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岸辺のアルバム

両親の介護から解放される息抜きの一つが美容院に行くこと。

宮崎でヘナをやっている美容院は少ないが、たまたま実家の近くで1人でお店をされているところを5年くらい前に見つけた。

サロンに入ると、全身が心地よいアロマの香りに包まれ、海の音が聞こえてきそうなBGM

カラーの待ち時間にiPadでAmazonプライム、U-NEXT、ティーバーのドラマや映画が見れるのだ。
広島でもこんな美容院はなかなかない。
しかも自分が予約した時間に他のお客さんはいない。
何も気にせずに自分時間を楽しめる。


最近、山田太一さんのことが気になっていて、U-NEXTで1977年TBSで放送されていた「岸辺のアルバム」を選択。


47年前、当時私は中学3年生。このドラマと山口百恵の「赤いシリーズ」は家族で見ていた。

岸辺のアルバムは、いろんな意味で衝撃的なドラマだった。
中学生の私にはかなりハードな内容だったのでよく覚えている。


オープニング曲の、メジャーコードなのになにかもの悲しい洋曲、覚えてる、覚えてる。

その曲とコラボして、多摩川水害で家が崩壊して流れていく映像。

今ならNG映像だろう。

多摩川沿いにマイホームを買った4人家族の物語。
主人公は商社の部長の妻、八千草薫さんで専業主婦の役。

私は最後にこの家族のマイホームが水害で流されて行くのを知ってるから、多摩川でボートに乗って遊んでいる人たち、川辺で楽しそうに裸足で遊んでいる子供たちの映像を見て心が痛む。

50年前の家庭のあり方、会話、流行、風潮などが蘇ってくる。「ザ・昭和」だ。

高校生の息子の部屋には当時大人気のベイ・シティー・ローラーズのポスター、ファストフードのはしりであったモスバーガーでのシーン、LPレコード、FMラジオ、スーパーじゃなくて、魚屋さんで魚の買い物…あー懐かしい、50年前の世の中だ。

八千草さん、一日中誰とも接することなく、洗濯、アイロンかけ、ゴミ出し、風呂の掃除、窓拭き、買い物、食事作り、庭の手入れなど黙々と家事をこなす、当時のよき妻を演じている。

籠の中のカナリアに餌をあげて(カナリアのシーンがよく出てくるが、専業主婦の八千草さんそのものだ)、内職で洋服を縫っている。うちの母もインコを飼って、内職で洋裁をしていた。

大学に進学した娘は、家庭のことには関心がなく、母に反抗的で、母が用事を頼んでも「時間がない」と相手にしない。

母は娘に「あなたは最近、私のことを馬鹿にしたような言い方をして」って言ってた。
私も母に何度この言葉を言われたことか…

1人でテレビを見ながら、晩ご飯を食べている母に、大学から帰ってきた娘が「テレビ大きな音でつけて、何見てるの?」
「特に何も見てない」
「見てないのにつけてることないでしょ!」

お互いの言い分がよく理解できる。
娘は理屈だけで考えて発言するけど、母は理屈じゃないのだ。

専業主婦で朝から晩まで1人で過ごし、誰とも話さず、家の仕事を黙々とやって…そりゃ人の声が恋しくてテレビでもつけたくなるよ。

娘は晩ご飯も最近は家族と一緒に食べずに、サークルの仲間と食べている。
母が娘に「そんな風じゃお嫁のもらい手がないわよ」と言う。

娘は、一日中家の中で家事をするだけの専業主婦にはなりたくないと思っている。

専業主婦の1日のお仕事のシーン、誰からも評価をされない姿、息子だけは母が家にいることに安心を得ている。

夫は家のことには一切関わらない 息子の大学受験のことも妻任せ。

夫は「自分は仕事のことで精一杯なんだ。家のことで俺に余計な思いさせるな!」と怒っていた。そういうシーン、私の家でも何度か見たことがある。


妻が夫に「(夫の生活は)人間の暮らしじゃないわ」と言っていた。

高度成長期のお父さんたちは会社のために命がけで頑張っていた。
うちの父も帰りは午前様が多かった。家のことなど考えてられない。

夫との会話から、夫は妻のこと、家のこと、家族のことを軽く見ている、いやほとんど関心がない。

「これから家に帰る 夕飯はうちだ、7時には帰る ありがたく「はい」といえばいいんだ!」と命令形で妻に電話する夫。

約束の7時ではなく、夜中に酔っ払って帰ってきて、奥さんが怒りもしないで夫を介抱する。 

ドラマの夫の言葉は、普通の会話をしていても怒っているような言い方にしか聞こえない。短気で、すぐに怒鳴り出す。

うちの父も今でも母に命令口調で話をする。

今なら放送できないような言葉の数々。モラハラ、セクハラ、パワハラ、差別用語満載!会社の部屋の中で平気で男性社員がタバコを吸っているのもびっくりした。

東大、京大以外は大学じゃないような言い方、女の子に向かって「ブス」−表現の自由を通り越して怖い。

でも確かに、これが当たり前の世の中だった。


2話の途中まで見て、カラーが終了、洗髪台に移動。

洗髪の間、顔にタオルがかけられた中で私は嗚咽していた。

母が生きてきた時代背景、これまで専業主婦としてやってきたことと、ドラマの映像とがリンクして、母が発してきた言葉が今初めて理解できたのだ。

私もこの時代を生きて経験していたのに、子どもだったので、大人の世界のことはわからなかった。


半世紀経って、何事も変わらないように時代が移行したように感じるが、世の中、考え方、風潮がこんなにも変わっていたなんて…

「パパが仕事ばっかりで、家のこと何もしなかったから、私がこの家を支えてきた。」
「私がいなかったらこの家は崩壊していた。」
「この家を建てて45年になるけど、きれいにこの家が保たれてるのも私がしっかり管理してきたから。」
母が何度も何度も口にしてきた言葉。

これまで私は、(いつも自分ばかりが苦労したように言ってる。父も同じように苦労してたんだよ。)と思いつつ、はいはいと聞いていた。

違う。。。


母には母の努力があったのだ。


50年前の専業主婦の生活、今の私なら、退屈で3日と持たない。

「女房に働かせることは男の恥だ」と、うちの父はよく言っていた。

夫の庇護のもと専業主婦であることが女のしあわせであるかのような風潮の中で、母は毎日誰と話すこともなく、家事を黙々とこなして、家族が心地よく過ごせるように家を守ってきたのだ。

家族にとって当たり前だった日常は、母の目に見えない努力によって成り立っていた。家族から感謝の言葉ひとつないのに。

私は、いずれ両親の介護が必要になることを予測して、15年前から両親に「広島においでよ」としつこく言っていた。

父は広島に行く気持ちを固めてくれていたが、母だけは私のオファーに頑固に反対して、今に至る。

このドラマを見て(まだ2話の半分だが)うちの母も八千草さんと同じように、風呂場の床をタワシでゴシゴシ磨き、大きな窓にスプレーをかけて拭いていた。

夢のマイホームを手に入れて、毎日隅々まで掃除してきれいに保ってきた。そこは母にとってのお城。

母の口癖が「あんたたちを県外に出さんければよかった。老後がこんなに惨めなものになるとは」

「だから私がずっと前から広島においでって言ってきたでしょう!」ここ数年はこのやりとりの繰り返し。

まさに番組の母娘の会話そのものだ。

私みたいに単純な理屈を言っても、母のこれまでやってきたことを考えると、簡単に広島に行こうという決心がつかなかったのだろう。

城主が、長年住んでいた大切な自分のお城を捨てて、見知らぬ土地に行くのと同じ。しかも新しい土地ではお城に住むわけではない。

マンションなんて狭い家にこれまで住んだことがない。季節ごとにきれいな草花が咲き乱れる庭もない。


母の口癖が「女も手に職を持たないもダメよ。私のような主婦はダメ。資格を持ちなさい」だった。

それで私は今の道に進んだが、理屈ばかり言うかわいげのない娘に成長し、そりゃ腹も立つよ。私が母と同じ立場でもそう思うだろう。

母の言葉の一つ一つが重みを増して、ようやく母のことが心から理解できた。今まで母の気持ちを無視して発言してきた自分が嘆かわしくて、涙が止まらなかった。


美容師さんに、髪を拭いてもらったタオルを借りて泣いた。

美容師さんがびっくりして「ドラマを思い出して涙出てきたんですね、髪も心もデトックスですね」と苦笑しながら言ってくださった。

涙と一緒にいろんなものが流れて行った。


山田太一さんはすごい、このドラマを42歳の時に作っている。

太一さん自身は男性で、高度成長期のモーレツ社員であったに違いないのに、時代に流されることなく、冷静に世の中のおかしさを描いている。

夫、妻、娘、息子、それぞれの気持ちを理解して、それぞれが抱えている心の中の闇の部分、弱さを浮き彫りにしている。


太一さんのお陰で私は人生の失敗をしなくて済んでいる。
両親が生きている間に大切なことに気づけてよかった。


ドラマの続きは次帰省した時に、また。

美容師さん、素晴らしいデトックスの時間をありがとう!

追記)
「岸辺のアルバムを見て号泣して、美容師さんに笑われた」

次女「岸辺のアルバムって何?岸辺なら露伴しか知らん」

「きしべと言ったら、岸部シローか岸辺のアルバムしか知らん」

次女「今の人は岸辺露伴だよ笑」

「知らん…」

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