3月8日は両親の結婚記念日。43回目であり、はじめての結婚記念日だった。
「43回目か。金婚式って難しいんだねぇ」
ミモザが包まれた花束を胸に抱きながら、四角い箱の隣、母はすんっと涙を流した。
「自由であることと孤独は、セットだからね」
寂しくない? と聞くたびに、母はこう言った。3人の子供を育てた彼女にとって、何年ぶりだろうか。好きな時間まで読書ができること。食べたいものを自分の好みだけで選び、自分のペースで日々を過ごせること。「最高だよ〜!」と言いながら、対のように「でも、やっぱり寂しいよ」とも付け加えた。
私は何度か、この言葉を聞いたことがある。もう結婚なんてできないとぶつくさ言っていた20代後半。あの子はできるのになんで私にはできないんだと、ないものばかり探していた頃だった。
「結婚しないということは、結婚しない自由を得ているんだよ。自由と孤独はセット。自由だけ手に入るなんてことはないんだから、その孤独も、受け入れていかなきゃ」
結婚して1年半が過ぎ、今になってやっと、少しだけ理解できる気がする。
「いなくなって初めて、たくさん守ってもらっていたんだなって思うの。男の人が家にいるということは、それだけで安心できていたんだなって」
43年間、いろいろなことがあったと思う。私から見ても、「どうして一緒にいられるんだろう」と疑問に思ったこともあった。専業主婦だった彼女は、守られているがゆえに、自由にできないことも、時にはあったはずだ。
だけど、衝突があるたび、彼はきっと、母を「女性だから」と律したわけではない。大事な存在だったからこそ、間違ったり傷ついたりしてほしくなかったからこそ、うまく伝えられなかったことがたくさんあったのだと、私は思う。
記憶綺麗にするマシーンが脳内に備え付けられている私は、いつもこんなふうに記憶を着色するもので、時に自分のこの思考回路が嫌いで仕方なくなる。なるべく目の前の辛いことから目を背けたくて、ゆえに時効を過ぎたあたりで、また苦しくなったりするから。つくづく、悲しみや苦しみは、その時に味わい尽くした方がいいと、頭ではわかっている。のだけど。
3/8という1日を母と過ごし、ドライブしながら話した言葉があった。
「Whyの中にい続けるのは、すごくエネルギーを使うよね」と。
あの時、なぜ、あんな言葉を言ってしまったのか。
あの時、なぜ、あんな態度をとってしまったのか。
なぜ。なぜ、優しくしてあげられなかったのだろうか。
陥ってしまうWhyは過去にしかなく、考えれば考えるほど、どうしようもなく辛い。
「だからさ、Whatを探さなきゃと思うのね」
今から何が、できるだろうか。
未来には何が、待っているだろうか。
何をしたら、みんなが幸せな時間を、長く過ごせるだろうか。
そうだね、うん、そうだ。やっぱり私も、そうしていきたい。
3/8を迎える一週間前。
姉からこんな話を聞いた。「お母さんがごめんねって言いながら泣いていたんだ」と。初めて1人で迎える結婚記念日に、三兄妹と私の旦那さんとで、ミモザの入った花束を贈った。
母の言葉の一つひとつは、強い。だけど、乗り越えられたゆえの言葉じゃない。今日そう思っていても、明日にはひっくり返ってしまうかもしれないくらいの、脆く、強い言葉だ。乗り越えようとする人の、努力の言葉だ。
ぐらぐら揺れる想いを抱えながら、こうありたいと願い言葉を発する。その努力を見て、改めて私は、母を好きになった。
忘れないことだ。悲しい想いで脳を埋め尽くすのではなく、あんなことがあった、こんなことがあったと、笑い話を、たくさんすることだ。そうすれば、私たちはきっと、泣き笑いしながらも彼と一緒に生きていける。
そうすればきっと、来年も、44回目の結婚記念日がくる。
3/8が終わるその頃、私はそう、信じることにした。
文:柴田佐世子
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