1974西ドイツ代表 バイエルンの10番とケルンの10番を並べたダブルトップ下

クライフ擁するオランダを決勝で敗り2度目の優勝を果たした開催国西ドイツ。リベロにはベッケンバウアー、センターフォワードには1970W杯と1972欧州選手権で得点王のゲルト・ミュラー。1972欧州選手権でのメンヘングラッドバッハのハインケスとのダブルストライカーの3トップから、1974W杯ではグラボウスキと、キャップ数4のヘルツェンバインのフランクフルトコンビを左右のFWに置いた3トップとなった。

ダブルトップ下にはオヴェラートとU・ヘーネス。オヴェラートはケルンの10番の左利き、プレースキッカーも務め、3大会連続出場となった。U・ヘーネスはバイエルンの10番で4トップに入り、ミュラーの次にバイエルンで得点を取っていた。

ダブルトップ下の5人のアタッカーシステムであれば、相手のダブルトップ下とのマッチアップが起こり、マンツーマン守備であるが故に守備の負担もかかる。

決勝でU・ヘーネスとマッチアップが起こったオランダの選手は、フェイエノールトの10番ファンハネヘムという10番対決だったが、攻守の運動量でU・ヘーネスが上回り西ドイツが優勢に立った。

1972ユーロでは、U・ヘーネスとメンヘングラッドバッハの10番ネッツァーを並べた。70年代西ドイツは、2人の花形とミュラーの得点力というチーム構成だったといえよう。

ダブルトップ下のマーク軽減的な選手として、4-1-2-3の"1"に西ドイツはボンホフ、オランダはニースケンスを置いた。この4-1-2-3は、さらに古い3人制オフサイド時代の2-3-5からの改変とも取れ、"2"のうち1人はリベロとなり、もう1人は3人の味方ストッパーの前に出て守備的なタスクを担う。

ゲルマン魂の象徴とも言うべきか、ミュラーがただ得点を取るだけでなく、必死に守備で追いスライディングを何度もする泥臭さが興味深い。

┃GAME INFO 1974┃

画像1

■ 左利き | オヴェラート

■ プレースキッカー | オヴェラート

■ PKキッカー | ブライトナー

■ 主な大会得点者 |  (4点)ミュラー (3点)ブライトナー (2点)オヴェラート

9 グラボウスキ (E.Frankfurt/29/cap38)
13 G.ミュラー (Bayern/28/cap55)
17 ヘルツェンバイン (E.Frankfurt/28/cap4)
14 U.ヘーネス (Bayern/22/cap20)
12 オヴェラート (Koln/30/cap74)
16 ボンホフ (BMG/22/cap4)
2 フォクツ (BMG/27/cap51)
4 シュヴァルツェンベック (Bayern/26/cap23)
3 ブライトナー (Bayern/22/cap19)
5 ベッケンバウアー (Bayern/28/cap78)
1 マイヤー (Bayern/30/cap50)
SUB
8 クルマン (Koln/24/cap12)

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