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恋愛における因果応報理論

というか、因果応報ということばを信じたいので、常々いい人になろうと努力をしている。けれども、そう一筋縄ではいかないらしいというのを身をもって体感しているので、神様や仏様もなんだか依怙贔屓の世界なのかもしれない。

この世は不公平そのものである。

って書いたとたんにインターフォンが鳴ってキリスト教の布教に訪れた初老の小綺麗なマダムとお話する羽目に。話の途中で無宗教の仏教徒だからとお断りしたら、「お話聞いてくださってありがとう」って笑顔で言われてこのひとはきっと幸せになる人だなって思った。

さて本題。とりわけ恋愛の世界においてはいろいろなことが起こる。私の友人の話もそうである。その子は若いころに10年近く離婚してくれないオトコと職場で不倫をしていて。相手が離婚した途端に、お見合いに近い状況で初婚の相手と結婚。その後旦那の都合で上京し出産した友人がいる。
正直言って彼女のケースは何らかの業があってもよいはずなのに、今のところは絵にかいたような幸せな家庭を築いているので羨ましいの一言である。きっと前世あたりでとても素敵な何かを成し遂げたに違いない。

かくいう私はどうなのかというと。無垢だった頃に、人を信じすぎてうっかり歳上のオトコとまともな恋愛をしていたら絶対に経験できないようなアダルトビデオ以上の経験をする羽目になり、すっかり身体は汚れてしまった後にピュアな恋愛を何度か繰り返すという出鼻をくじかれて一生幸せになれないんじゃないかと不安になるような恋愛の変遷っぷりである。

その後はいろいろあって。妻子ともに知ってる最低な既婚者に路地裏に連れ込まれてキスを強要されたり。

やたら自宅についてくるなーっていう妻子持ちの上司にレイプまがいのセックスの強要されたり。

拗らせた逸話としてはいくつもあるが、殿方とのファーストキスでいきなりディープなものをしてしまって当時童貞だったその方を驚かせてしまったというのは何とも言えない拗らせっぷりでもある。

きっとこれらの逸話を切り取ったら人の不幸は蜜の味的な恋愛小説でも書けるのだろうなって思いつつもまだかけない。書けない間に記憶は朧げになってくる。

若いころに拗らせた恋愛は甘く酸っぱい初恋の前に無残にも砕け散ったのだと思う。

そろそろ私も成仏させてもらってもよいのではないかしらと思いながら、最近マッチングした殿方(チャットbotほどの積極性が無いのでリアルだと思いたい)とのメッセでのイチャイチャにほんの少しだけ癒されてる。

この恋が最後になればいいのに。そう思いながらキュンと逸る心を止められない。

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