(続々)
神秘家が陥りがちな困難は四つある。(活力喪失、妄想、精神錯乱、無関心)
活力喪失
神秘家は、自らの夢見る地、自らの理想の人間、もしくは自らの熱を向ける (人格化された、もしくは人格化されていない) 霊的な理想へと絶えず「上向きに」 (彼はそのよう見なし、そのように言う) 引き寄せられている。そのため、「リアリティーを絶えず具現化する道」という正常かつ健全な過程を逆転させている。
彼は完全に自らの熱誠の世界で生きることで、物質界の生活を無視するようになり、 非実際的になるだけではなく、物質界に対して消極的になる。 彼は自らのすべての生命力を上へと引っ張り上げ、その結果、彼の肉体と物質界での生活は苦しみ喘ぐことになる。 専門的に言えば、太陽叢のフォースは、本来そうであるべきように、ハート・センターへと引き上げられず、 ハートのエネルギーが人類への無私の愛として流れ出ることもない。(たまにはあるよ?)それらすべてが、 アストラル意識の最高レベルに集中し、そこで分配され、アストラル体のフォースに栄養分を与えるために送られる。そのため、それらは正常な過程を逆転させ、 その結果として肉体は悲痛な苦悩を受けることになる。
聖者や神秘家の生涯を研究すると、この障害について多くのことが分かるであろう。 人類に対する何らかの明確な奉仕が行われていた比較的稀な場合においてさえ、その動機は多くの場合 (通常は、と言ったほうがよいかもしれない)、自分自身の役に立ち、情緒的な満足と報酬をもたらすと感じられた要望や義務を果たすことであった。この活力喪失は度を超えたものになることが多く、その結果として、神経衰弱、トランス状態、他の病的状態の発生にとどまらず、時には死そのものに至ることもある。
この問題の根底にあるのは、ヴィジョンにアストラル物質をまとわせて具現化すること、献身の素振りをする) 情緒の力によってそれを助長すること、そしてメンタル知覚の領域へと足を踏み入れる能力も理想主義的な夢を物質的な表現へともたらす能力もその神秘家にないことである。 彼は自分の中にある最良のものに惑わされるようになる。 彼は自らが知っている最高のものを体現する幻覚の犠牲者である。彼は霊的な生活というグラマーに圧倒される。彼はヴィジョンと大計画を識別できず、神秘家としての長年にわたる活動が生み出したリアリティーではないものと、統合した人間が送る人生の背景に常にあるリアリティーを識別することができない。
このヴィジョン(天国、神、キリスト、霊的な指導者、至福千年のヴィジョン)が大多数の場合、時代時代を通して神秘家たちが抱いてきた夢や熱誠に基づいていることを忘れないようにしなさい。 彼らは神秘主義の道を切り開いてきた。 そして、自分が感じ、熱誠を抱き、 大いなる熱望をもって切望してきたものを表現するために、同じ用語を使い、同じ象徴を用いてきた。 彼らはすべて、世界的な熱誠というグラマーの背後にある同じリアリティーを感じ、自らの欲求と切望を同じ象徴的な形態を使って表現する最愛の人との結婚、聖なる都市での生活、恍惚に満ちた神のヴィジョンへの関与、キリストや仏陀やシュリ・クリシュナのような神聖化された愛す る個人への憧れ、生命の庭つまり主の庭を神と一緒に歩くこと、神が見出され、すべてが明らか になる山頂への到達。
彼らの熱誠がまとい、彼らの二重性の感覚が満足する形態のうちわずかな ものをここで挙げた。このような考えが強力な想念形態としてアストラル界に存在し、これらが 磁石のように献身家の熱誠を引きつける。彼らの熱誠は、探求の切望、深く根差した霊的な「願望生命」の想像力に富んだ表現、時には「神へのハートの上昇」と描写される、神性への感情のほとばしりという同じ道を世紀から世紀へと辿っている。
(ダレカタスケテー)
わ〜い!😄