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謝りたいこと

年が明けてまだ2週間も経っていないのに、罪を犯してしまったのでここに懺悔したい。

noteの投稿だが、書きたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にならなくて、書いては消し書いては消しを繰り返している。起承・・や起承転・まで書いて、そこから先が上手くいかず、成仏できない下書きばかりが増えていく。

そんな書いては消しの繰り返し、私は大抵MacBookで行っている。しかも、ただのMacBookではない。MacBook Proだ。何も成し遂げていないのに、カフェオレ片手にMacBookProをカタカタ言わせているだけで、何者かになったかのような満足感が湧いてくる。

なんせMacBookだ。電源が切れていても触っているだけで気持ちがいいし、見た目もかっこいい。それのProなのだ。Proとそれ以外で何が違うのか、私にはよくわからないが、ひとまずProのほうがなんとなくかっこいい感じはするだろう。見た目ではわからないが、実は Pro。なんと粋なことだろう。

そんなMacBookProだが、なんだか今日はいつもと違う気がする。トラックパッドの滑りが悪いのだ。決定的にダメなわけではなく、なんだか微妙に、少しだけ、違和感・・・という具合である。

理由はわかっている。溶けた餅がついた指でうっかり触ってしまったのだ。あんこが包まれた餅をコンロで焼いて、それにかじりつきながら仰向けに寝転び、首だけはクッションを使って軽く起こし、腹に乗せたMacで義母と娘のブルースを観ていたときのことである。Macを汚さないように気をつけてはいたが、不意に巻き戻そうとしたか何かで触ってしまった。面白シーンを恋人に見せたかったのかもしれない。

それだけならただのうっかりなのであるが、問題はそのMacBook、なんと私のものではなく、恋人のものなのだ。

彼が、プログラミング的な何かをするために買ったものであるが、私のおもちゃ(YouTube、Amazonプライムビデオ、パラビ、楽天、noteなどを見る)としても使われてしまっている。よく書きかけのコードが並んでいるページが開きっぱなしになっているので、元気に4本の指でページをスライドし、Safariに画面を切り替え好き勝手に使っている。(4本の指で画面を切り替えるというのは、私が知っている数少ない操作方法のひとつである。)

私のPCは、10年前に買ったdynabookだ。重いし、電池の劣化でコードレスではもう使えないしで、開く気になれず、スマホのバックアップ専用機器となっている。
だから、彼のMacを初めて触ったときは衝撃だった。なんて、なんと、最先端な感じなんだろう。衝撃を受けつつも、PCのことはよくわからないので、ぼんやりとした感想しか抱けない私なのだが、スマホを開くような手軽さでPCを使う感覚が嬉しく、人のものなのに家にそれがあるのがとても誇らしかった。

そんな風に人のPCを我が物顔で使っておきながら、それを汚すなどもっての他だろう。しかもよりによって餅。ついたところはすぐに拭き取り、綺麗になったようには見えるが、触るとまだ、なんだかもったりしているような気がする。

すぐに謝った。許してくれた。「ぜ〜んぜん、なんともなってないじゃん!」と言って笑ってくれた。しかし、きっと彼もこの違和感には気付いているはずだ。

私はきっと彼のことを軽んじていたのだ。だから気をつけていたとは言いつつも、人のPCを使いながら餅など食べてしまったのだろう。本当にすまない。

毎年毎年、年始に誓っている。規則正しい生活をしよう。自炊をして、お風呂に入って、そう遅くならないうちに布団に入ろう。

毎年誓うということは、毎年達成できていないということだ。実際、夜中の3時までスマホを触ったり、マクドナルドを高い頻度で食べたり、化粧を落とさずに寝たりしている。

今年は、今年こそは、正しい生活をしよう。

溶けた餅とMacBook Proに誓ったのであった。


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