雨とバナナブレッド / 0720 itodenwa
旅行中に、恋人と喧嘩した。
しかも、大雨の中。
しかも、ずっと行きたかった喫茶店で。
そのお店は、夕方に開いて、夜遅くまでやっている喫茶店だった。
一回ちらっと覗いたときは満席で、あ、これは待っててもしばらく空かないやつだ、と悟り、時間をつぶせそうな場所も近くに無く、泣く泣くホテルに戻ってそのまま部屋でゆっくりするつもりだった。
21時過ぎ、やっぱり諦めきれず、思い立って一人で行ってくるというと、危ないから、とついてきてくれた。
そういうわけで、わざわざ来たのに、だ。
もうずっと冬眠から冷めていないようなうす暗い商店街を抜けて、さらに真っ暗な住宅街をさまようように進む。
コインパーキングの看板が頼りなさそうにコンクリートに照らしている中、線香花火のみたいな灯りがぽつ、と灯っていた。
おそるおそる店に近づくと、
客が居なくなったお店の前でタバコを吸っていた店主と目が合った。
注文を済ませて楽しみに待つ。
そんな中、きっかけはささいな会話の中でのことだった。
確実にあっちが99.9999%悪いやつだった。
しかも割と世間的にも簡単に許してはいけなそうなやつが急に隕石のごとく振ってきた。
恋人の名誉のために、ここでは言わないでおくけれど。
そんな中、料理が運ばれてくる。
長い沈黙の中、後できちんと理由を話す、と言われ
私も、今は食べよう、という言葉を振り絞ることしかできなかった。
お目当てのバナナブレッドも、ショックで味が全くしない。
と言いたいところなのだが、
めちゃくちゃ、おいしい。
ぶあつくて、ナイフを丁寧に入れて口に入れる。
外はかりっとした食感なのに、ふわっともちっとしていた。
口に入れた瞬間、あったかくて優しい香りがした。
こんな状況だったのでありきたりな感想しか思い出せないのが情けないのだけれど、
悲しい気持ちでいっぱいになってしまった私の心から
バナナブレッドの圧倒的な美味しさで、目の前の恋人が降らせた隕石を軽々と吹き飛ばしてしまったのだ。
うわあ、美味しすぎる。
これは美味しすぎてしまった。
今まで食べた中で、ダントツに美味しかった。
ああこんなおいしいのに何で重々しい空気でいなければならないのだ。
私はなぜしかめた顔で食べねばならないのだ。
なんでこんなタイミングで私を怒らせるようなことをしてしまったのだ。
とっとと、このバナナブレッドに意識を集中させたいのに、
ここであっさり恋人のことを許してしまって無かったことにできるような懐の広さは私には無かった。
けれど、バナナブレッドは何回口に運んでも美味しい。
悲しい。
恋人にひどいことをされて、
こんな状況の中でもバナナブレッドは美味しくいてくれることに
泣いた。本当申し訳ねえ。
それを見て、何も言えず、自分の皿の料理を食べ進める恋人。
するする泣きながらなんとか食べ進める私。
視界の隅で、静かに困惑している店主。
この時間でこみ上げたいろんな感情をこらえて、結局お店を出るまでいらん意地(多分健全な意地だよな、であって欲しい)を張り続け、
店主にとても美味しかったです、と笑顔で伝えられず、それも悲しくて、
ホテルでバケツをひっくり返したようにわんわん泣いた。
そんな、旅の忘れられない味の話です。
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ito den wa
@amainigaiaji
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