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すきなことが日々のたすけになりますように

「あーこのままやったら、俺もうこの林ん中には二度と入れんなあ。それどころか、下手したら、もうどの山にも林にも、独りでは怖うて絶対入れんようになるやろうってな、そんな感じが何かひしひしとしたでなあ、(中略)でもそれよりなにより、この世のどっかに、自分の行けん場所があるなんて、俺、嫌やでなあ」と父は語っていた。

舞城王太郎著『熊の場所』講談社文庫 P.21

恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない。

舞城王太郎著『熊の場所』講談社文庫 P.25


舞城王太郎氏のこの小説を、とてもたいせつに思っています。

我が家は転勤族なのですが、私は転勤や引越しなど、環境がおおきく変わるものとの相性があまりよくありません。
もともとがインドアの人間なのに、夫の転勤で見知らぬ土地に引越す回数が増えるにしたがって、ますますひとりの外出が苦手になってきているような気がします。

三年ごとに変わる住まいと地域。

地元を離れるとき、周囲に「観光気分で住むのをたのしむよ〜」とは言ったものの、そのときの私ももう30代半ばにさしかかる年齢。
仕事も人間関係も、じぶんなりに築いてきたものをすべて手放して、知り合いの一人もいない見ず知らずの土地に暮らすことは、それがじぶんの選んだ人生とはいえ、当時はコロナ禍ということもあり、そこには想像していた以上の孤独がありました。

住んでいる地域をすきになれなくて、いろいろ失敗し、体調を崩しやすくなり、引きこもりの日々。

でもそんなとき、この小説を読みました。

私もきっと、このままいけば一人ではどこにも行けないような臆病な人間になって、世の中に拗ねた考えしかもてなくなってしまう。
だから足がすくんで動けなくなってしまうまえに、外に出なくては…!

そんなふうに思えるくらいには元気だったじぶんに、ホッとしました。

ほんとうは、いまでも、外出はすこし苦手です。
ひとりで出かけるときは目的地まで直行直帰で、寄り道も休憩もしません。
それでも、美術館へいったり本屋さんへいったり、行きたいところへ行けてうれしいなあと思います。

私が、noteではすきなことだけを書きたいなあと思うのは、すきなものをすきだとたいせつに思う気持ちそのものが、私を回復させてくれたからです。
noteを書きながら湧きあがってくる、すきなものを愛おしいと思う感情が、めぐりめぐって、私自身のことも癒してくれているような、そんな気がします。

記事のなかで、ひとに親切にしてもらったことを書くのは、見知らぬ土地の見知らぬ人が手渡してくれたやさしさが、私のくじけがちなこころを立て直してくれたからです。
イヤなことももちろんあったけれど、それでも、やさしいひとに助けられて、やさしいひとにゆるされてきた人生だから、私もそういう人間でありたいと思うのです。

じぶんのすきなことを、たいせつにしなければ、と最近はつよく思います。

日々にあっぷあっぷになってしまったとき、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり、そんな「すきなことをやりたい」という気持ちすら忘れて、ただただ、うずくまっていました。

でも、あの日々のなかで、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たりすることができていたなら、私のこころの荒み具合も、すこしは違っていたのかもしれないなあと思います。

この先じぶんがどんな状況に陥っても、愉しかった記憶やすきなものを忘れてしまわないように。
むしろこれらが、つらいときの助けとなってくれますように。

そんな想いでこれからも。
私はじぶんのすきなことだけを、たいせつにnoteに書いていきたいなあと思います

(´(ェ)`) 

***

本日のおひるごはんはナポリタン。
元気になっても、家にいるのがすきなので、ゴロゴロできる休日万歳です!

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