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仕事がしたい。

 先週、とうとう娘の学校のPTA会に行けました...。今年、役員なんです。感動しました。動けたよ、行けたよ、外に出られたよー!と、叫んでしまいたいくらいの嬉しさと疲労でした。緊張しすぎて疲れましたが、それも想定内でした。

 そのPTA会に出たことで、仕事をしていたときのことをたくさん思い出しました。いろんな人がいて、いろんな話が出てくること。これは大事とか、これは誰々に伝えなきゃ、ということを頭の中で整理したり、メモしたりすること。書記さんがパチパチとパソコンに入力する様子や、司会の方が時間配分を気にされている感じ。今となってはすごく遠くに感じてしまいました。でもちょっとそこに戻りたい気もします。外に出て、いろんな人と関わっていく毎日のことです。でもまだまだ体に全然自信がないので動き出せないけれど、もう少し元気になったらまた違う気持ちになるのかな?なんてことを考えた時間でした。

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 仕事ってなんだろう?ってよく考えます。私の好きなBTS(バンタン)の活動はもちろん仕事としてやっていて、私が以前していた事務のパートも仕事でした。何かをして、お金をもらう。それは一緒。でも、私の場合はモチベーションが本当になにもなくて、その、あまりにもの「なにもなさ」に絶句していた記憶があります。言葉にならないというか...。がんばったところでお給料は上がらないし、意見は通らないし、とにかくひたすらの雑用。職場の人の役にたつ、という意味合いの仕事だから、それが仕事なのはわかっているんですが、最後の方にはどうにもこうにも気持ちが前を向きませんでした。

 自分の仕事を通してお客さんの役に立っているとか、幸せにしているとか、その前に自分のやりたいことができているとか、そういうほんの少しの何か、よいものが少しでもありさえすればモチベーションになったのかもしれないけれど、小さい人間関係の中でどう立ち回ればいいかばかりにとらわれて、ぜんぜん「仕事」をしていなかったと思います。そういうのを仕事っていうんだよ、という考え方ももちろんあるのを知っていますが...。引き合いに出しても仕方ないですが、バンタンは自分の周りの人間関係をうまく回せるのを主な仕事、にしてはいないはずです。表現することを仕事にしています。多くの人がバンタンのような仕事ができているわけではないことはよくわかっていますが、どんな人も本当は、誰かを幸せにする仕事をしたい、と思っているのではないかな?と思います。その思いはとてもきれいで、そう思うことを恥ずかしく思うことはないと思うんですよね。みんながそう思うことが当たり前の世の中になったら、ずいぶん世界は変わるんじゃないか、と思うのです。どんな人も必ず誰かしらと関わって生きていくのだし、人間に個性はあるけれど大きく違っているわけではなくて、何に喜び、何を悲しむかはそんなに変わらないと思うのです。今の時代は、人と人が切り離されてすぎてしまったところから、もう一度調和しようとする方向へ舵を切ったところなのでは?と感じています。本当にそうなったらいいな。そして、私も私にできる仕事がしたいです。

 今日は仕事について書きました。日々いろんなことを考えるのですが、自分の考えていることと並べて、バンタンにとってはどうだろう? バンタンならどうするだろう?と考えます。私の考えと、バンタンなら?という想像を二つ並べてみる、というようなことをしています。そうすると自分の器の小ささに気づくことができるし、バンタンを通して世界(他国という意味の)を感じることができるような気がします。

 今日はちょっと真面目なことを書いてしまいました。バンタンはLAのコンサートがどんどん迫っていますね! 私も12月3日はオンラインで参加しようと思っています。今日も読んでいただいてありがとうございます。

 最近アップされたBANTAN BOMBを3つ、リンク貼りますね。何度もみちゃいます 笑


 

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