「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」宮下規久朗

殺人罪で処刑される画家は、斬首ではなく、絞首刑以外には考えられないのである。 ところが、一六〇八年七月一四日にマルタ島で「恩寵の騎士」に叙せられた後は、騎士として斬首となるはずであった。実際には画家が無断で島から逃亡したために同じ年の一二月一日に騎士号は剝奪されていたのだが、カラヴァッジョは死の間際まで、自分がマルタ騎士であると称していた。つまり、彼は一六〇八年以降、自分が捕らえられても斬首されるはずであると思っていたと推測されるのである。たしかに、斬首された自分を描くことは、 「絶対的に否定的な自己表現」ではあっても、斬首という処刑方法自体が騎士となった証しとなるはずであった。斬首された自身を描くこの自画像は、このことからも一六〇八年以前には遡りえないのではなかろうか。騎士号を 得た直後に《洗礼者ヨハネの斬首〉のヨハネの首からほとばしる血で堂々と画面に署名したときのように、(《ダビデとゴリアテ》の)ゴリアテの首からは鮮血とともに、画家が最後まで保持していたわずかな矜持さえも滴っていたのかもしれない。

わ〜い!😄