騒動渦中の山下達郎に思う


1970年代後半、私もバンドをやっていましたが、この頃、いわゆる歌謡曲(東京の芸能界)に距離を置く音楽活動として、ロック・フォーク・ニューミュージックといったジャンル分けがよくされていました。そこからたくさんの異端の才能が生まれていました。

それら異端の人たちもレコードデビューすると芸能界の一員となり、その業界システムの一翼を担うことになりました。1970年代の終わり頃にはそれらの音楽が若者音楽として歌謡曲を凌駕するようになりましたが、芸能界(音楽業界システム)はあまり変わらなかったと思います。

なので、売れ筋ニューミュージックの人は歌謡曲やアイドルに楽曲を提供して、松田聖子が細野晴臣の歌をヒットさせたりしたわけです。売れないミュージシャンもこれですっかりお金持ちになり、より音楽活動に精を出す事ができるようになりました。

亡くなったPANTAですら、そうしたことをやっています。いちおう反体制ロックの人もそういうことをやる時代でした。ただその後もそれを続けて職業音楽家となっていった人と、本来のロック・フォーク・ニューミュージックのアーティストとして細々と続けていった人に別れたように思います。山下達郎は前者でした。

山下達郎は元々音楽職人で、アーティストとしては当初はほとんど売れませんでした(ルックス悪いしw)。ただ、その音楽的才能はだれもが認めるところでした。そんな彼の才能を認めて、芸能界で仕事を与えてくれたのがジャニー喜多川氏だったのでしょう。具体的には何があったか知りませんが、テレビCMのコマソンになり達郎人気に火が付きました。そりゃ大恩があるわけです。

売れない時代の達郎(アルバムの3枚目くらいまで)が好きだった私など、以降はあまり興味がなくなり、特にアイドルとかに曲を提供していることなど知ると、なんだかなと思っていましたが、音楽職人としてはままあることだから、芸能界をうまく泳ぎながら自分の音楽がやれるのであれば幸せなことだな、と思っていました。

70歳になるという昨今まで、依頼でCMソングを書き、新譜を出し、リマスターを出しと精力的に活動しているのは音楽職人ゆえだなと好意的にとらえていましたが、正直なところ若い頃の才能のひらめきはもはや感じられず、職人技を繰り出している感が強かったのは、桑田佳祐などと同じで、もうやめればいいのにと思うことも正直ありました。

実際、多くのアーティストは年を取ったら好きなことしかしていないわけで、達郎の活動はちょっと異常な感じがしないでもありません。ワーカホリックな中小企業経営者と同じで、仕事を止めたら死んじゃうのでしょう。仕事が趣味でもあり、生きがいというより、生きている意味のすべてとなっているのではないかと。

それを続けるには、これまでの仕組みを外れるわけにはいかず、達郎の場合であれば今の仕事のシステムをスキャンダルごときで壊されたくないのでしょう。もちろん多くのスタッフの生活もかかっているわけですし。義理人情の芸能界で生き残ってきた自負もあると思いますから、今さら変われない。

SNSとかほとんど興味を示さないあたりも昔ながらの人なのでしょうね。芸能界システムに乗っているので一線のミュージシャンですが、そうでないならよくいるアナログなオールディーズ・ジジイではないかと。一線を退いたそういうジジイはいちおう人畜無害ですが、社会的影響力があるゆえに面倒なわけです。どこかの経営者みたいなものです。

今年は大変多かったですが、亡くなって伝説となったミュージシャンはある意味幸せでした。その対局に位置してしまったのが今の達郎だと思います。人間、引き際が肝心といいますが、なかなか難しい。そういうことを痛感する今回の騒動でした。まだ終わってませんが、そう良い方向に行くとは思えませんので、成り行きを見守りたいと思います。

(写真は唯一参加した2016年2月の名古屋公演のもの・職人技を見せつけられた感で、実はあまり感動しなかった記憶が…)

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