歳とともに
もう40年以上前、当時住んでいた中野の古長屋の近所に、ブリキのオモチャをカウンターにずらりと並べたカフェバーのような店があった。
深夜3時頃まで空いていたその店に、時々、本を携えて行った。いつも、カウンターの内側で、緑魔子似の長い髪のオーナー?がタバコを燻らせていて、その漂う煙を嗅ぎながら、コーヒー一杯でずっと本を読んでいた。
あのとき、どんな曲が流れていたかなと、ふと気になった。よく思い出せないけれど、MJQのようなカルテットの軽くメローな曲が漂うように流れていた気がする。
漠然とした記憶を手繰りつつ、それっぽいプレイリストを流しながら、明恵に想いを馳せる。
清廉を絵に描いたようなイメージの明恵だが、修行への専心が足りない己を鞭打つために耳を切り落とすという激烈さを持ち、また、若い頃にはどうしようもない煩悩に苛まれ、それを理趣経の教えを受け入れることで払いのけたといった共感を呼ぶ人間味を備えていたことに、人は単純ではないのだなと、なんだか勇気づけられる。
人にとっての幸せというのは、向かうべき一つのことを持ち、自らの「あるべき様」がわかるということなのかもしれない。
自分を振り返れば、あのブリキのオモチャの並ぶ店で、深夜、本を読んでいた自分のほうが、今よりも「あるべき様」がわかっていたんじゃないかと思う。
つまるところ、凡人は、歳とともに愚かになりゆき……か。
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