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ノスタルジア 思い出の地巡り

先日、夫と2人で学会のため、車で北九州に行った。

夫も私も大学の同級生で、北九州の小倉で6年間過ごした。
「学生時代過ごした街をゆっくり巡ってみたいね」と前々から言っていた。

親元を離れてお互い一人暮らしで、学校生活、私生活でも随分助け合って、遊んできた仲であった。

行きの車のBGMはもちろん大学時代に流行っていた曲のオンパレード。

夫の好きだった早見優の「夏色のナンシー」を皮切りに、寺尾聰の「ルビーの指輪」、安全地帯…

我々の学生時代はディスコブームだった。サタデーナイトフィーバーより後で、マハラジャのお立ち台よりも前の時代。

大学時代、授業が16時に終わって、その後運動部で汗を流して、19時くらいからディスコに行って、お酒を飲みながら23時くらいまでみんなで踊っていた。

部活をやった後に、まだ有り余る体力を、ディスコで発散させていたんだと思う。(もちろん勉強もちゃんとしてましたよ笑)翌日は普通に朝から授業。
20代前半の体力って無尽蔵だったなと
つくづく感心する。

その頃のディスコの定番曲、ボーイズタウンギャングの「君の瞳に恋してる」ABBAの「ダンシングクイーン」、シーナイーストン、ノーランズもディスコでよくかかってたな〜
チークダンスの時にかかる、サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」
イントロを聴くだけで、身体がムズムズしてくる。

音楽の力はすごい。当時のことを思い出すだけで涙が溢れてくる。

日頃はお互い忙しくし、懐メロなんて聴くことなど皆無だが、ちょっと過去にタイムスリップして当時の流行歌を聴いただけで2人とも涙。

(これは腰痛ブログなので一言。感情が高まって出る涙は、涙と一緒にストレス物質も流してくれる。玉ねぎを切って流れる涙にはそういう効果はない。感動して泣くことはストレス解消によいのだ)

小倉に着き、きれいに建て替えられた新しい大学の周囲を歩き回り、自分たちが住んでいたエリアも見に行った。

私が住んでいた下宿はなくなっていたが、夫のアパートは40年以上経つのにそのまま存在していた。

うちにはテレビがなかったので、木曜日の夜9時前にはカラーテレビを持っている夫のアパートに待機して、「ザ・ベストテン」を一緒に見ていた。

親友の下宿があったエリアも訪ねてみた。
懐かしくて、親友にその写メを送ったら、「私も時々懐かしくて散策しています」と返信があった。
我々くらいの年になると、若い時に過ごした場所に訪れたくなるんだな。

部活の時のランニングコースも車で走ってみたが、今はとてもじゃないけどこんな距離走れない。

その頃大学の周りにあったスーパーや飲み屋さんはもう存在しない。

当時、土曜の17時から21時までアルバイトで塾の先生をしていた。
8キロ離れた八幡西区の塾で中学1.2.3年生の理科を教えていた。
晴れた日には、原付バイクで30分かかって行っていた。
そのルートも車でなぞってみた。

その塾はなくなっていたし、そこに行くまでの風景も随分変わっていたが、いろんなことを思い出した。

中学2年生の理科の教科書にカエルの解剖が載っていたが、学校では解剖実習はしないと聞いた。

うちの大学の薬理学教室に大きなヒキガエルが飼われているのを知っていたので、薬理の先生に頼んでヒキガエルを1匹いただき、塾に持って行き、中学2年の生徒たちとカエルの解剖をした。

秋には授業を中断して、夜道を歩いて生徒たちと八幡製鉄所の起業祭に行って、塾長から大目玉を食らった。

思春期の男の子たちは、私の原付バイクに興味津々で、「乗ってみたい」と言うので、授業が終わった後、1人ずつ交代で、塾の前の歩道を5メートル往復させていた。

我ながら怖いもの知らずで、好き放題やっていたものだ笑

思い出の地を旅して、リフレッシュでき、夫と思い出話に花が咲き、しあわせな時間が過ぎていった。

これから先2人で今まで以上に仲良くやっていきたい、忙しくても2人の時間を大事にしたいなと思った。

ノスタルジアは、過去から続く今の自分を見つめ直し、これから大事にしたいことを明確にしてくれた。










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