HiGH & LOW the movie Final Mission(ザム3)感想②

※公開当時プライベッターに上げてたものです


初見の感想をずらずら書きなぐっていたら止まらなくなった哀れなハイローゾンビの感想です。
一回しか見てないのに脳みそが暴走しているのでいろいろ勘違いしてると思います。

ザム3スモーキーはキリストなのか。そして大人になるということ。


公開初日にザム3を見てから「ハイローが頭から離れねえんだよ!!」状態になってしまった私。その熱いエモーションに任せてスモーキーの死についてのあれこれをずらずら書き並べてもまだ思うところがあったので再びパソコンを立ち上げてしまった。これは永遠じゃねえムゲンだ……。あと冒頭に思いっきりすかした一文があるが私は聖書については有名エピソードをいくつか知っているくらいである。すまない。あと絶対勘違いとかもしている、でもハイローの語り方は間違っているかもしれないが私がハイローを語りたい気持ちは間違ってねえ……。

衝撃カットでもあったスモーキーの死体。正直もっとボッコボコになっている姿を覚悟していた。だってキリンジさんめちゃくちゃに振りかぶってたじゃないですか。襲い掛かってくる家村会の映像から一転、映し出されたスモーキーの体は確かに痩せて蒼褪め、痣の浮かんだ痛々しい体だった。しかし寝ているかのように閉じた瞼、そこに寄り添うルード達、降りしきる雪。その中には絵画のような確かな静謐さも感じさせられた。スモーキーの表情は穏やかですらあった。
私があのスモーキーの死体に寄り添うルード、特に泣きつくララと支えるタケシの構図を見て思ったのは磔刑から降ろされたキリストの死の構図に似てるなあということだった。こんな感じの絵画があった気がする。なかったらすまない、私の見た幻だ。
ともあれ、今回の襲撃は無名街爆破セレモニーのためであるとともに、公害の被害者として(その時点で唯一)完璧に黒なスモーキーを消すためでもあった。スモーキーの死がそもそもの狙いだったのだ。スモーキーが医者にかからなかったのは政府が関わっている公害ということもあったのかもしれない……というのは置いといてスモーキーは自らの死をもって無名街を救おうとした(完璧に黒なスモーキーが消えればとりあえず家村会の気も緩むし少なくとも陽動としてはこの上ないだろう)しかし私はその死は決して絶望ではなく、残された家族への道しるべの一端となっているのではと考えていることは前回書いたとおりである。
そしてスモーキーの名前の由来。ルードボーイズのメンバーにはそれぞれ名前の由来がある。「いつもビートを刻んでるから」タケシ(だれがつけたんだ)「泣き虫でいつも泣いているから」ピー「いつも歌を歌っているから」ララ。新登場のユウはさておき、それぞれの名前の由来は結構拍子抜けするほど単純である。牧歌的と言ってもいいくらいに。その中にあってスモーキーの名前の由来は「街の煙たいことを全部引き受けるから」……重い。重すぎる。そんなん幼少期からつけられてるとか一人段違いに重い。自分で名乗ったのか背負わされたのかはわからないけどどちらにせよ重い。
しかしこの「街の煙たい部分をすべて背負った」つまり無名街の罪をも背負った人物が無名街のリーダーのまま死ぬことは、象徴としての無名街の死。生まれながらに住んでいた、それと同時に(無意識的であれ)家族を縛る枷であった無名街からの解放を示しているのではないか。鳥かごの鳥が十分に成長してそのかごから羽ばたくように。さらにスモーキーの死体はキリストと同じように弟子(家族)のもとに帰ってきた。やはりあの構図どこか意図があったのではないだろうか。オタクだからすごく深読みするぞ。
実際スモーキーの墓は十字架に近い形をしている。人々の原罪を贖うために死んだキリストと多少なりとも通じる部分はあるのではないか……な……。そうなると子供が大人になる、現実に一歩踏み出していくハイローワールドで神話的存在になるスモーキーが生き延びることはできなかったのは必然だったのかもしれない……。
一方でタケシが下敷きになった時の「俺のことはいいから先に行け!」ってセリフ、スモーキーのトレースなんだけれども、タケシはそっちに行かずにちゃんと笑顔のピーとユウが戻ってきて助けに来てくれたのでスモーキーとは違う未来を暗示しているんだなあと思いました、嬉しい。ララちゃんがちゃんとルードのメンバーとして動いていたこともうれしい。

あとさんざん一人で「スモーキーは北斗の拳のトキに似ている」って騒いでたけど、トキのモチーフってたしかキリストだったと思うのでつまりそういうことです。
そうは言いつつもスモーキーは神の子なんかじゃなくて普通の人間として幸せを掴んでくれ……みたいな自分がいるのも確かです。オタクは業が深い。

あと個人的に無名街に対する一般からのヘイトがすごくてびっくりした。SWORDのメンバーとか雨宮兄弟はまだ普通に無名街にいたけれども、ハンカチで鼻を押さえて「臭い」と顔をしかめる植野、「無名街爆破セレモニー」なんてふざけたイベントをポジティブイベントとして嬉々として進める政府とマスコミ。「爆破セレモニー」というワードのインパクト強すぎて笑ってしまうんだけど、それを何度も嬉しそうに発言してるのよくよく考えたら怖くないか。人住んでいるんだぞ。それだけ無名街って迫害されていたんだなって思うと守護神であり救世主のスモーキーの重みが余計にクるのである。

そしてスモーキーの「まったく…最高の人生だった」発言。それだけ迫害されている劣悪な環境に捨てられ、その街を背負い、公害が原因の病で死ぬスモーキーの言うこのセリフがルードのメンバーにとってはこの上ない福音になり、二階堂にとってはどうしようもない呪いになるんだろうな……二階堂は無名街で満たされなかったものを家村会に求めたのだと思う、それなのに自分の消したい過去であるスモーキーは満たされているというね……スモーキーは「捨てられたときは俺は誰からも忘れられていた」(うろ覚え)と言っていて、そこからララに出会ったこと、家族に出会ったことが自分を満たしてくれた、物質的なものではなく精神的に満たされたということなんだろうけど。
セリフの前に「まったく……」が付くことで良さが何百倍にもなっていたと思う。
二階堂のカインに対する「アベル」が誰なのかはいろんな意見を見てどれも説得力があるので決めかねるのですが、もしそのアベルがスモーキーであったのなら、幸福そうなスモーキーに対する一種の嫉妬みたいなものもあったんだと思う、カインコンプレックスといいますか。そうなるとシオンの名前の由来も紫苑ではなくて聖書由来なのかなとか気になります。ルード初期メンバーでなぜか名前の由来が判明してないし……まさかハイローから聖書を履修するとは……
あとそういえば、達磨の花火。あれは琥珀さんたちへの花道であるとともにスモーキーの追悼だったらいいなと思ってる。SWORDのそれぞれのチームカラーの5色(赤がやたら多めだったのは仕方ないね達磨だもの)のなかに打ちあがった真っ黒な花火。そこを穿ってみてもいいじゃないですか……(最初は九龍ざまあの色だと思ってた人)

あともう一つ無名街から離れると、ハイローのテーマとして「少年が大人に変わる」というforever young at heart なテーマがあったと思う。
ザム3ではそれまで完璧なヒーロー(子供の理想)だったコブラが苦悩しその通過儀礼を経て大人になっていく話だったのかもしれない……と思っている。そのコブラの理想と反発していたのが同じ山王のDTCだったわけなのだが、正直彼らの考えのほうが共感しやすいし現実的だった。ではだからと言って彼らが正しい大人の考え方をしていたかというとそれは違うのではないだろうか。ハイローで示される大人のキーワードとして「責任」という言葉が何度も出てきた。ダンたちは「コブラがあんなことするから悪い」と言ってずっといた、それはあの世界では「汚い大人」の考えであり、しかしそれを諭したのが誰でもない大人であるテッツの親父さんだということに私はものすごくぐっと来た。
いままで周りの大人と言えば九龍をはじめとする「汚い大人」ばかりだった。道を示してくれる龍也さんや尊龍は死んでしまうし「正しい大人」が不在だったように思える(小竹ママとか寿子さんはまた枠組みが違うよね)その中でDTCを諭し導いたのがそれまでただの商店街の親父さんだったテッツのお父さんだったということがどうしようもなく尊い。特別な地位とか大きなことを成し遂げたとかそういことじゃなくても正しい大人、背中を押し見守ってくれる人はいる、大人になることは悪いことじゃないんだよ、というメッセージのようだ。私は勝手に泣きそうだったよこのシーン。
そして年齢としては十分に大人である馬場さんがルードに家族と言われ、責任を取るんだと叱咤され、目の輝きを取り戻すあの流れがとてもよかった。ハイローにおいての大人とはただ社会的に身体的に成長した姿というのではなく自分の道を進み、その責任を背負える人物になるということなのではないだろうか。

一方で汚い大人の象徴であるかのような九龍グループでも彼らもかつてはコブラみたいな青年だったのかもしれないと感じさせるシーンがあってとてもよかったです。負けを認めた黒崎会長とか「黒崎の兄貴についていくだけなんで」っていってた克也会長めちゃくちゃかっこよかったね。

公開初日に一回見ただけでここまで色々出てくるハイローがすごすぎて今日も眠れないと思う。とんでもないジャンルにはまってしまったことに神に感謝。そして私もちゃんと堂々と生きる大人になりたいのであった。

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