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東京に引越すまで

北海道小樽市に生まれ奥尻島や長沼町を転々とし、小樽に戻り社会人になるのを機に札幌で生活をしていた私は、8月に東京に移り住んだ。
元々引越しが多い家庭ではあったが、まさか自分も独り立ちしてからこんな思い切った決断をするとは。

札幌駅まで見送りに来てくれた家族とお別れした私は背中にギター、前にはリュックを、右肩にトートバッグ、その右手でエフェクターボードを持ち、左手にはキャリーケース、そして飼っている金魚が入っている青い発泡スチロールの箱を首から下げて電車に乗った。
もっとどうにかならなかったものかと荷造りをした過去の自分を責めながらも黙々と空港へ進んでいく。

空港に着いて荷物を預ける。リュックからショルダーバッグを出して、それと金魚以外は全て預ける(某航空機では金魚は荷物として預かることはできないが手荷物として機内に持ち込めるとのこと)。
無事に身軽になるが、すれ違う人たちの金魚への目線がビシビシと伝わる。かなり痺れた。

搭乗して飛行機に乗っている間は これからの生活・作詞作曲・金魚の安否 について繰り返し考えていた。
上空へ行くにつれて小さくなる街、ぎりぎり見える車を眺めて、あっという間に海が広がったと思いきやいつの間にか雲の上にいる。うちの金魚たちが空を飛んだ!すごい!
この日は雲の間から何度も虹が光って、窓側席の人たち(私も)は一斉に写真を撮っていた。撮りながら「これはうちの金魚たちがお星さまになったという暗喩ではないだろうか、、?」と少し不安になったりした。
そんな中でも窓から見える東京の街には震え上がるほど興奮した。待ちに待って待ち焦がれていた東京。高いビルは勿論、当時開催真っ只中だった東京オリンピックのスタジアムが見えたりして着陸するや否やすぐ家族に自慢した。

はるばる東京着!

空港に着いてからは車移動だったので楽ちん!しかしそこで気になるは金魚たちの生存。脳裏に上空での虹がチラついて心臓が壊れるんじゃないかというほどにバクバクと音を立てながら恐る恐る蓋を開けると、しっかり生きてた!金魚たちの生命力恐るべし。あの顔は『何が何だかさっぱり分かんねえよ!』と言っていたに違いない。分からないけど。

北海道との温度差が激しく灼熱で、しかも夕陽がギラギラと燃えていた。まるで高揚する私のようで「東京の街とは馬が合いそうだぜ!ガハハ!」と内心高笑いしたりした。それくらい新しい生活が本当に楽しみだった。
幼い頃から無意識に自分の中でのワクワクする気持ちを大事にしてきた。その中のひとつである上京、死ぬまでに叶えられて本当に良かったし、家族やバンドメンバーをはじめ周りの人たちが納得してくれて、本当に感謝してもしきれない。
沸々と燃えていた自分の心がやっと大爆発できた瞬間だった。

家に着いて手洗いうがいし荷物の運搬、金魚たちの水慣らしに取り掛かった。金魚は繊細なのでいきなりじゃぽんと新しい水に入れずに、ジップロック等を用いて水温・水質に慣らしていかなければならない。こんなに繊細なのに空を飛んだなんてよっぽど負担だったことでしょう。とても申し訳ない。背中を丸めながら金魚たちを暫く眺めていた。

こんな感じで怒涛の上京を経験し、その日はそれから正直あまり覚えていない。夜にウーバーイーツでマックを食べたんだと思う。たしか。多分。



今はこんなご時世なので会いたい人にもなかなか会えないけど、そんな中でもとても貴重な経験・出逢いをさせて頂けていてとても刺激になる日々です。
学生時代から音楽に夢中になりながら学業やバイトを両立し、卒業後も大好きな音楽を続けながら5:30に起きて仕事に行ったり夜勤したりと慌しい生活でしたが、今はとてもゆったり過ごしています。
夢の街で輝く人たちを見て憧れながら自分の無力さにがっかりしたり、溶け込もうとしたら逆に浮いてしまったり、有り余る時間の中でふと命を消費している感覚になったり。
時間が足りなくて余裕がなかった以前とはまるで反対の生活にはまだ沢山の戸惑いがありますが、今まで枯渇していた部分を潤わせてくれているような、そして同時に常に自分と闘っているような感覚です。
今までの受動的な生活では廃れていってしまう。常に能動的、パワーとアイディアが試されている。そんな気がする。

クリエイティブな街に降り立った今、私もどんどん先へ先へ進んでいきたい。消費されるのではなく、そこから沢山の万物を生み出せるように。
これからもこんな私ですが、宜しくお願い致します。そしてplumsも!


東京に住んでから初めて作ったなにとない曲、いつか皆さまにも聴いてもらいたいな。それでは。

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