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憧れの地で生活をしてみて

半年間滞在していたフランス・リヨンという名の比較的大きな、フランスの主要都市

「旅をすること」と「実際にその土地に住むこと」の違いを肌で実感した、ほんの少しの体験談である

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これまで海外には両親と共に足を運び、幼少期から自分なりに様々な地域と国を見てきたつもりだ。
歳を重ねるにつれ、ある程度自分の知識も増え、語学に対する意欲も向上してきた。そんな時に自分が経験していなかったこと、それは異国の地に「住む」ということであった。

渡仏は大学に入学したら必ずしようと決めていた。当初はCovid-19の影響で思うような将来図が描けず、もがき苦しんだけれど。

大きな決断をしてなんやかんや実際に行動に移し、ようやく憧れの地に滞在する念願が叶った。
着いた当初はよくある感情で、不安半分、ワクワク半分。そんな感じ。好奇心の方が勿論強かった。
一人暮らしも初めてであったし、親の目を気にせず自由に生きれるんだ!と心から嬉しくなった。

だが現実はそう甘くない。
過去に訪れた諸外国は全て両親がいて、ツアーコンダクターの方がいて、と常に安心出来る環境があった。だが、たとえサポートしてくれる人が身近に居たとしても、長期間の大半は自分1人。自分の身は自分で守らないといけない。当たり前なんだけどね

期間が決められている「旅」には、必ず終わりがある。その限られた時間でその国の観光スポットを周り、グルメを満喫し、、と危険な目に合わない限り、とても充実したものになる。

だが長い目で見て異国の地に「住む」ということは、それなりの覚悟が必要なのだ。
その国で生まれた人と同じ食料店で、野菜や日用品を調達しに行き、同じメトロで通学する-

「自分はこの街に溶け込めているのだろうか」と何度考えたことだろう。

通学途中 ローヌ川沿いにて

ホームシックには1度もならなかったが、ふと寂しいと感じることは何度もあった。
月日を重ねると共に交友関係も増え、住んでいた寮には心強い友人もいた。寂しくは無いはずなのに、夜1人部屋にいる時そう考えることがあった。
肌寒くなってきた頃。季節のせいだったのだろうか

いや、でもそうなる事は当たり前なのだ。
自分を守れるのは異国の地である限り、自分1人であるはずだし、「隣の芝生は青い」ではないけれど、誰かと自分を無意識に比較してしまうことは、誰にだってある。そして勝手に落ち込んで、の繰り返し。

でも新しい環境に「住む」ということ、身を置くことは、自分自身の内面を無意識に大きく成長させていくのだ。そして同時に客観的に自分を見つめることが出来る。さらには長く滞在すればするほど、憧れであったその国の悪い所にも気づきやすい。住まなければ分からないことは沢山あるのだと、心の底から実感した。

それは例えばの話、目線より下の視界が汚いとか、交通機関が日本と比較して劣りすぎている、だとか挙げだしたらキリがないだろう。
特にフランスは長く住めば住むほど、一般的に抱かれるキラキラしたイメージとの違いを実感することが出来る国だ。これをいい事と捉えるか、捉えないかはその人次第である。

人でもそれが大きな国という対象でも、本当に好きなのならば、魅せられているのならば、「欠点を含め、全てを愛せ!」と、器と懐の大きさを求められると思う。 柔軟性とこの強い芯がある人が、きっとどんな国でも、上手く自分のコミュニティを築いていけるのだろう。

le14,juillet 2022 /革命記念日

昨年の7月14日、花火が上がった夜
フランス国民になれた気がした。
それと同時に、この場所に来れてよかったと心から思えた日でもある。

またいつかこの環境に戻るためにも、まだまだ私は努力をし続けなければいけないな

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