Poor-Frog

小心者の蛙です。 そんなに詳しくはありませんが、アートが好き。 ここでは徒然なるままに…

Poor-Frog

小心者の蛙です。 そんなに詳しくはありませんが、アートが好き。 ここでは徒然なるままに個人的雑感やエッセイ等を記します。(多分塵)

最近の記事

単糸 線を成さず

糸の切れた凧のような状態になっている。 完全にバーンアウト。 気が付けば、やらねばならない事に追われ 気が付けば、手間のかかることがやってきて しかし、それはそれで別に構わないと、ずっと思っていた。 だけど。 自分自身を含めた状態で 「みんなにとって、よりよいこととは何か」について考えることを していなかった気がする。 身も心もすっかり草臥れ果ててしまって 蛙は蛙らしく、冬眠でもしないと 何か生きることそのものが面倒になってしまって たのしいことって、どんなことだ

    • どうであろうと、全ては「こころ」

      「こころ」があるとか、無いとか、最近、身近でよく目にする。 そのように言う本人にとっては「あたたかい」と感じる人の心のことを「こころ」と呼称しているのだろうけれど、そういう観点からすれば、自分自身は「こころ」の少ない奴だ。いわゆる「冷たい人間」という奴。 だけど。 あたたかろうが冷たかろうが、どうであろうと、人が何らかの対象に触発され、知覚や感情、理性や喜怒哀楽、意思となって現れるものは全て、「こころ」じゃないのだろうか。 心温まるものだけが「こころ」なのではない。 ど

      • 「きれいごと」 との闘い

         まだ積極的に美術作品を制作していた頃、9年程昔に『きれい・ごと』という作品を制作して発表した。  それを作品化させるきっかけとなったのは10年前の東日本大震災だったが、この作品に至るまでの想いは、随分と昔から引き摺り続けているものが影響している。 (以下画像2枚は、10年前に東北へボランティアに出向いた時に見た風景。この時に感じた砂埃と臭いは、今でも忘れられない。)  子ども時代は誰でもそうだったのではないかと勝手に思っているが、自分なりに理想や夢というのをしっかりと持っ

        • 五十而知天命

           この2021年には五十となる自分。  視覚や聴覚、記憶力が衰え始め、さらには白髪がちらほらと混じり始めたな…と思っていたけれど、友人には正月早々から「随分と黒いな」と笑われる始末。  相変わらず幼稚というか、大人になれないというか。  仕事というものはそもそも自分がやりたいことばかりができるものではなく、むしろ自分ではやりたくないことが降ってくるようにずっと感じていた。  しかしそれらは全て、頼まれたことに対して「断る」ことをせず、例えその時点ではできないことであったとし

        単糸 線を成さず

          明けない夜は無い

          明けない夜は無い

          日々の暮らしができることに感謝する

          2020年も、あと少しで終わります。 Covid-19の影響で、本当にいろいろなことがあり、いろいろなことができませんでした。 まだまだしばらくはこの調子だと思いますが、当たり前のように日々の暮らしができることに、まずは感謝をしたいと思います。 通常であれば、ちょっと飛行機に乗って、行きたいところに飛んでいき、自分の身をもって様々な体験を積んでいました。 それができなかった今年は、自分の足元を見つめなおす大切な期間となりました。これまで、如何に自分自身の足元を固めずに、現実

          日々の暮らしができることに感謝する

          遠い旅路

          「やっぱり、そっちは遠いわよね…」 電話口で義母がそう言った。 飛行機で飛んでいけば、たかだか小一時間程度の距離も 随分と遠くなってしまった。 今年は結局、一度も旅に出ていない。 暮れのご挨拶のお歳暮を受け取った義母からのお礼の電話は いつもよりも少し語りが長くなっていた。 本当であれば直接会って あまり多くは語らずとも、側に居るだけで 互いに不思議と安心し合える。 今は、それができない。 「散歩に出て歩いたりはしているのだけれどね…」 「今年になって、一度も電車に乗

          遠い旅路

          業を憎んで、業を赦す

           「共感力」が求められる昨今の時世において、その共感力が却って強過ぎることによって自らを追いつめてしまうことがよくある。  それは、ある種の「業」のようなもので、それ故に因果応報を感じざるを得ないこともしばしばである。  いい加減によい歳でもあるので、そのあたりは十分にわきまえた上で自分の「業」は理性で押さえ込んではいるものの、心の奥底にある正直な感情や衝動、迷いというのはどこかで火種が燻っていて、そうした面倒臭いものたちが(時々ではあるが)こそこそと悪戯をしようとしてきて

          業を憎んで、業を赦す

          がんばらないことを、がんばる

          「がんばらん」 ある少女から、そのように言われたことがある。 その少女はダウン症の子どもであったが、己の意思に正直に生きている子だった。 そのような発言を言うことなんて、自分自身では考えられなかったから、非常に衝撃的であった。 それと同時に、とても素敵な考え方だと思った。 がんばることや努力、一生懸命になることが礼賛されがちだし、ドリンク剤や滋養強壮剤、栄養補助食品のコマーシャルが頻繁に流れるようなこの国で、「がんばらん」と宣言するのはなかなか勇気の要ることだと思っている

          がんばらないことを、がんばる

          「言葉にする」 ということ

          自分で感じたことや考えたことを、自分が感じたり考えたりしたとおりに、できるだけ正確に言葉にするのはとても難しい。 これができるようになるには、かなりのトレーニングを積む必要がある。 たくさんの本を読み、他者と対話をし、感じ考えたことを駄文にして量産するだろうし、出来不出来を判断するために自分以外の誰かに読んでもらった上でフィードバックをもらうことも必要である。 (無論、このテキストも駄文のひとつに過ぎない。) こうした言語トレーニングは学校教育を受けている期間中にもっと行わ

          「言葉にする」 ということ

          晴れと褻

          鬱々とした日々を打破するためには、いちいち上から「新しい生活」だとか言われなくても、必然的に新しい生活スタイルを築く必要を感じる。 そうした毎日を過ごしている中で気付いたのは、自分自身がどちらかというと、晴れの日のことばかり考えていたという現実。 自分が考える「よりよい成果」を出すことを目的に、仕事中心の日常生活(=褻)がずっと続いていた。 その積み重ねの成果がよいかたちで出れば、後々の晴れと繋がり、それが自分の喜びにもつながっていたと思う。 無論、晴れの日が素晴らしいも

          晴れと褻

          Stay House

          「Stay Home」と言える人は幸せ者だ…と思う。 今の自分からしてみれば、その状態は「Stay House」でしかないから。 「House」だなんて、まるで犬みたいだな。(苦笑) homeもhouseも、日本語にしてみればどちらも「家」である。 但し、homeが建物に加えて家族の暮らしの場としての「家」であるのに対し、houseは単なる建物としての自宅であるから、含まれるニュアンスは全く違うものとなる。 中学生レベルの英単語なのに、この感覚が、いい大人になるまで全く理解

          忖度 と 感情

          このtweetを見て、いろいろと思うことが出てくる。 自分で言うのも変な話だが、今の自分自身はどちらかというと気遣いし過ぎる人間だと実感している。 そうなったのも、自分の親を始めとした、大人に対する「恐怖心」がルーツではないかと考えている。 今どきそんなことをやっていたら体罰だと思うけれど、自分の子ども時代では、例えば親の言うことを聞かなければ、鍵付きの物置に閉じこめられたり、棒のようなもので殴られたり、蹴られたり、刃物を向けられたり…と、「躾」の名の元に行われた体罰がた

          忖度 と 感情

          他信 と 自信

          近頃、精神的に参っていて、ひとつ前の投稿でゴミ捨てをした。 そういう状況に陥る原因は、「自信」があるかどうかだと思うところがある。 ここで言う「自信」というのは、「自分を信じる」ということである。 他の人から褒められて自信を持つのは「自信」ではない。 そういうのは「他人を信じている」のだから「他信」でしかないと思っている。 「自信」を持つ=「自分を信じる」ことができるようになる為には、それ相応の経験と努力の蓄積が必要だ。 多分、自分自身が想像している以上に。 もっと「自信

          他信 と 自信

          「信じる」 ということ

          「信じる」ということ 「信じる」ことはたやすい 「信じない」こともたやすい でも。 「信じる」ことはたやすくない 「信じない」こともたやすくない 「おはよう」 「こんにちは」 「こんばんは」 「さようなら」 「おめでとう」 「ありがとう」 「ごめんなさい」 「すみません」 「よかったね」 「大丈夫」 さりげないことばを 何気なく言い、伝える。 それができるくらいに 「信じる」ものたちに囲まれる そんな生活ができるように、私はなりたい。

          「信じる」 ということ

          変わらないもの、 変わるもの

          平日ではあるが、振休のおかげでゆっくりと朝食をいただくことができる。 あまり飲む機会の無かった珈琲も、ふとしたことがきっかけで、たまに飲むようになったり。(但し、少し牛乳 or 豆乳が多めの、お子様珈琲で。) 自身の生活をふりかえってみると、Covid-19以前と変わらないものが多い。 独り暮らしであること、(制限はあるものの)休日は自分の好きなように過ごせること、きちんと仕事があって働くことができること、夜には美味しくお酒をいただくことができること、(誰が読むとも無く)自

          変わらないもの、 変わるもの