』

例えば、サイクリングなんてどうだろうか。

知っているある地点とある地点とが、どのように地続きに繋がっているのかを身体的に知ることには、根源的な楽しさが詰まっている。

鉄道や幹線道路を揺られていると、自分がいま東京のどこを移動しているのかすら意識しない。でも自転車で風を切ると、その路地に息づいている「自分ではないだれかの〈生活〉」をたしかに感じ取ることができる気がする。

と、偉そうに言っておいて、じつは僕はたぶんごくごく最近まで他人(ひと)より狭い域内で生きていた。

家の近くの鉄塔から見渡せるぐらいの、その辺で生きていた。

大きな地名をもって自分の居所まで入れ子で繋いで、東京都府中市四谷うんたらと名状的には何もかも知っているつもりでいて、実践的にはあまりに小さな微環境を生きてきた。

それが、大学4年の春に就活を終えて、僕の脳内東京都の「都心」と書いてあるエリアにボンッと「麻布十番」が出現した。そりゃ電車を乗り継いで何度も会社訪問したし、土地勘なんかなくても生きてはいける。

ただ僕にとっては、何の記憶も蓄積されていない地点に〈生活〉の重心が発生したことが強烈な不安になった。だから、自転車を漕ぐことにした。それが片道30km以上ペダルを回した最初の経験だったと思う。

そこから急ピッチでワーワーと自転車を走らせ、ようやっと社会人になる前に、僕が郷愁を感じるエリアがとんでもなく狭いこととか、東京の横幅がかなり長いことぐらいはわかるようになった。

そんな浅はかな経験からこんなことをのたまうのもおかしな話だが、微環境でしか生きられない存在でよかった、としみじみ思う。僕には行ったことのない路地が残されている。それもほとんど無限に思えるほどに。

弱冠二十歳。東京の真ん中に生まれて、高等教育をストレートに登って、もうあらかた知ってしまったような諦念があった。希死念慮などひとつもないが、ただ終わりのない日常を生きていくような薄暗い予感が立ち込めていた。

府中市の端っこから麻布十番まで自転車を漕いだ日のことを僕は忘れられない。それが全部違ったことに気づいたのだ。「宇宙を見上げると、世界を見渡すと、僕なんかちっぽけなんだ」とかそんなんじゃなくて、そもそも普段使ってる道の、その脇道すら大して知らないのが実際なのである。

土から離れてただ地続きに道を行き、そこまでの景色がどうなっているかを知る、というとってもシンプルなことが、僕に大事なことを教えてくれたのである。

前置きの口上が長くなった。だからそういうのの足がかりとなるツールをひとつ作りたい。機能はきっと少なくてよくて、「現在地と移動距離を入力とし、マップ上にランダムにピンを立ててそこへの経路を提示することを出力とする」ことを最小機能としてリリースしたい。

適当に「ここに行ってみれば?何があるかは知らん」と言ってくれるアプリ。

僕にとっては救いになるアプリだ。

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