きっと世界中の誰もが「なぜ自分ばかりこんな辛い目にあわなくてはいけないのだろう」と思いながら生きてる。

マッチングアプリを利用して付き合うことに成功した人の割合は男性で59.1%、女性で51.8%、2022年の調査によるとマッチングアプリを利用して結婚した人の割合は15.1%らしい。
「出会い系」などと呼ばれていた私たちの学生時代とは違い、アプリを利用して出会い、恋愛関係を築くというのは比較的一般的であり、浸透しているようだ。学生が利用している場合も少なくない。コロナによりリモートでの業務や授業が増え、外出の機会が減ったことも要因の一つだろう。

私も昨年末にマッチングアプリを通して一人の女性に出会った。
彼女は一言で言えば「変わっている」女性だった。

初めての対面はカフェを選んだ。会ったのは昼だったがそのカフェはディナーの時間帯にはワニやカンガルーといったユニークな料理を提供するカフェだった。それは奇を衒ったものではなく、オーストラリアをモチーフにしたカフェであるが故であり、店内の雰囲気も海外を彷彿とさせる小洒落たものだった。
カフェに向かう道すがら、私はそのことを彼女に話した。すると彼女は「人間の部位で食べられるのってどこか知ってますか?」と聞いてきた。
初対面の人間との最初の会話でカニバリズムの話題が挙がったのは私の人生において初めての経験だった。

彼女は熱心な読書家だった。カニバリズムの話が出たのも最近そういう内容の書籍を手に取ったからだと話していた。最近は何か面白い本はあったかと尋ねると、今読んでいるのは何かの専門分野の用語集のようなものだと彼女は言った。私には何が面白くてそんな辞書のような本を読むのかわからず、理由を尋ねた。彼女はこんなにも分厚くて重量のあるハードカバーの本であったら、その気になれば人を殴り倒せるのではないかと思ったからだと話した。

断っておくが彼女の話題がことごとくバイオレンスなのは、彼女が殺人衝動を抱いているからでは決してない。

彼女が本を手に取る動機は必ずしもその本が彼女の知的好奇心を満たす可能性を秘めているからではない。それがどのような形であれ彼女の関心を引いたのなら彼女はその本を手に取るのだ。

彼女が一般とは違う価値観の持ち主であることを物語るエピソードは挙げ始めれば枚挙にいとまがないが、初対面で私に与えたインパクトの大きさが充分すぎるものだったことはお分かり頂けたことと思う。

彼女と私の嗜好は非常に近くて遠いところにあった。
私も彼女も本を読むのが好きだった。しかし私がもっぱら小説を好むのに対し、彼女は小説だけは読まなかった。彼女が好むのは知識の集積としての本であった。
私も彼女も映画が好きだった。しかし私がもっぱらわかりやすいハッピーエンドを好むのに対し、彼女はむしろ観終えた後に若干の不満が残るような結末を好んだ。彼女曰く、その方が現実に即しているのだそうだ。たしかに我々の人生は映画のように劇的でドラマチックな大団円ばかりではない。
私も彼女もお酒を嗜んだ。彼女はいも焼酎を好んだ。私はお酒のたぐいはビールもワインもウイスキーも日本酒も飲むが、いも焼酎だけは苦手としていた。彼女がいも焼酎を好む理由として挙げていたその香りが私が苦手とする理由だった。

同じものを愛しているが、その枝葉は違うものを見ていた。その事実は私を落胆させることなく、むしろ彼女への関心を掻き立てた。

4回目のデートの後に私は彼女に私の恋人になって欲しいと告げた。
彼女は今すぐに回答しなければならないかと聞いた。私はいつでもいいと答えた。彼女は独り言のように小さく何かを呟いたが、私には「どういうふうに『いいよ』って答えるかちゃんと考えたいから」と聞こえた。

公園でしばらく話した後、彼女を駅まで送った。一緒に歩いている間、彼女はその手を私のコートのポケットに入れながら隣を歩いた。

彼女を見送った後に、私は年の瀬でありながら言うのを忘れていたと思い、LINEで「よいお年を」と送った。彼女は「まるで今年はもう連絡できないみたいじゃない」と私を咎めた。私はそれは貴女の回答次第ではないかと思いながらも確かにそうだね、と返した。

ふと、私に貸したい本があるから持ってきている、と彼女が話していたことを思い出した。彼女にそのことを伝えるとすっかり忘れていたらしい。予期せぬ愛の告白が彼女を動揺させたのだろう。私は「次会う機会だね」とメッセージを送った。彼女は「次会う口実なんてなくても会ってくれるんでしょう?」と返してきた。私は「それは私の告白に対する貴女の回答次第ではないか」とまたしても思った。

年が明けた。私は彼女に近々会えないかとメッセージを送った。週末に食事に行く約束はすぐに結ばれた。お互いに会うのを楽しみにしているという旨のメッセージを送りあってその日のやり取りは終えた。

だが、当日彼女が姿を見せることはなかった。

店は彼女が行ってみたいと言っていた居酒屋を予約していた。
彼女が以前こういう髪型にしてみて欲しい、と言っていた髪型にし、熊本のお土産に焼酎蔵が製造している梅酒を買って来ていた。彼女が前回本を貸してくれると言っていたので、私も最近読んだ興味深い心理学の本を貸そうと鞄に入れていた。
約束の時間になっても彼女が来ないことに私はまだ大きな危機感を抱いていなかった。日中は予定がある、というような事を聞いていたので用事が長引いているのだろうと思った。店に先に入っていることをメッセージで伝え、しばらく彼女を待った。
既読も付かぬままに30分が経った。週末の忙しい時間に2人分の席を使用したまま何のオーダーもしないことに居心地の悪さを覚えた私は日本酒と鯖の明太子漬けを頼んだ。エリンギのバター焼きを頼もうと思ったがエリンギは彼女の好物だったので彼女が来てから頼もうと考えていた。

1時間が経っても彼女からの連絡はなかった。彼女の身を心配するメッセージも送ったがやはり既読が付くことはなかった。鯖も日本酒もとうに食べ終えていた私はこの店で彼女と共に食事をすることを諦め、日本酒のお代わりと牡蠣フライ定食を頼んだ。この店の人気商品であったし、牡蠣は私の好物だったが、その味は覚えていない。

黙々と食べながら彼女からの返信を待ったが何の連絡もないままに時間だけが経ち、店員がラストオーダーを聞きに来た。

私はもう一軒寄って、もうしばらく彼女を待つことにした。彼女と初めて会ったカフェは夜もBARとしてお酒を提供していたので、そこで瓶ビールを頼んだ。2本目のビールが空になっても、やはり彼女からの連絡はなかった。


何の音沙汰もなく翌日を迎えた時、私はふと、彼女が私をブロックしているのではないかという考えが浮かんだ。
相手が自分をブロックしているかどうか知る方法をネットで検索すると、相手が100%持っていないであろうLINEスタンプをプレゼントしようとし、「〇〇はこのスタンプを持っているためプレゼントできません」というエラーメッセージが表示されたらほぼ間違いなくブロックされている、とのことだった。

私はまず間違いなく彼女が持っていないであろう確信のあるスタンプを選び、彼女にプレゼントしようと試みた。

「〇〇はこのスタンプを持っているためプレゼントできません」と短い一文が画面に表示された時、私は自分の体温が冷えていくような感覚を覚えた。

彼女は私の容姿を良く褒めてくれていた。彼女が少し変わっていることは既に述べたことだが、その一つとして普通であれば直接言う事を躊躇われるようなことを彼女は臆面もなく言ってのけた。

「見た目もかっこよくて、話すと気さくで、笑うとチャーミング」「会う度にかっこいい顔をしている」「クールな見た目が良い」

今、自分で書いていて恥ずかしくなるような言葉を彼女は時に文面で、時に私の目を見ながら伝えてくれた。

彼女は少し風変わりな所があり、毎回私の想像を超えるような一面を見せてきた。だからこそ、例え彼女がどれほど私の容姿を気に入っていたとしても、それでも振られる可能性はある、と私は覚悟していた。それほどに予測不能な女性だった。
そして彼女はやはり、そんな私の想像も覚悟も飛び越えて予想だにしない結末を描いたのだった。

彼女は突然に音信不通になった。何の予兆もないままに。

私は自分の恋愛がことごとく上手く行かないという現実に直面する度に、錆びた鉛の塊を飲み込んだような気分になるのだ。今回の件だけのことを言っているのではない。私は彼女が私をブロックしているという事実を知った時に「またか」と思った。誰かにLINEをブロックされた経験などない。また今回も私の恋愛は失敗したのだ、という落胆だ。いつもこうだ。私の人生において恋愛が上手く行った試しなど一度たりともない。

断っておくが、私は誰かを好きになって傷ついたことはあっても、誰かを好きになって後悔したことはただの一度もない。

だが、いつも私の恋心は打ち砕かれる。ただの一度だって私の恋愛が上手くいった試しはない。私が好きな人が私を好きな確率は限りなく低く、ようやく実ったと思えた恋はあっけなく散った。

周りを見渡せば、世の中の人たちが当然のように恋人を作っているという現実が、私をどうしようもないほど陰鬱な気分にさせる。出会い、付き合い、別れ、また別の誰かと付き合っている。
同級生の多くは結婚し、家庭を築いている。それが当たり前かのように。
青春時代を振り返れば誰しもが持っているような甘酸っぱい想い出を、私は持たない。
この事実を直視する時、重く、暗い、ベールのような形をした「絶望」が私の身体をべったりと覆い包み、飲み込んだ鉛の塊が胸につかえて呼吸がしづらくなるような、そんな気分になるのだ。この世界と、これまでの私の人生を呪いたくなるのだ。

なぜ、私だけがそうはなれないのだろう。なぜ、私ばかりがこんなにも報われないのだろう。普通の人間が普通に生きていれば享受できるようなささやかな幸せは、私には過ぎた願いなのだろうか。思いたくなくともそう思わずにはいられないほどの絶望が私の頭を渦巻くのだ。時に私の目には、私以外の全ての人間が幸福の最中にいるように映るのだ。

もちろん、恋を成就させた彼らにも試練があり、乗り越えて来た絶望があるだろう。それくらい私にも分かっている。私の彼らに対する羨望は卑屈な私のエゴに過ぎない。

だが卑屈で醜悪な私は「なぜ、私だけ」を振り切れない。振り切れないのだ。

彼女から連絡が来ることはもうないだろう。彼女に何があったのか、その心変わりの原因を知る機会は二度と訪れないだろう。
そんなことを頭ではわかっていても、きっと明日も「もしかしたら寝ている間に彼女から連絡が来ているかもしれない」と、私は眼を覚ますと枕元の携帯電話に手を伸ばすことだろう。それが叶わぬ期待であることを知っていながら。

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