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人は皆、一人ぼっちの星。だからこそ… 「美少女戦士セーラームーンR(劇場版)」感想

諸君、セーラームーンは好きだろうか?
私は大好きだ。先日の乃木坂セラミュにも行ったし、セーラームーンミュージアムにも行ったし聖地・麻布十番は頻繁にバイクで巡礼している。
特に武内直子先生(以下「直子姫」)の原作漫画版が大好きで、中でも第五部は何度も読み返している。ご存知の通り記事タイトルにある「一人ぼっちの星」とは第五部最終決戦でのエターナルセーラームーンの台詞である。

ここで何回泣いたかわからん

なら当然一番好きなセラムンアニメは「Cosmos」か?と言われると違う。もちろん原作漫画を忠実に再現しているが旧アニスタッフが自我を出したせいで詰めの甘い部分もあり「原作の劣化版」感は否めない。
TVシリーズでは初代とセーラースターズが特に好きなのだが、それをも凌ぐ傑作中の傑作がある。

それがセーラームーンR(劇場版)である。

海外版サブタイは「The Promise of the Rose(バラの約束)」

監督はあの幾原邦彦。
ウテナやピンドラで見られた影を使った独特の演出やピクトグラムのように動くモブを使ったナンセンスギャグはもちろん健在。
「一人ぼっちの星」という言葉こそ出てこないものの第五部やセーラースターズにも通ずるテーマ性を持つのが本作である。

余談だが原作第五部のアニメ化「Cosmos」では本作のセーラームーンの変身バンクがオマージュされている。



開幕20分の完璧なキャラ掘り下げ

本作は60分の短い映画である。開始10分でアクションしつつ未見の人にもわかるようにセーラー戦士やタキシード仮面がどういったキャラクターかを掘り下げ、20分でメインヴィランのフィオレがどんな奴なのか、そして黒幕が誰なのかを明かす超スピーディーな展開で進む。

幾原邦彦特有の男男巨大感情

幾原邦彦作品は男性同士の絡みがとにかく濃い。
「輪るピングドラム」の冠葉と晶馬なんて最たるもの。
そして今作のメインヴィラン・フィオレはまさにイクニの男であり、どんな奴かと言うと「CV:緑川光のヤンホモ」で早い話がまもちゃんのストーカーである。
偶然流れ着いた地球で両親を亡くしたばかりの衛に出会い、別れ際に貰ったバラの花の美しさに感動した彼はそのお返しの花を持ってくると約束した。
だが、その花がとんでもない特級呪物で人の弱い心に漬け込み様々な星を滅ぼす悪魔の花「キセニアン」だった。
キセニアンに寄生された者はエゴが増幅され心が歪み、早い話が「無敵鋼人ダイターン3」のメガノイドになる。元々ヤンホモ気味だったがキセニアンに寄生されたせいで「衛くんを孤独にした地球人に復讐してやる!」と考え地球人を抹殺しようと企む…というとんでもない奴である。

このピンク色の人がキセニアン。めっちゃ悪いやつ

タキシード仮面が出てくるシーン以外でもバラの花びら舞う演出が効果的に挟まるのだが、まあ薔薇の隠語は…わかるよな?

男同士でもお姫様抱っこしていいんです

原作漫画版の実質的な初アニメ化

原作準拠の正式なアニメ化はCrystalシリーズだが、私は劇場版Rを「原作版の映画」だと思っている。理由は単純でセーラー戦士たちの回想シーンが原作準拠のものだからである。
特に顕著なのはアニメと原作では別のキャラクターと言えるくらい相違点が大きいセーラーマーズ/火野レイの回想シーンである。初代アニメ版ではカットされてしまったが、自身の霊感のせいで孤独だったレイはうさぎと出会いセーラー戦士として覚醒した事で生きがいを見つける。さらに短編漫画「カサブランカ・メモリー」では彼女が戦士の使命に依存している事がよくわかり、それらを踏まえた回想シーンが劇場版Rでは描写されている。
イクニは直子姫の原作漫画を軽視した発言が多く原作ファンとしては非常に不愉快なのだが、原作の世界観を踏襲したミュージカルに触れたことで考えを改めこの映画を作ろうと思ったというのは有名な話。何だかんだこうして原作版を大切にしてくれている事がわかる一本でもある。

未回収の原作要素を拾った第一部の再構成

もっと踏み込んでみよう。第一部ダーク・キングダム編は原作が月刊連載である関係で最終決戦の展開は大きく異なる。具体的に言うと旧アニの最終回は原作全14話のうちのAct.13をベースに作られている。なので今作「R」はAct.10~14の未回収の原作要素を拾いつつ、前世を幼少期に置き換え、ベリルをフィオレという新キャラクターに置き換え、更に衛をヒロインから「もう一人の主人公」に戻した第一部の再構成なのである。 


一人ぼっちの星たちを包むうさぎの愛

フィオレ「孤独が、僕や衛くんの孤独がお前たちに分かってたまるか。孤独を知らぬお前に!」
セーラーマーズ「分かってないのね。うさぎに出会わなかったら私たち、ずっと一人だった…!

天才的な頭脳故に周りから避けられていた亜美
霊感の強さから周囲に不気味がられていたレイ
大柄な体格なせいで周りに怖がられていたまこと
戦士として孤独な戦いを強いられていた美奈子
両親を事故で亡くした衛
ネグレクトを受けているちびうさ
そして、宇宙を孤独に彷徨っていたフィオレもうさぎに出会わなければみんな一人ぼっちの星だった。

「何を怖がっているの?大丈夫よ。あなたはひとりじゃないわ…」
銀水晶の光の中で全ての真実を知るフィオレ

出番が少ないながらちびうさはフィオレ以上にうさぎに救われていたと思う。
今作のちびうさは他の戦士と違い回想シーンはないが原作第二部および「Crystal」を観ていれば親の愛に飢えているのはわかるだろう。
終盤、うさぎ達の帰りを待つちびうさはこんな言葉をこぼす。

セーラームーンはみんなのママだもん。きっとみんなを守ってくれる…

そう。セーラームーン・月野うさぎはみんなのママ。慈愛の心で敵も味方も包み込む。
ネオ・クイーン・セレニティはちびうさの母親さえまともにできなかった。
しかし月野うさぎはちびうさ含む「みんなのママ」であり、戦士としてはもちろん母性でも未来の自分を超えたのだ。
原作版・アニメ版ともに月野うさぎは過去と未来の自分を反面教師にして成長する。その強さが客観的に、そして的確に表された名台詞だと思う。



愛の循環、そして命を救う特別なキス

劇場版R
原作Act.14

原作アニメ問わずうさぎと衛は頻繁にキスをする。愛を証明したり洗脳を解いたり新しいアイテムを生み出す勝利の鍵になったり…。劇場版「R」はダークキングダム編の再構成なのあって全く同じ構図なのだが、今作のキスはこれまでとは違う特別なものだ。なにせ命を救うからだ。
クライマックスで銀水晶の力を全て解放し地球を守り抜いたうさぎは死んでしまう。だがフィオレが託した最後のエナジーを込めた花の蜜を衛から口移しされる事により奇跡の復活を遂げる。
衛の治癒能力やサイコメトリー能力は旧アニでは描写されなかったが、今回はエナジーの口移しによって擬似的に再現されていたと思う。これも上記の「未回収の原作要素の回収」のひとつだ。

というか、これピングドラムのプロトタイプだよね。うさぎから衛へ、衛からフィオレへ、フィオレから衛へ、衛からうさぎへ。愛の循環そのもの。

劇場版R
輪るピングドラム 第24話「愛してる」 より


そして名曲「Moon Revenge」がもう一度流れてエンドロール。
泣かないわけがない。フィオレもまた少年の姿に退化し宇宙を漂流するが、今度はもう孤独ではない。どんなに遠く離れていてもうさぎや衛との愛で繋がっている。

最後に

原作漫画版しか読んでない人。
原作漫画は好きだけど旧アニメ版は嫌いな人。
むしろそういう人にこそ観て欲しい映画だ。他の旧アニメを観ていなくても楽しめる作りになっている。U-NEXT等の各種動画配信サービスで見放題なので、興味がある方はぜひ。
昔懐かしいフィルムコミックス(今の子わかるのか?)ではさらに原作漫画に近い内容に修正され「セーラーV」との整合性が取られている。

遠近法を駆使して露骨に月の方が大きく描かれているが、セーラームーンはみんなのママなので当然である。




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