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【書評】水上勉『波影』-福井県小浜「まいまいこんこ」の葬礼

作家・水上勉(1999-2004)原作の『波影』(角川文庫・昭和44年)を読む。物語の舞台は戦中から戦後にかけての福井県・小浜の「三丁町」という遊里にあった「玉木家」という妓楼である。

戦前もしくは江戸以前の時代から続く遊女たちの伝統は北陸・小浜の地にも息づいていた。丹後・北陸・東北の貧しい農村から出た娘たちは各地の遊里・遊郭に奉公して、「年期」を果たし、「前借」を返すために必死に働いた。脈絡と続く日本的な「鄙と都」の原型は太平洋戦争終結に伴う占領軍司令部(GHQ)による日本政府への公娼制度の廃止命令(昭和21年)を経ても完全になくなることはなく、むしろ義理や人情、封建的な「きずな」によって保護されることで命脈を保ったのである。

この小説はその様な時代を背景にしつつ、気風のよい娼妓・雛千代と妓楼の娘・世津子の交流を中心に描くことで、ある種「清々しい」読後感を読者に提供することに成功している。その交流は幼き日に木炭バスで雛千代の出身地である泊部落を訪れたことから始まり、サバの魚臭さが立ち込める小さな漁船に揺られて小浜湾を渡ったこと、雛千代が客を取る合間に交わした軽口、世津子が京都の女専に進学して後の文通に及ぶ。それは気の通じた友だちや実の姉のようでもあり、教師になる夢を打ち明けた世津子を見守る雛千代はもう一人の母のようでもあった。

高校教員への就職を控えた世津子の運命は、生家の妓楼経営に不満を持つ兄・忠志が引き起こした生家への放火事件により暗転した。放火事件に加え、学校への登録時に両親の職業を会社員と偽っていたことが発覚し、教員への道を断たれてしまったのであった。しかし、彼女は兄とは異なりあくまでひたむきであった。彼女はやがて京都のガス会社に採用され、帷子ノ辻(かたびらのつじ)で生活を始める。

ある日、生家の母より雛千代が病床に臥せっているという知らせが届く。悪質な肉腫症(サルコーマ)であったことから彼女は治療を自ら断念し、35年間の短い生涯を終えた。

葬儀のために京都から駆けつけた世津子は、幼い頃雛千代が度々口にしていた、泊部落の「まいまいこんこ」を目の当たりにすることになる。

葬礼の段取りは次のようなものだ。集落の寺の庭の墓地の続きにお堂があった。そのお堂の前で村人たちは死者を弔い、棺桶の周りをお経を唱えながら回る。

雛千代の棺の周囲を白無垢の衣装を身につけてぐるぐる回る人々の環に一人黒スーツを着た世津子が加わった。その葬列に加わると世津子は雛千代の生命が終わりを迎えたことをはっきりと感じた。気立てがよくとも必ずしも生前幸福だったとは言い切れなかった雛千代の霊魂が故郷と離れ離れに暮らした家族の下に帰り、小浜湾の雄大な自然と波濤の中に還ったことが感じられたのであった。

「まいまいこんこ」というのは泊部落の葬礼で、北陸の浄土系宗派の農林漁村などで行われた阿弥陀如来信仰と見られる。日本海に臨んだ「辺境」に位置した泊部落の土着の人間の多くは京都や大阪へ出て働き、死後は出身地に戻ってくることを望んだのである。

毎年夏に京都から帰省した世津子は泊部落の雛千代の墓参りをし、小浜湾に臨む生家からはるかに泊部落のある内外海(うちとみ)半島を眺めている。その落ち着き物事から距離を置いた目は彼女が長じてからではなく、幼時からの彼女に備わっていたものである。雛千代との対話を通して培われた見識や世の中への見方が、現在の成熟した彼女を形作っているのである。

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