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「FF14 黄金のレガシー」をクリアした感想(ネタバレ注意)

FF14の新拡張「黄金のレガシー」を、アーリーアクセスからプレイして先日ようやくクリアしました。

黄金をクリアしたと言ってもメインクエを終わらせただけで、サブクエは殆ど未消化だしロールクエもやってない状態。
なのでその辺で補足説明とかがされている可能性もあるけど、今回はメインクエについていろいろと消化不良な部分が多く、自分の感想や考えを整理するために何か書きたいと思った。ので書きます!

当然だけどネタバレ全開で書くので、ネタバレ嫌な人はご注意を。
あと書いてたら滅茶苦茶長くなった。

一応僕のFF14歴に軽く触れておくと、新生初期からのプレイヤーで当時はバハ真成編まで割と真面目に攻略してたけど、蒼天編のアレキの一番最初のやつ(起動編だっけ?)の途中で仕事が忙しくなったのもあって飽きてやめて以降は、エンジョイ勢としてゆるくコンテンツやストーリーを楽しんでおります。
メインジョブはモンク、ゲーム内でのフレンドはほとんどおらず、基本的にはリアルの友人たちと遊んでいる。そんな感じ。



黄金のレガシーに期待していたもの

上陸したらまずはタコスが食べたい顔

事前に吉Pがしきりにアピールしていたキャッチコピーとして、「ヒカセンに贈る最高の夏休み」みたいなことを言っていたと思うのだが、正直これは黄金のレガシーの情報が出始めた当初から僕には全然刺さってなかった。

僕はFF14内の自キャラに思い入れがないタイプで、ミラプリとかハウジングとかもまったく興味がないので、FF14の世界で最高の夏休みを過ごしてください! と言われても正直「???」って感じだったし、別にFF14にそんなものは求めていないが…とは思いつつも、「まあ吉Pが次の拡張のテーマとしてそういうのがやりたいなら、良いよ…/////」という程度。

なので黄金のレガシーのアーリーアクセスが始まっても「うおおおお、最高のバカンスするぜぇぇええ!」みたいな興奮はなく、今度はどんな新天地が待っていて、どんな物語が始まるのかな、というワクワク感のほうが大きかった。

そもそも、暁月まででハイデリン・ゾディアーク編が幕を閉じて、ある意味FF14の物語がハッピーエンドを迎えたあとのリブートというか、またここから新しい物語を始めようって感じの立ち位置が黄金のレガシーなわけで。
漆黒~暁月みたいな、それまでのヒカセンの膨大なプレイ時間の重みが物語自体の重みとなって立ち返ってくるような、あのクライマックス感やカタルシスは黄金のレガシーでは到底味わえないことはよくわかっていたし、これからまたいくつもの拡張を跨いで広がっていく新しい物語の予感や片鱗を味わいつつ、黄金のレガシー単体としてもそれなりにまとまった物語を楽しめたらいいな、と思っていたヒカセンを待ち受けていたものとは……!?


メインストーリーの総評

今回の主人公はヒカセンではなくウクラマトだったね

全体としては王位継承レースが描かれる前半と、サカ・トラルに赴いてからゾラージャと対決し、スフェーンを止めるため鏡像世界へ向かう後半の二部構成になっており、それぞれのエピソードはコンパクトにまとまっている印象。

王位継承レースもゾラージャとの対決も、スフェーンやリビングメモリーでのエピソードも、それぞれもっと掘り下げて緻密に描けばもっと重厚で感情移入できたり考えさせられる物語にできたと思うんだけど、全体的にあっさりと進行して登場人物の心情や行動について最低限の説明しかしなかったり最低限の説明すらもなかったりで、なんかストーリーのプロットだけ追って終わったみたいな感じになってしまったのが非常にもったいなく感じた。

辛辣な言い方になるが、周囲の状況や登場人物の行動がストーリーのための歯車にすぎないというか、生きてる人間としての厚みがないというか、それぞれの状況や登場人物の行動に納得感がない。つまり掘り下げが足らないということなんだけど。

二部構成にする意味あったんだろうか

王位継承レースだけを先に決着させなくても、ゾラージャの鬱屈した感情の爆発、そして実父であるグルージャジャへの造反、新生アレクサンドリア連王国の武王としての敵対と侵略、その陰で別の目的をもってゾラージャを利用しつつも苦悩するスフェーンの思惑、みたいなものを、前後編の二部構成にせずに一つの大きな物語として描くことも可能だったんじゃないかなと思う。

それを二部構成にしちゃったから余計にそれぞれのエピソードが駆け足であっさり薄味なものになってしまった感があり、その割に各所に「これいる?」というような謎のエピソードが挟まってくるので何かバランスが悪いというか、色んなものの掘り下げが足りない状況でよくわからないエピソードを見せられると「これが掘り下げパートか!?」って期待させられるわりに何も掘り下げないので、「僕が今見せられたのは何だったんだ…」になる。

特にサカ・トラルに入ってからの西部劇風のエピソード、あれマジでなんだったん…。

もはや早撃ちが自慢のあのやんちゃボーイの名前すら覚えてないけど、あの一連の流れ無くして代わりにもっとゾラージャなりスフェーンなりの掘り下げをすれば良かったんじゃないのと思ったんだけど、他の人の感想を見たらみんな同じこと言ってて笑ったいや笑えない…マジであれなんだったんだ。

プレイヤーの予想を裏切るついでに期待も裏切る展開

物語の展開として、プレイヤーの予想を裏切るというのは重要なことで、「ええ、そうなるの!?」、「うわ、そうきたか!」という意外性や驚きというのは必要であると同時に、プレイヤーの期待を叶えるということもやはり重要なわけで。

黄金のレガシーではメインストーリー全編を通して、プレイヤーの予想を裏切りながらも期待を超えるという作業ができていなかったように思う。

代表的なところでは、黄金郷の扱い方。
拡張パッケージのタイトルが「黄金のレガシー」なのだから、黄金郷はきっと今回のメインテーマになるのだろう、新大陸で黄金郷をめぐる大冒険が待っているのだろう、そう僕は期待していたのだが、開幕早々継承の儀の説明でグルージャジャが、

「黄金郷はありまぁす!ていうか俺がすでに見つけてきたので、今回は俺が考えた試練をクリアしてスタンプラリーをして、その入り口まで行ってきてね!ガハハ!」

とか言い出したので、
いきなり出来レースなんかーい!ズコー_(┐「ε:)_って感じだった。

しかも黄金郷の扉の前にたどり着いた時点でゴールで、グルージャジャが出てきて、

「ガハハ、よくやったな! じゃあお前が次の王だ! よし、帰るぞ!」

それでお家に帰るなら、別に黄金郷にたどり着くことが継承レースの勝利条件である必要なかったじゃん…って思っちゃった。

せっかく黄金郷にたどり着いたのに入らずに帰るんかーい!ズコー_(┐「ε:)_みたいな。
まあ黄金郷自体には後々入ることになるわけだけど。

あとは、サカ・トラルに入って鉄道が登場したときもワクワクしたんですよ。
エオルゼアではザナラーンに線路があったり、第一世界でもアム・アレーンにトロッコがあったり、あとはガレマルドでは輸送列車があったりしたけど、鉄道に乗って旅をするというのは初めての要素だったから、西部劇風の荒野を蒸気機関車っぽい見た目の列車で旅できるのか! ええやんええやん! と期待に胸躍らせたのも束の間、鉄道乗れませんからの爆弾列車作ってドームの入口っぽい基地に突っ込むぞ! の流れは「ええ……」ってなってしまった。

ゾラージャ兄さんの扱いもそうで、全然喋らず本心を明かさない寡黙な長兄が、味方になるにせよ敵になるにせよ、そこにはきちんと彼がそれだけの行動をするに足る背景があって、彼には彼の想いがあって生きていたんだと感じることができる、そんな展開を期待してたが特にこれと言って掘り下げはなかったし、プレイヤーの皆さんのご想像にお任せします状態になってしまった。

あとヴァリガルマンダね。
トラル大陸最強のトラルヴィトラールにして、生きる災害とまで言われたヤバいモンスターともなれば、それはもう復活したらトラル大陸全土が厳戒態勢になって、王位継承レースも一時中断して、連王グルージャジャも出てきて全員一致団結して総力戦になりそうじゃないですか。

なのに、ヴァリガルマンダが封印されていた場所の近所のヨカフイ族の人たちですら、「びっくりしたー…マジ熱かったわ…」「マジで熱かったな…なんや今の…」みたいな温度感で、他の集落に至っては何も変わらない平和な日々を送ってるわけですよ。

で、ウクラマト一行がヴァリガルマンダを追いかけていくと、なんか虹色の地層が特徴の平野に出て、「きっとこの先にヴァリガルマンダがいるはずだ…!」。

デーン

コンテンツ解放
ヴァリガルマンダ討滅戦

ずいぶんアバウトやな!? なんかもうちょっとヴァリガルマンダを視認できる距離まで追跡して決戦を挑むとかないんか!?

暁月の時に最初の討滅戦でいきなりゾディアークが出てきて興奮したけど、さすがにあそこまでとは言わないまでも、もう少しなんというか、ヴァリガルマンダの強大さとか脅威とかをしっかり描いて、国の存亡をかけた危機感をもって対決する構図がほしかったな。

細かいことを言い出したらキリがないんだけど、とにかく黄金のレガシーはこういった、プレイヤーの予想を裏切るだけでなく期待も裏切ってる部分が多く、それぞれのエピソードの展開や登場人物の行動が頓珍漢でツッコミどころに溢れており、駆け足で掘り下げもなくあっさりと流れていくので、誰にも感情移入できないし、感情移入できないがゆえにそれぞれのキャラクターの行動や発言についても、「はあ、そうすか…」程度の浅い感想しか持てない状態になってしまった。

キャラクターの厚みのなさ

それぞれの登場人物が、ストーリーの上で与えられた役割以上の厚みというか奥行きというか深さを持ってなくて、自分で考え今日まで生きてきた一人の人間としての自我を持ってる感じがしなかった。
それは全体としてのストーリー展開の問題もあるけれど、些細なセリフ回しや個々のカットシーンでの立ち振る舞い等の中に透けて見える薄っぺらさのようなものが積み重なっていったことが原因のようにも思う。
各キャラについての所感は後述するけど。


登場人物について

クルルは今後もプリザベーションに狙われるのだろうか?

暁月の大団円をもって暁が解散したので、黄金のレガシーではどんなふうに暁の面々が関わってくるのかなと思ってたけど、トラル大陸ではまったく新しいキャラクターたちがメインで暁の面々はサポートに徹していたのはとても良かった。

なんならヒカセン単身で新大陸へ旅に出て、一人でトライヨラの人々と出会って王位継承レースに参加する流れでもよかったくらいだけど、まあそこは暁のメンバーへのプレイヤーの愛着もあるし、いきなりレギュラーメンバー全交代というのも極端なので、今後徐々に暁メンバーがフェードアウトしていったりするのかもしれないな?

ただ、ヒカセンを含め暁メンバーがサポートに徹した結果、なんかウクラマト王女の冒険を後方腕組み英雄面をして見守るだけのヒカセンになってしまって、FF14の新しい物語の幕開けというよりは、ウクラマトを主人公として描かれるFF14の外伝みたいだな、とは思った。

あと、事前の触れ込みでは暁メンバーを二分して、王位継承レースの熾烈な争いを繰り広げるみたいな感じだったので、サンクレッドやウリエンジェとガチガチにバトルしたり互いに蹴落とし合ったりするのかと思いきや、序盤のIDでちょっと岩落としますよごめんなさいね~ってされたくらいでそれ以後は概ね仲良しでなんなら共闘してたのは、明らかにプレイヤーの誤認を招いたと思う。
コラッ! 吉P、ダメだぞっ!

ここからは、各キャラクターについて思ったことをつれつれと書いていく。
プレイ中にメモしてたわけじゃないので、記憶違いや見落とし、見たけど忘れてることなど色々あると思うのでその辺はゆるして…ゆるして…。

ウクラマト

黄金のレガシーの主人公。明確に今回の物語の主人公は彼女であり、ヒカセンは傍観者だった。

偉大な連王であり義父でもあるグルージャジャの後を継ぐために、そして大好きなトライヨラの平和と民の笑顔を守るために、愚直にも明るく突き進むNHK教育テレビの道徳番組にいそうな「平和!笑顔!家族!」ガチ勢脳筋ウーマン。

博愛的で素直で明るく、しかし世間知らずで「王として為政者となる」ことの重責や、トラル大陸で暮らす様々な部族の生活や、国民それぞれの人生のことを本当には知らない未熟な彼女が、継承の儀を通して成長していくことになる。

物語の主人公として、彼女のそういう一面は必要な要素だし、非常に王道の展開だと思うのだが、いかんせん「トラル大陸のみんなのことが好き! みんなの笑顔が好き!」に特化しすぎてウクラマトという人間に厚みがなく、この国のみんなのことが好き好き言う割に全然トライヨラの外のこと知らないし、親父のことすげぇすげぇ言う割に親父の辿ってきた足跡についても何にも知らない、という不自然さが目立つ。

自分の国に暮らす多様な部族の文化や歴史、そして偉大な先王がトライヨラ連王国を興したその経緯について、こんなにも無知なウクラマトは一体何を見てみんなのことが大好きで平和を守りたいと思ったのか、連王グルージャジャのどこを偉大だと思っていたのか、その辺がまったく理解できなくて、ただ「平和!笑顔!家族!」と繰り返すウクラマトは空虚にも見えた。

それが最高潮に達するのが終盤のリビングメモリーでの一連の流れ。

スフェーンらアレクサンドリア王国が守っている永久人というSF版死後の世界みたいなシステムに対し、異なる文化文明の立場から拒絶反応を示しつつも、相手を「知る」ことでそこにある想いや歴史を受けとめ、賛同しないまでも理解しようとするウクラマトの姿勢は、黄金のレガシー全体に通底する「相手を知ることが相互理解の第一歩である」というテーマに則したものだと思うけど、その扱いがリビングメモリーにおいてはあまりにも軽薄で、はっきり言って邪悪さすら感じてしまった。

結局は、死者にはもう命はないのだから死んでいるべき、という自分たちの文明の倫理観や価値観に従って、リビングメモリーをシャットダウンしてウクラマトの正義を押し付けていくのだが、そのシャットダウンがあまりに軽い。
それぞれのエリアで永久人たちにちょっと話しかけて、よし、「知れた」な!じゃあ消します!で手から永久人消去ビーム。

あのな、ヒカセンはな、5年前にな、とてつもない時間を今の人類を「知る」ために費やした、エメトセルクという巨大な敵とすでに戦ってんねん。

「私を見ろ……! ほかの誰よりも長く、お前たちに交じって生きてきた! ともに飯を食らい、戦い、患い、老いもした。 傍らで死を見送り、ときには子を成したことさえある。」

「相手のことを知ると、相手のことが好きになる! 諦めずに対話を続ければ、きっと分かり合える!」
という純粋無垢なウクラマトの信念が、漆黒や暁月を越えてきたヒカセンの目には何と幼稚に映ることか。
ラマチ…それ、エメトセルクの前でも言える?

永久人たちも、べつに他の人間の命を奪ってまで生きていたくはないです、って感じに描かれていて、たとえ誰を代わりに殺しても生きたい、生きていて欲しいと願っている永久人の存在が描かれなかったせいで、永久人の存在を消去するという行為自体の悲しさとかやりきれなさみたいなものが全然なかったし。

むしろ永久人は記憶の残滓だから、気にしないでいいんだよ、そんな深刻に考えないで! これはただのプログラムで、そういう風に振舞うようにできているシステムだから! と罪悪感を消すような後押しまでされてしまっては、じゃあスフェーンもただの管理システムなんだしまともに相手する必要なくない……? としか思わないのではないだろうか。

スフェーンがこれまた問題児キャラだったのもあって、そのスフェーンの気持ちを真正面から受け止めたいんだ! と肩入れするウクラマトまで意味不明になってしまった。

ここまで言っておいてアレだけど、べつにウクラマトが嫌いというわけではなく、FF14版のびのびのんたんみたいなキャラだと思えば、まあ微笑ましく見守れはするので、僕の中では新生当時もしもししてきてうんざりさせられたミンフィリアと同じ位置くらいの、一緒に冒険したいとはあまり思わないけど、まあそういうキャラなんだね。って評価。

ただストーリー展開やシナリオライターが見せ場として書きたかったシーンの都合上、歯車として犠牲となり、人間としてのリアリティを喪失した挙動を取るに至ってしまったし、終盤はスフェーンというヤバいメンヘラキャラに巻き込まれてバグってしまった感じがあるので、前半の王位継承レースでのウクラマトはそんなに嫌いじゃないです。

グルージャジャ

ウクラマト、コーナ、ゾラージャの父にして、トライヨラ連王国の連王ということで、ある意味期待通りの良き父親であり、良き君主として、魅力的なキャラクターだったと思う。
ウクラマトについての項目で前述した「相手を知ること」と合わせて、「親から道を受け継いでいく子の物語」というのもまた黄金のレガシーのテーマにあると思うのだが、特にウクラマトとゾラージャという対照的な二人のキャラの父親として、それぞれの子供にどのように接し、何を伝え、何を遺してきたのか、そしてそれぞれの子供はそれをどのように受け継いだのか、ということがもっと描かれていると良かったな。
グルージャジャの描かれ方からして、実子のゾラージャと養子のコーナとウクラマトの間で、扱いに差を設けるようなことはしなさそうだし、なぜゾラージャはああなってしまったのか、なぜウクラマトは具体的な中身のない愛国心を持つに至ったのか、そういうところを掘り下げていたらもっと面白くなっていた気がする。
あとグルージャジャの妻や、ゾラージャが子供を産ませた妻?や、ウクラマトの実の母親など、全体的に母親の影が薄く、なんなら一言も言及されないのがちょっと不思議。
クルルの両親やエレンヴィルくんの母親は出てきたけど、トライヨラ連王国の偉大な連王の子供たちの物語としてみると、母親が不自然なほど出てこないんだよな…。

ゾラージャ

声がセクシーな寡黙キャラなので、そのうちデレたりして味方になったら人気出そうだな、なんて思ってたけど、結局そうはならなかった。

ゾラージャは、偉大過ぎる王の唯一の実子であり、子供が生まれてこないはずの双頭から生まれた「奇跡の子」として、周囲からの期待を過度に背負い込んでしまったんだろうなと。

その反面父親は自分以外に養子を迎え入れて我が子として愛し、実の子供である「奇跡の子」の自分と同列に扱い、偉大な父親にただ一人の愛する息子として認められていないのではないかという不満と、奇跡と呼ばれながら父親に遠く及ばない自分のふがいなさと、それでも父親を超えなければならないというプレッシャーによって、父を愛しながらも憎み、父の愛に飢えながらも父を超えたいと苦しんでいたところ、継承の儀で超えるべき父親に決定的に敗北し、ウクラマトにも王位を奪われてしまった。

そしてスフェーンと手を組んでゲーミングゾラージャになって帰ってきて、とうとう父親を殺して自分が奇跡の子であると証明しようとしたし、ウクラマトとコーナが継いだトライヨラ連王国を否定し侵略することで、自分の方が優れた王であり、グルージャジャの正当な後継者であると証明しようとしたのだということは、なんら想像に難くない。まあ、全然説明されてないから知らんけど。

突然出てきたゾラージャの子供グルージャについても、武王の権限を継承する存在が必要だったとかそういうメタ的な理由はわかるものの、なぜゾラージャが子供を作り、そして生まれてきた子供の存在を拒絶するのか、これまた全然説明されてない。

まあゾラージャとしては、偉大な先王グルージャジャの息子として父を超えるために、自分もまた父として子供を持ち、自分が父から受け継いでしまった(受け継がされた)呪いを、グルージャには「父として何も受け継がせない」ことで、自分の父グルージャジャを超えたかったのかもしれないということは、なんら想像に難くない。まあ、全然説明されてないから知らんけど。

グルージャを一切愛さず、何も期待せず、何も与えず、ただ父である自分が死んだ後は、父が手に入れたものを受け継ぐなり、捨てて行くなり、自分で選んで好きにしろと言う。

それがゾラージャという父親がグルージャに示した「親から子へ」の物語であり、ともすれば、グルージャジャから奇跡の子というあまりにも重い呪いを強制的に受け継がされたゾラージャ自身の、受け継ぐものは自分で選びたかったという切なる願いだったのかもしれないことは、なんら想像に難くないのである。まあ、全然説明されてないから知らんけど。

そんな風に想像で補えば、ゾラージャというキャラの行動にはある程度納得感はあるし、僕は後半開始からゾラージャ討滅戦までの、新生アレクサンドリア連王国の武王ゾラージャとの対決というストーリー自体は、ある程度すんなりと受け入れられたし、なかなか面白かったとは思う。

だけど、あまりにプレイヤーのリアル越える力に頼りすぎというか、あまりに説明しなさすぎでは?

あえて説明しないことで含蓄が増したり、プレイヤーが察することでより感情を揺さぶられたりすることはあるにせよさあ。

色々詰め込みたい要素があって調整が大変だったのはわかる。
だけど開発チームの中に、誰か一人でも「この西部劇いります?」と言える人はいなかったのか…。

コーナ

ウクラマトの義兄にして、妹にクソデカ感情を抱くシスコンインテリイケメン枠。
シャーレアンに留学して、魔法大学で外の技術を学び、トライヨラに技術革新をもたらして国民の生活を豊かにすることを目指しているのだが、正直別にそれ王にならなくてもできるよな…って思ってしまった。
事実、トライヨラの全土にエーテライトは整備されているし、気球だって導入されているわけで、コーナが王にならなくても、グルージャジャに進言して技術改革特別担当大臣みたいな感じである程度の権限を認めてもらえば、それでコーナのやりたいことは叶ったと思う。

バクージャジャ

王位継承レースに参加した唯一の一般人枠。グルージャジャの子供だけだと真にすべての部族に平等に機会を与えたとは言えないので、武術大会で優勝したバクージャジャに参加が認められた、と言っていたけど、武術では功績をあげられなくても優秀な学者とか商人とか王の器を試すに足る人材は色々いるだろうに、武力でしか一般からの参加者を認めないのはどういう理屈だったのか。

それはともかく、黄金のレガシーのストーリー冒頭からヘイトを集め、今回の悪役はこちら、って感じで分かりやすく野蛮で下衆な振る舞いをしてくるので、世間知らずのお嬢様であるウクラマトとの対比が絶妙で良かった。
狡い策略を巡らせてウクラマト一行を妨害したり、不誠実な態度で王位継承レースをバカにしたりと、ともすればゆるゆる新大陸見学ツアー(しかもサカ・トラルには行かない)にしかならない可能性があったところを、最低限の緊張感を供給してくれたと思う。

ただ、ヴァリガルマンダを復活させてしまうのはさすがにやりすぎというか、そんなことをしたら自分の故郷の仲間たちすら危険に晒されるのにどんな判断だよ、と思わずにはいられなかったし、マムージャの里で続いていた双血の教えという因習が当事者たちも嫌気がさしてて辞めたいと思ってたんですよ!いやぁ、丁度良かった!じゃあやめますね!と言わんばかりに特殊な環境でも育つ作物を与えられただけで解決してしまうのも、あまりに軽すぎた。

その地に暮らす部族が長年守ってきた伝統文化や風習、宗教、世界観や人生観というものは、生活が少し変わったくらいで簡単に撤廃できたり転向できたりするものではないと思うし、マムージャ族が双頭に縋り続けるしかなかった理由が外界への恐怖と貧しさによるのなら、もっとそういう描写が欲しかったし、マムージャ族はバクージャジャを王位継承レースに送り込む前に彼を使って上の森を攻めればよかったのでは…。

序盤でヘイトを稼いだ悪役がある出来事をきっかけに改心し、主人公の窮地に助太刀して以後頼れる味方になるという展開は鉄板だし良いと思うけど、その改心が軽すぎるのと、さすがにヴァリガルマンダ復活が大罪すぎてそのまま味方として合流は無理がある。

ウクラマトは当然しかるべき処罰は受けてもらうと言っていたが、エンディングに至るまでそれらしき処罰を受けた様子はないし、トライヨラにおいてあのヴァリガルマンダ復活騒動は一体どういう扱いになっているのかマジで謎。

クルル

今回からピクトマンサーとしてDPSになり、戦闘にも参加するようになって出番が増えた。
ガラフおじいちゃんと黄金郷の関係や三つ葉のイヤリングの謎を追うという要素もあって、黄金のレガシーのもう一人の主人公だったのかもしれない。

ただ、ウクラマト一行はあくまで王位継承の儀をクリアするために行動しているのに対し、クルルはそのお手伝い兼自分個人の目的のために同行していて、ウクラマト達との旅の傍ら何か手掛かりがあったらラッキーみたいな感じで、自分から主体的に行動するクルルの冒険が見られなかったのは残念。

途中でクルルが実は鏡像世界からやってきたミララ族の赤ん坊で、それを託されたのがガラフだった! そしてミララ族は原初世界の南洋諸島にルーツを持つララフェルの一族で、もともとは大氷結時代と呼ばれる第五霊災(だっけ?)のときに鏡像世界に避難していたのだ! というのが判明していくのは面白かったし、今後にもつながりそうな要素で良いと思います。

クルルが両親とリビングメモリーで再会するエピソードでは、永久人は生前一番幸せだったころの記憶と姿で再現されるということだったのに、なぜかクルルの両親はクルルを原初世界に託した後の、プリザベーションに追われて逃亡生活を送っている状態の姿で再現されていたが、あれはどういうことだったのだろうか。

普通に考えれば、クルルが生まれた直後とか妊娠中とかが一番幸せだったころで、あの時に戻りたいと思っているのではないかと思うのだが。
まあそれだとクルルが原初世界に託された件の答えを教えてくれるキャラがいなくなってしまうので、シナリオ上の都合だったのかもしれない。

それならそれで、ウクラマトと永久人のナミーカみたいに、最初はウクラマトが幼いころの幸せな日々を思い返しているナミーカが、ウクラマトと話すことで老婆の姿に戻り、私の人生すべてが幸せだったと語ったように、クルルの両親も途中ですべてを知っている状態の姿に変身してもよかったのではないか。

ナミーカのあのシーンはとても素晴らしい演出だったと思うだけに、クルルの両親はなんで子供を失ったあとの姿なんだ?という違和感が拭えなかった。

エレンヴィル

暁月の時は脇役だったのに、素っ気ない系イケメンウサギとして人気が出たからか今回は中心メンバーに抜擢。
母であり師でもあるカフキワから課された、黄金郷を見つけるという試験に挫折し、一度は諦めていたものの、ウクラマトの王位継承レースに同行することになり、黄金郷が実在することを知って、彼の物語も動き出すことになる。

とはいえ、基本的にエレンヴィルくんの立ち回りはガイド役で、黄金郷が実在するならウクラマトの王位継承をサポートするついでに自分もこの目で拝みたい、程度のものなので、彼個人で冒険するとかそういうのはなく、あくまで彼個人にもウクラマトを王にする動機があるよ、くらいの描かれ方だったね。

前半の部が終わってサカ・トラルに向かう時には、黄金郷の扉の前まで行って中を見ずに引き返してきただけなのに、それでお母さんに報告しに行くんだ…って思ってしまったが、あれストーリーの中で誰も疑問に思ってなかったのなぜなのだ?

黄金郷の扉の前についにたどり着いて、中を見ようともせずその先に興味も持たず、おとなしく引き返してウクラマトが王様になりました、めでたしめでたしって本当にどういうことなの…ってずっと思ってた。

それはともかく「黄金郷の扉の前までは行ったぜ!そこで引き返したんだけどよ!」という報告をするためにエレンヴィルくんとヒカセンの二人旅が始まり、やがてリビングメモリーで永久人になっていたカフキワとの別れを迎えるのだが、カフキワもやけに物分かりが良いというか、自分を含め永久人は消えても良くて、スフェーンを止めてあげないといけない、というウクラマト達に都合がいい存在として描かれる。

スフェーンがメインターミナルで世界接続の計算してる間に、少しでも永久人を減らして万が一被害が出たとしても犠牲が少なくて済むようにしておこう!って独断で提案してウクラマトたちに実行に移させるの怖すぎでしょう。

エレンヴィルは突然母親が死んでいたという現実を突きつけられて、陽気に観光してるウクラマト一行の中では一歩浮いた立ち位置で葛藤を抱えているのだが、カフキワがその息子の葛藤に取り合わないというか、湿っぽいのは嫌いだからとか適当なことを言って永久人を消すという行為の重さを誤魔化しながら、最後に未知の生物を見れて本当に楽しかった~って満足してるのはちょっとドン引き。

そのせいか、エレンヴィルとカフキワの最後の会話は、なんだか当たり障りのないものに感じられてしまい、まあそういう会話になるだろうな…っていう印象しか残らなかった…。

この辺りの展開で、エレンヴィルやクルル、そしてウクラマト、スフェーン達の間で永久人を命として認識しているのか、それともただプログラムで再現された記憶の残滓として、さも本人が今も生きているかのように振舞う錯覚にすぎない認識なのか、よくわからなくなってしまった。

前者なら、肉体のある生きた人間ではないとはいえ命を軽々と消去していく軽薄さに嫌悪感を覚えるし、後者ならそんなものに真剣に向き合って奔走するのはとんだ茶番に過ぎず、黄金のレガシーのクライマックスが壮大なお人形遊びでしかないというのはあまりに虚無だ。

つまりどっちにしろ納得できないので、リビングメモリー以降の展開は正直言って完全に置いてけぼりだった。

スフェーン

黄金のレガシー最大の問題児。アレクサンドリアの未来的な建築物や市民たちの服装とは一線を画す、ファンタジーテイストで妖精のような服装と、一人だけ美少女アニメから出てきたような芝居がかった立ち振る舞い。
武王ゾラージャの力を利用して、他の鏡像世界に攻め入り、魂を収穫して永久人たちを維持するエネルギーを確保しようとしていた。

ここまでは別に良くて、初見の印象としてはなんか胡散臭いサイコパスっぽいキャラが出てきたな…ってくらい。

愛する永久人たちガチ勢として、他の人間の命を奪ってでもアレクサンドリアのみんなを守るという行動原理も理解できるし、そのためならたとえゾラージャであっても手を組み利用するというのも全然理解できる。

僕だって自分の子供が死んでしまって、もしもその命を繋ぎとめることができるなら、自分の命なら喜んで差し出すし、他人の命を奪うことも真剣に検討するだろう。

だからスフェーンが王として民を愛し、彼らのためならどんなことでもするし最悪の暗君と呼ばれても構わないというのは理解できたのだが、その割にスフェーンは本当はこんなことしたくないとか、もっと早くウクラマトと出会っていればとか、巻き込んでしまってごめんなさいとか、でもどうせもう手遅れなのとか、だったらあなたなら何とかできるの?とか、メンヘラみたいなことばっかり言うんですよ。

スフェーンちゃんさぁ~~~~~、王としての覚悟ないんか~~~~?

エメトセルクがすべての鏡像世界を統合した果てに、新たに生まれた生命を犠牲にして古代人を復活させると語ったとき、本当はこんなことしたくないとか言い訳したか?

ゼノスが天の果てでヒカセンと再戦して死ぬときに、さんざん巻き込んできた人々に謝ったか?

そういうとこなんだよね~~~、おじさん良くないと思うよ~~~~~~。

そもそもなんでウクラマト一行に接触して、ゾラージャとの戦いに塩を送るようなことしたの?

ゾラージャと手を組んでトライヨラの民の命を奪っておきながら、いざウクラマトたちが新生アレクサンドリア連王国に乗り込んで来たら、客人として迎え入れてレジスタンス組織まで紹介して、

「私もゾラージャには困ってるんですよ、いやほんと王としてはゾラージャを止められなかったという点で同罪ですよね、いやぁおっしゃる通り、自分としても、本当こんなことしたくないんですよ~」

って自己弁護しながら、
でも「永久人たちを守るためなら何でもする、最悪の王になってもいい」? 二重人格か何かか?

スフェーンは王としての使命(永久人たちを維持する管理システムとしての使命)を自覚しつつも、オリジナルスフェーンの心優しい性格が再現されているがゆえに葛藤し、苦しんでいるという立て付けなのだと思うけど、
じゃあ、

「本当はこんなことしたくない、もっと違う形での解決方法を探したいのに、システムとしてプログラムには抗えないの! お願い、みんな私を止めて!」

みたいな戦いにしても良かったと思う。

それなのに、ウクラマトたちはちょっと立ち話をしたくらいで永久人たちを知ったつもりになり、知ったんだからもういいよねとばかりに簡単に永久人消去ビームを放ってターミナルをシャットダウンして回り、スフェーンも大切な永久人たちを消去されたのにそれはスルーして最後まで言及しない。

そしてスフェーンは最終的に、自分の心が邪魔だから記憶を消して完全にシステムに徹するという選択をする。

愛する国民を守ることが王の使命で、その使命のためなら他の人間の命を奪うことも厭わないと決めたのなら、最悪の王になっても構わないというなら、その決意から逃げるな

あれこれ色々言う割に、最終的に私が一番辛いのってメンヘラムーブキメて記憶を消して逃げるなんて、マジで王としての矜持も覚悟もない優しいだけの無能ですよ。
同じ王としてウクラマトがそんなスフェーンに何も違和感を覚えず怒りもしないというのも、ウクラマトもまた王の器ではなかったという感じがして悲しい。

しかも結局、永久人というシステムが、死者が命を繋いで今も生きている状態なのか、ただ記憶を再現してそれらしく振舞うプログラムに過ぎないのかという点について、それが本質的にはどちらも同じことだとしても、ウクラマト一行やスフェーンやアレクサンドリアの民や永久人たち自身がどう考えているのか、深く掘り下げも議論もされないままで。

永久人をどういうものと捉えるのか曖昧なまま、スフェーンがどういう存在なのかも曖昧なまま最初強く当たってあとは流れで最終決戦へと向かってしまい、突然クエストタイトルで「黄金のレガシー」が出てきたときには、はあ?って声が出ちゃいましたね。

まあエターナルクイーン戦で、ウクラマトが乱入してきてスフェーンの心と戦いたいと訴えて、スフェーン自身が蘇ってきて最後の最後でスフェーン対ヒカセンという構図が実現できたのは良かったと思います。

でもその後敗れたスフェーンが、自分の行いを謝ったり、安らかな笑顔で満足そうに「さよなら、私の愛したアレクサンドリア王国」みたいなことを言って消えていったのを見て、やっぱダメだわと思いました。
そこで最後まで悔しさと敵意を燃やしながら、呪詛を吐いて消えていったなら、僕もスフェーンというキャラに納得できたと思うんだけどな。

なんかエメトセルクやゼノスと比べるのもどうなんだという気もするけど、自分は王だ、アレクサンドリアのみんなのことが大好きだと言いながら、結局何者にもなれなかった「自分が一番大好きで優しいだけの弱きメンヘラ少女」、それがスフェーンだったのかなと。

その弱さが彼女自身の罪とまでは言わないけど、そんなやつの自己愛に巻き込まれる国民や侵略される他の世界の立場を考えれば、罪でなくとも害であったのは明白だと思う。

もしプリザベーションにそういう風に仕向けられて、まったく王という立場に適性のないスフェーンが無理やり永久人システムの管理者として永遠に新生アレクサンドリア王国の王として縛りつけられていたのだとしたら、最高にグロくてそれはそれで逆に興奮しちまうかもしれねぇ…。

あと、エンディングの最後にスフェーンの冠が映し出されてたの、ヘリテージ・ファウンドあたりのイベントで、「一般市民のレギュレーターと違って、スフェーン様の冠は特別製」みたいなセリフがあったと思うので、多分今後の展開でスフェーンは復活しそうですねぇ。
別に復活するのはいいけど、したところで味方になろうと敵になろうと有意義なことにはならないと思うし、間違ってもレギュラーキャラとしてヒカセン一味に加入するようなことにはなってほしくないが、どうなることやら…。

FF9要素

僕はFF9は発売当時にやっただけで、それ以降やってないし、特別FF9に思い入れがあるわけでもなく、何なら内容もほとんど忘れててFF9の用語が出てきたときに、あーそう言えばなんかFF9にもあったかも、くらいの薄い感想しか持てなかったので、特にこれと言って語ることはないかな。

FF9が好きな人にとっては、アレクサンドリア王国の扱いやヘリテージファウンドの廃墟ぶり、アレクサンドリア王国を模したリビングメモリーがどんどんシャットダウンされて廃墟になっていく展開なんかは、思うところがあったとしても理解できる。

個人的には、リビングメモリーが美しく神秘的な姿からシナリオ進行によって不可逆的に廃墟化していくのは、死んだ人とは二度と会えないという現実を示唆するようで悪くないなと思えたというか、なんかすっと受け入れられた。

それはそれとして、元の状態のリビングメモリーもマウントで飛んでみたいというのはあるけどね。

BGM

良かった。個人的にはメインテーマよりも、100IDのアレクサンドリアのBGMが最高だと思う。

今回はあまりシナリオ的に盛り上がるポイントがなく、そのためBGMの相乗効果を感じる機会もあまりなかったけど、BGMに関しては今回も安定のクオリティだったと思う。

グラフィックアップデート

自キャラの見た目にあまり関心がないので、景色が綺麗になったり、装備の金属光沢や石畳の質感なんかが目に見えて向上していたので良かった。という感想。

これに関しては、自キャラに思い入れがあって、グラフィックアップデートで良くなったと思う人、悪くなったと思う人で色々意見はあるだろう。

この先も長期的にMMORPGを運営していくにあたっては、技術の進歩に伴うシステム周りやデータのアップデートは避けて通れないと思う。

FF14のグラフィックにみんなそんなに不満なんて持ってなかったのにどうして余計なことをするんだ、というような声も見かけるけど、プレイヤーが不満を持ってないからやる必要がない、とはならないし。

ただ、今まで特に不満なく遊んでいたのに変えられて、アップデート後のグラフィックに不満がある、という人はお辛いので、そういう人をケアする対応が何かできるといいね。

その他些細なこと

モンクの調整

事前の話ではモンクの調整は全体のプレイフィールとしてはあまり変わらないようになってます、と言ってたけど、全然変わってるんだが?

いや、わかるよ、結果としてスキル回しは変わってないよ。やってることは同じかもしれない。
でもさ、光ったアイコンを順番に押すゲームになってるのよ。
バフデバフの秒数を見たり、自分の今の型とか判断して、臨機応変にスキル回しを調整するのがモンクの楽しいところだったじゃないですか?
それが最適解として次に押すべきスキルの正解が光るので、それを押せば簡単です! スキル回しも結果的には変わってないですよね! と言われたら、そりゃ確かに簡単だしスキル回しも変わってないけどさ…。

これをプレイフィールは変わってないと言い張られると、じゃあプレイフィールって何なのって話になって来ちゃうんですけど、吉田?

※吉Pからモンクの再調整を行うとの説明があったので、今はそれに期待しています。

タコス食べさせろ

序盤にウクラマトとタコス買って食べれると思ったらバクージャジャに邪魔されて結局食べれなかったんだが?
オープニングムービーでもグ・ラハが美味そうなタコスにかぶりついてたし、中南米の雰囲気モリモリのトライヨラに上陸してすぐにタコスが出てきて食べられると思ったのに、なんで食べさせてくれなかったの?
そういうところで新大陸にきた感とか、プレイヤーのテンションとか結構変わってくると思うんですけど…。
おかげでUberでタコス頼んで食べるハメになりました。

グルージャジャ、サカ・トラル平定してない説

王位継承の儀で、グルージャジャが各地で暮らす部族たちと絆を結び、トラル大陸を一つの国として平定しまとめ上げた足跡を辿る旅をしたわけだけど、あの…サカ・トラルはどうなったんですか…。

序盤にウクラマトが、サカ・トラルへの通行証は自分が王様になったら出してやるみたいなこと言ってて、「へー、じゃあ王位継承の儀の試練は南側のヨカ・トラルだけでやるんだ~」って思ってたけど、試練の内容的にサカ・トラルも全部巡らないとおかしくないですか。

それとも何か? グルージャジャがヨカ・トラルを平定したら突然サカ・トラルもまとめてグルージャジャに従属してしまったのか?

たぶん王位継承の儀の旅でサカ・トラルにも向かうことにしてしまうと、ドーム出現前のヤースラニ荒野を作る必要があるし、ストーリー進行度によってドームが出現したりフィールドの外観が変わったりすると、風脈や採集場所等の辻褄を合わせるのも厄介だから、ドーム出現前のヤースラニ荒野に行く流れを作らないように、王位継承の儀もヨカ・トラルだけで済ませたんだろうな。
そういう都合があったのもわかるけど、何かもっと納得できる理由が欲しかったな。

黄金郷は…ここにあったんだな…

黄金郷が何かしらの古代遺跡とかではなく、鏡像世界に作られた永久人たちの住まう仮初めの楽園リビングメモリーであることがわかったあと、ゲートをくぐってそこにたどり着いたエレンヴィルが

「黄金郷は…ここにあったんだな…」

って言ったときは、

「ホンマか? エレンヴィルくんそれ本当に心からの言葉か? 鏡像世界から僕らの命を奪うために侵略しようとしているスフェーンの本拠地へやってきたのに、黄金郷に来たという感想なんか!? 台本に書いてあるから仕方なく読んでないか!?」

と思わずにいられなかった。

いや確かにリビングメモリーは美しいし幻想的というか神秘的な光景ではある。
でも黄金郷が本当にあることはもう序盤も序盤で確定してたし。
いまさら黄金郷が実在したことを実感するのもなんか変だし、リビングメモリーにたどり着いて実感することがそこなんだ!?というチグハグ感も相まって、トレーラーにもあったエレンヴィルのあの台詞があのシーンで出てきたときに物凄い違和感を覚えてしまった。
言わせたかっただけみたいな。

グ・ラハのアイスぱくぱく事件

リビングメモリーでクルルが両親と再会して、アイス片手にぎこちなく気まずい雰囲気のなか三人でテーブルを囲んでいるところに、見るに見兼ねたグ・ラハが「よし、俺に任せろ!」と飛び出していって、何をするのかと思ったら自分のアイス買ってきて、クルルの隣に立ってひたすらアイスぱくぱくし始めたんですけどwwwwwww

あれなんだったんだ。マジで。
ヒカセンは冷や汗ダラダラかいてたよ。あんなの放送事故だよ。

あとヒカセンとグ・ラハ、味見だけしてポップコーン置いて立ち去るな。

アンロストワールドとは…?

リビングメモリーに向かう時に、突然ウクラマトが、

「なら、これから向かう場所をこう呼ぼうぜ…”アンロストワールド”ってな…!(`・ω・´)キリッ」

って言いだしたときは、そこはトラル大陸の伝承とか現地の言語とか、なんかそういう所縁のある命名じゃないんだ…!?
って困惑した。

そのあと、でかでかと「リビングメモリー」って表示が出てきて、以降誰もアンロストワールドって呼ばないのでさらに困惑した。

まとめ

ここまでストーリー面を中心に、わりとボロクソ書いたけど、でも全体としては楽しかったですよ、黄金のレガシー。
これから新しい物語が広がっていくということで、プリザベーションという謎の組織も出てきたり、世界を繋ぐ力の鍵をヒカセンが手に入れたり、あんまり興味ないけどスフェーンの今後だったり、次に繋がりそうな要素はしっかり出てきたし。
新大陸でまったく違う文明や文化に出会っていくのはワクワクしたし純粋に楽しかった。

今回のシナリオは暁月までと違って石川夏子さんがメインで担当してないということで、運営チームとしても新しい人材の育成とかも見据えた挑戦だったのかもしれないけど、もうちょっとクオリティ管理をしっかりしてほしかったかな。
後続のスタッフの育成は重要だし、実績ある人だけでなく新しいクリエイターにもどんどん機会を与えてあげて欲しいとは思うけど、それと成果物のクオリティは全く別問題で、シナリオライターがまだ未熟なら、それをチームとしてサポートして、吉PがP/Dとして責任をもってクオリティを担保してほしかった。

黄金のレガシーについては、シナリオが残念とかいうことより、暁月までのFF14と比べてシナリオ以外においても、吉Pこれちゃんとチェックしてる? ちゃんと自分の目で見てこれで良いと判断して、胸を張ってリリースしてる? ってちょっと疑問に思うケースがチラホラ増えてきていて、吉Pの全体チェックが行き届いているのか、なんかガバナンスが崩れてきてるんじゃないか、という運営体制そのものへの不安を感じてしまいました。

まあ、吉Pとしては今回これで良し!と思って黄金のレガシーを送り出したのかもしれないけど、だとしたら、「いやこれじゃダメだろ吉田!?」と言うしかないので、いずれにせよ、今回の7.0に関するプレイヤーの反応をきちんと分析して、フィードバックとして活かしてもらいたいなと思います。

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