エア禍話:明け方こっくりさん


 皆さんはこっくりさんって知ってます?
 またか、と思われるかもしれませんがね。もう結構な数を話してますからね、こっくりさん。でも今回は最近の話ですよ。平成の真ん中ぐらいじゃないかな。
 夕方をたそかれ時と言うじゃないですか。薄暗くて、相手が誰であるかわからないから。これは明け方もおなじですよね。こちらはたいてい、かはたれ時と呼ぶ。
 古くから、そういった頃合いには魔が潜むものです。ひっそりと、人の顔をして。


 Aさんが高校生だった頃の話だ。
 当時、彼女は女子バスケ部に所属していて、夏休みの一週間、強化合宿が行われていた。とはいえ、特に強豪だったわけでもなかったので、場所はいつもの体育館で、学校の敷地内で寝泊りするだけのこじんまりとした合宿だったという。その学校には、校舎とは別に文化部の部室棟があって、茶道部と百人一首部が普段使っている和室を数室、夜の間だけ借りていたそうだ。
 最後の夜のとき、Aさんは何人かの友人と怖い話をして盛り上がっていた。話の流れで、実際にこっくりさんをやってみようということになった。
 はじめに言い出したのはBさんだ。
 彼女は成績も優秀であったが、どうやら怪談にも造詣が深かったらしく、Aさんたちのなかで一番、周囲を怖がらせていた。明日で合宿が終わる開放感と名残惜しさがあってか、すんなりと賛成の声があがった。
 どうせなら本格的にしよう、と顧問に見つからないように校舎に忍び込んで、Bさんのクラスでこっくりさんをすることにした。
「こっくりさん、こっくりさん、いらっしゃいますでしょうか」
 やけに月の明るい夜で、不思議とそれほど恐怖は感じなかった。電灯はつけていなかったが、ほの明るい室内にBさんの落ち着いた声が響く。ひとつの机の四方を囲うように、Bさんと友人たちが座っている。数が余ってしまったのでAさんは後ろから様子を見ていただけだったという。
 期待に満ちた視線を集める中央の10円玉はぴくりとも動かない。
 こっくりさん、こっくりさん、とBさんは繰り返すが、やはりうまくいかなかった。思えば、誰かが動かしてしまえばよかったのだが、皆、妙に真面目で、じっと彼女の声を聞きながらこっくりさんを待っていた。
 しかし十数分もそうしていると、興が冷めるもので、しまいには諦めて部室棟に戻ってしまった。
 残念だったね、と少し悔しそうにBさんは言った。

 昼間の練習の疲れもあって、Aさんは戻ってくるとすぐに寝ついたが、朝早く、トイレに行きたくなって目を覚ました。朝といっても陽は昇ってきておらず、東の空がわずかに白白としているだけで、そこかしこに夜闇が色濃く残っていた。
 用を済ませて廊下を歩いていると、ふっと視界の隅で何かが動いたのに気がついた。
 Bちゃんだ。
 Bさんが廊下を歩いている。しかも向かいの校舎の方の廊下を、だ。窓越しにその様子を眺めていると、Bさんはある教室へと入っていった。こっくりさんをしたBさんのクラスだった。
 忘れ物でもしたのかな、と最初はそう思った。だが、徐々に漠然とした不安感がAさんを襲うようになった。まるで、鍵をかけ忘れて外出したときのような、道を間違えてまだ気がついていないときのような、そんな輪郭のない胸騒ぎだ。
 彼女はBさんを追って校舎へと向かった。その学校にはいつでも開いている通用口がひとつあったのだ。だから昨晩も入ることができたのだが。
 Bさんのクラスのある階まで辿りつくと、こっくりさん、こっくりさん、という声が廊下からでも聞こえてくる。
 Aさんは教卓側の扉から、室内を覗いた。
 女子生徒がふたり向きあって座っている。ひとりはこちらに背を見せて、奥に位置したひとりも暗い影がかかって顔がわからない。
 Aさんは何故か手前にいる方がBさんなのだと直感的に思った。
「Bちゃん、」
 なにしてるの、そこまで言う前に、Bさんらしき生徒が振り返った。
「なあに」
 振り向いたその顔はBさんではなかった。まったく知らない子だ。
「えっ、誰?」
「やだなぁ、Bだよ」
 ようやくそこで目が慣れてきて、奥の方がBさんなのだと気がついた。
 彼女は瞬きもせず、こっくりさん、こっくりさん、と繰り返し呟いている。相当、力が入っているらしく、10円玉を押さえる人差し指は反り返って、先が真っ白に染まっていた。
 よく見なくても、見知らぬ誰かとBさんは服装も髪型もまったく違う。誰かは髪が長く制服を着ていたが、Bさんはショートカットで寝まき姿だ。
 なのに、どうして間違えたんだろう。
 薄ら寒い心地がして、Aさんはその場から動くことが出来なかった。見知らぬ誰かもにこにこと笑ってるのみで、こっくりさん、こっくりさん、というBさんの単調な声だけが微明の静寂に谺していた。
 どれくらい、そうしていたのかわからない。
 地平線の向こうからやったきた太陽が、室内にゆっくりと差し込んだ。見知らぬその子はそれを眩しそうにして、目を細めた。朝日に照らされても生きた人間にしか見えなかったという。
「あーあ、時間だから帰んなきゃ」
 そう何でもないように呟いて、教室の後ろの方の扉から外へ出ていった。
 がたん、と大きな音がして、見ると、Bさんが椅子から崩れ落ちていた。大慌てで近づくと、気を失っているようだった。
 少々無理やり叩き起こしたところ、Bさんは何も覚えていないようであった。
「夢遊病かなぁ」
 と呑気に笑っていた。
 Bさんは人差し指を突き指していて、最終日の練習は参加できなかったそうだ。

 後日、Aさんは詳しく調べたが、その学校では誰かが死んだということはなく、何の謂れもなかった。翌年も合宿に参加したがその時は何も出なかったらしい。
 今でもAさんはBさんと付き合いがあり、特に変わった様子はないそうだ。

 ただ、買い物や食事の際、彼女の小銭入れにはいつも大量に10円玉が入っている、という。


※こんな禍話はありません

この方のツイートからタイトルを拝借して、勝手に禍話っぽい話を創作したものです。

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