「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル

(リルケ)
いつでも被造物のほうに向けられて、
わたしたちがそこに観るのは、自由なものの鏡映にすぎない。
わたしたちに暗まされた鏡映だけ。あるいは一個の動物の、
もの言わぬ動物の見上げる眼が、どこまでも静かにわたしたちを貫いていること。
これが運命というものだ――対峙しているということ。


はっきりと意識的に自らの人生を捉え、明確な目的をもって行動するときでさえ、あらゆる瞬間ごとに無数の偶然事に出くわすことにな ります――予期していなかった匂い、初めて知りあいになる人たち、かつて一度として直面したことのなかった状況、等々。わたしたちの人生は、さまざまな意味の場を通過していく動き、それもほかに替えのきかない一回的な動きにほかなりません。意味の場から意味の場へと移動するたびに、わたしたちはさまざまな意味の場の連関を作っていくか、あるいは見出していくわけです。この文章を入力しながら、わたしは、たとえば「この文章を書いている、その年に初めて夏のような陽気になった ある日」という意味の場を顧慮して、現象してくるさまざまな対象をそのなかに位置づけています。だからこそ、今この紙面に、教会の尖塔やちびっ子のダーフィットが登場してきているわけです。いずれも日常の些事ですが、とても重要な些事にほかなりません。

世界=すべての意味の場を包摂する意味の場
は様々な個別の意味の場には現れない。
個別の意味の場には他のすべての意味の場が包摂して現れることなどあり得ない。
(まだ全部読んでないけど)

わ〜い!😄