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服部さんの死

服部さんの死

僕を大学へいれる手助けをしてくれた恩師が亡くなった。75歳ほどだったと思う。高校3年生の3月、所沢の居酒屋でその人と初めて対面した。ブラウンのスーツを着てシャチホコばった風情の人だった。その時のインパクトは強く10年経った今でもありありと当時を思い出すことができる。僕は受験勉強を1日10時間と目標を定めて1年間継続し、疲れ切っており、志望校の合格水準に達しないまま受験を迎え5,6校受けたがすべて不合格で、大学が決まらないまま卒業式を迎えた。家計的に浪人ができる環境ではなかったので、どうにか大学に入学しなければ働くか、別の選択肢を探さなければならないという状況だった。そして3月になり、受験情報誌をみていたとき、専修大学の2部法学部だけはまだ受験を受け付けていて僕は法律と政治を大学で勉強すると決めていたので、ここだと思い雷に打たれたように家族に専修大学へ行くと告げた。それから専修大学の赤本を買い受験対策をして、神田の古びた校舎で不良のような生徒に囲まれながら受験をした。結果は合格。その結果、父は教育ローンなどを借りて、それでも足りないので服部さんに相談すると言っていた。僕は服部さんのことは銀四郎——蒲田行進曲の主人公から名前をとった——という父の居酒屋を経営していた時代の友人だと聞いていたので苗字だけはなんとなく知っていた。そして3月後半に格式のありそうな所沢で最も洒落た雰囲気の居酒屋で現れたのが異様な威厳のある老人だったのだ。その人は、僕に会うなり、おう元気か?と声をかけて、人生論を語り出した。男は気骨を持たなければならない、気骨のある男になれ、ファンになるなよ、しゃっちきが大事だ。正直なところ全部わからなかった。「気骨」とはなにか?「ファンになるな」とは?「しゃっちき」なんて言葉はあるのか?僕はその人の魅力に引き込まれるようにして、はい、わかりました、と聞いていた。お前はあんまり喋らないな、でもな今はスポンジのように吸収してるんだ、いつか水が溢れるように喋り出すぞ、と僕と父に語る。その人は、独特の感性に溢れていて、自分の生い立ちや人生観を語ってくれた。自分は団塊の世代にあたり、早稲田大学の理工学部に入っていたが学生闘争で勉強ができなくなって、学習院大学の経済学部に転入したこと、ずっと柔道をやっていて主将も務めたこと、TOC(東京卸売センター)で400人規模のアパレル関係の経営者をしていたこと、銀座で父と居酒屋をやろうとしていたことなど。僕にとっては初めて聞くことばかりで、昭和を体現しているように感じた。自分はノンポリだと話していたが、政治にも詳しく、今の政治家はこういうところがダメだ、東大生が1番の人殺しだ、と具体的で明快な持論を述べていた。その日のことは18歳の僕にとってはインパクト大で帰った後も、脳が痺れるような感覚があった。その後も、安保法制や秘密保護法が巷で議論になっている時に質問してみたくて会って、ノンポリだからわからねえと言いながら、紅茶を飲みながら一緒にミルフィーユを食べたりした。しかし、いつの日からかお洒落だった身なりはお爺さんのようなニットの帽子とマスク姿になり、鼻にもチューブを刺して酸素を送っている姿を目にするなど、何年か前のエナジーに溢れた服部さんはいなくなった。その代わりに彼の予言の通り僕は言葉を自在に使いこなせるようになり、気骨を持った青年へと生まれ変わり、ファンになるのではなくファンを獲得し、しゃっちきという根性的な精神を身につけていた。それから3年くらい会わない日が続き、父も服部さんと会う頻度が減っていった。時代が平成から令和になるともう服部さんに会うことは無くなった。それから、今年に入り、正月の挨拶を服部さんにしようと思っているんだけど、どうしようかな?と時々父が言っていて、それもないまま3月になった。そして、今週の初め父から服部さんが2021年の4月に亡くなっていたと聞かされた。僕はもう疎遠になっていたのでショックを受けなかった。父は服部さんに電話したが「この電話は現在使われておりません」と音声が流れただけだったので、昔から懇意にしている幸楽という街中華に電話して確かめたら、亡くなっていることを聞かされたそうだ。信じられなかった父は他よ知り合いに電話すると、「そうなんですか?去年の10月に具合悪いからもう電話しなくていいし、会いに来るなと連絡がありましたよ」と言われたそうだ。まるでドッペルゲンガーのような話だが、老人になった服部さんは息を引き取ったか、しゃっちきがあり気骨を持った服部さんはまだ存命しているのかもしれない。想像が膨らむが服部さんはふたごでしゃっちきがありお洒落な方と病気がちで老けている方の2人いたのだ。その時々によってどちらが現れるのかが変わって、僕達は騙されているようにどちらも服部さんだと信じきっていたのだ。まるで20世紀少年のような話だが、服部さんならそれはあり得る。僕達に必要なことを伝えて星になり、今は亡霊が彷徨っている。そう考えると、心温まるファンタジーのようで安らいだ気持ちになる。人生を教えてくれた服部さんの闘魂は今日も僕の心の中で生き続け永遠の命となっていくだろう。やっと彼の言葉の意味がわかる年齢になった。これから僕は花を咲かせるフェーズに入っていく。服部さん、天国で僕のことをずっとあの眼差しで見守っていてほしい。ありがとうございました。

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