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沈黙を経て(1)

遅ればせながらご報告

です。

とうとうわたしにも心臓移植の順番がまわってきまして

昨年移植手術を無事に乗り越え、
人工心臓のない普通(であったはず)の生活に幸せを感じながら今を生きています。

石切さんへお礼参り

元気な心臓って、こんなに元気なんだ。

毎日そう噛み締めながら過ごしています。
元々運動が好きな性格ではありましたが、今までスポーツを楽しんでいたつもりが

心臓的にはしんどい思いをしていた
んだなと、今頃感じています。

今では
30代半ばにして人生最高の体力パフォーマンスを発揮しています。

トクっトクっ…
心臓の鼓動として形容されるこの擬音語。
今までの心臓(※)が「トクトク」としたら、今は「バンバン」

バンバンと均等に鼓動を打って、心臓が動いています。

検脈するたび動いている心臓がありがたいと思う


新しい未来を開いてくれた、提供してくださったドナーさん。
究極の選択を怒涛な時間のなか決断してくださったドナーの家族のみなさん。

ほんとうにありがとうございます。

「感謝」以上の言葉

があれば、私はそれを使いたい。

「当たり前の生活」を1日でも多く楽しく過ごすこと
が、
私が感謝したい人たちへの恩返しになる。
移植後はそう思って毎日生きています。


…厳密にいうと、今でもいろんな感情が湧き上がってきますが、そう思って生きていく事にしました)


さて本題なんですが

昨年の一時期より、わたしのSNSやホームページの更新等、公の場から姿を消しておりました。

理由といたしまして、
長期の移植待機生活に加え、
いつ来るか(移植の呼び出し)わからない。
待機の順番を抜かされているというウワサを耳にして

「いや、私にはそんな日は来ないのかもしれない。」

とうい考えに陥り、

さらに
移植待機者以外の人たちからかけられる言葉ごとに傷つく日々(相手に悪気は無いと思うんですけどね)を積み重ねた結果、
精神不安定になってしまい、

「誰かと関わるからこんなことになってしまった。」
と、心を閉ざしてしまいました。

心を閉ざしてしまってからも、日々はいつもどおり過ぎていき…
(軽微なトラブルは人工心臓の待機者にはつきもので…)


尊い「誰か」とのご縁

によって「そんな日」が私にも訪れたのです。

待って、待って、待ちくたびれて。
願いが叶って嬉しいはずなのに…

私が「移植者」となってからは

今度は私が、移植待機中の方やいろんな人を傷つける立場になってしまったことに心を痛め、
どうオモテに顔を出せばいいかわからなくなってしまいました。

私が一番心にダメージを受けた、「抜かされている」事実が
今は「抜かしている」立場になったこと。

受け取り方は様々だから安易に報告なんてできない。
私の一言で誰かを負の事態に追いやる可能性だってある。

どう伝えればいいのかわからないまま時が過ぎていきました。

(つづく)

※注記より
実の私の病気持ちの心臓だって、
今まで私を生かしてくれたかけがえのない存在なので、
麻酔をかけられる直前、1分ほどお時間を頂戴して最後のお別れをしました。

今頃いろんな研究室で、
サンプルとして今後の医療のために活躍してくれていることを願います。

いつも応援ありがとうございます! いただいたサポートは、これからも前向きに生きていく原動力にさせていただきます!