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知識の記録方式 (99) Eメール

Eメールは広く社会に浸透した。便利であるが、この方法が知識の記録方式には大きな問題を与えている。

伝達することだけの機能が問題である。伝達だけを目的として使っている便利さに影でどのような問題があるか考えてみたい。

 仕事で用いる場合、相手に正しく理解して貰う為に、結構な長文となリ、伝達したいことに比べ時間が無駄となる。

 メールに自分の考えや相手の考えなどを伝達し合う事ができても、考え方の整理はメールを探しながら時間軸について再整理が必要。議論する人数が多いと大変手間がかかる。

 誰が先にメールの中で発した意見なのかが直ぐに分からない。

ファイル添付は、原本が何かを不確かにしている。社内のサーバにあるファイルでも、原本であることの管理が難しい。

 ファイルが原本だと思っても実際には相手に古いファイルを送ってしまっているかもしれない。相手は、最新だと思って、自社内のサーバに管理する。お互いにファイル管理が混沌としてくる。

 添付した原本のディレクトリが取得できず、自分の管理下(個人のPC)にコピーを保存する。結局、共有化が崩れていく。

セキュリティ面でも、メールは別管理となる。社外とどんなメールを交わしているかにおいてコミュニケーションの制限を設けるか、性善説にて自由とするかなどを、ポリシーが企業にて異なる。

 セキュリティポリシーの異なる企業間のコミュニケーションは添付ファイル送信するだけでも圧縮、パスワード設定などに手間がかかる。

メールは郵便と同じである。40年も経過した郵便のアプリであるEメールの仕組みは本当に今後も使うべきなのだろうか疑問に思う。



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