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「八月の銀の雪」を読んだ


「八月の銀の雪」や「玻璃を拾う」の主人公のように、出会った人をなんとなくの印象やステレオタイプみたいなのに当て嵌めて受け取ってしまうこと、非常に心当たりがあった。マッチングアプリとかね。(トホホ…)
当たり前だけど、知ろうとしないと分かれないことで世の中は溢れてるんだな〜と思った。


「海へ還る日」で書かれていた、地球で進化してきた悟性や意識には、大きく、ヒト山とクジラ山の二つがある話。脳にヒトよりも多くのニューロンを持つクジラがいるらしい。この話、かなり目から鱗だった。

光に乏しい海で生きるクジラたちは、おもに音で世界を構築し、理解している可能性がある。文字や技術を持たないので、外に向かって何かを生み出すこともほとんどありません。だったら彼らはその立派な脳を、膨大な数のニューロンを、いったい何に使っているのか。もしかしたら彼らは、我々とは違って、もっと内向きの知性や精神世界を発達させているのかもしれないーということなんです。

p.145

無知の知……じゃないけれど、すべて私の尺度だけで世界を見てはいけないんだなぁ〜と改めて思ったし、近頃は亡くなった実家の犬、何を思って生きてたのかな〜とか今どうしてるんだろうな〜ということに思いを馳せることが多かったので、ヒトがその全てを理解できずとも、クジラをはじめとした動物の思考の世界、興味深いな〜と感じたりした。

はたまた、SNSで匿名無限の意見に簡単に触れられてしまう現代のヒト世界、そのいちいちに共感や違和感を繰り返していくことをかなり不毛に感じていた最近だったので、内向きの知性を高める……という生体の可能性、かなり羨ましくもあり、ヒト並みに刺激を受けていきたいとも思った。

どこか「イルカ」や「クジラ」、日常で触れるのは平面的なイラストや写真が多いけれど、こうした仮説を知ったり、はたまた博物館や生きる様を見られる場に足を運んだりすることで、捉え方はいくらでも豊かにしていけるんだよねぇ。


明日の将来とか、はたまた地元とか、どこか向かう足が重くなってしまう先のある主人公たちが、何かを知ることで一つの固定概念みたいなのを壊すきっかけになっていく。それで大きく生活が変わるわけじゃなくても、捉え方とか考え方を広げるっていうのは、生きづらさを解いていく一助になり得るんだなーということを、どの章からも感じたりしました。


わたしは根っからの文系人間だけれども(むしろ理系という言葉に拒否反応を起こしそうにすらなる)これまでは生活の背景の一部でしかなかった事柄にある、例えば街を飛ぶ鳥とかお風呂場の珪藻土バスマットなんかの背景や成り立ちなんかを知ることってめーちゃ楽しいな〜と思えたので、やっぱり本を読むゆとりを持って生きる、ということは大事にしていきたい。


友人と共読を始めてはや数ヶ月。今回が初めての選書担当だったわけですが、理系小説…一人で読むなら絶対手に取らない…と感じたこと、またタイトルにある「八月」というのも決め手の一つになりました。

最後の「十万年の西風」を読んだら、今月に読めたことの意味を噛み締めたくなったりしたので、個人的には満足度の高い読書体験でありました。先月読んだクジラの出てくる小説との通じる部分も、探したくなったしね!


圧巻の参考文献の数を見て、世の中にはまだまだまだまだ知らないことがあるな…………を実感したね。本読むの、楽しい〜〜!!!!!


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