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論語と算盤⑥人格と修養: 6.平生の心掛けが大切

総じて世の中のことは、心のままにならぬが多い。独り形の上に表われている事物ばかりでなく、心に属することも間々(まま)そういうことがある。例えば、一度こうと心の中に堅く決心したことでも、何かふとしたことからにわかに変ずる。人から勧められて、遂にその気になるといったような事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起こることで、かくごときは意志の弱いのであるといわねばなるまい。自ら決心して動かぬと覚悟していながら、人の言葉によりて変ずるがごときは、もとより意志の鍛錬のできているものではない。とかく平生の心掛けが大切である。平素その意中に「こうせよ」とか「こうせねばならぬ」とか、事物に対する心掛けが的確に決まっているならば、如何に他人が巧妙に言葉を操っても、うかとそれに乗せられるようなことはない訳だ。ゆえに何人も問題の起こらぬ時において、その心掛けを練っておき、しかして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。
しかるに、とかく人心には変態を生じ勝ちのもので、常時は「かくあるべし」「かくすべし」と堅く決心していた者も、急転して知らず知らずに自ら自己の本心を誘惑し、平素の心 と全く別処に、これを誘うような結果を齎(もたら)すが如きは、常時における精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである。かくのごときは、随分修養も積み鍛錬を経た者でも、惑わされることのないとは言われぬものだから、況(いわ)んや社会的経験の少ない青年時代などには、いやが上に注意を怠ってはならぬ。もし平生自己の主義主張としていたことが、事に当たって変化せねばならぬようなことがあるならば、宜しく再三再四熟慮するが宜い。事を急激に決せず、慎重の態度をもって、よく思い深く考えるならば、自ずから心眼の開くものもありて、遂に自己本心の住家(すみか)に立ち帰ることができる。この自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬にとって、最も大敵であることを忘れてはならぬ。
以上は、自己が意志の鍛錬に関する理論でもあり、またしかく感じた所であるが、序(つい)でをもって、余が実験談をここに付加しておきたい。余は明治六年、思う所ありて官を辞して以来、商工業というものが自己の天職である。もし、いかようの変転が起こって来ても、政治界には断じて再び携わらぬと決心した。元来政治と実業とは、互いに交渉錯綜(さくそう)せるものであるから、達識非凡の人であったら、この二途に立ってその中間を巧妙に歩めば、 頗(すこぶ)る面白いのであるが、余のごとき凡人が左様の仕方に出るときは、あるいはその歩も誤って失敗に終わることがないとも限らない。ゆえに余は初めから、自己の力量の及ばぬ所として政治界を断念し、専ら実業界に身を投じようと覚悟した訳であった。しかして当時、余がこの決心を断行するに方っても、自己の考案に待つ所の多かったことはもちろんのことで、時には知己朋友よりの助言勧告もある程度まではこれを斥(しりぞ)け、断々乎(だんだんこ)として一意実業界に向かって猛進を企てた。しかるに最初の決心がそれほど雄々(おお)しいものであったにもかかわらず、さて実地に進行してみると、なかなか思惑通りには行かないもので、爾来(じらい)四十余年間、しばしば初一念(しょいちねん)を動かされようとしては危うく踏み止まり、漸くにして今日あるを得た訳である。今から回顧すれば最初の決心当時に想像したよりも、この間の苦心と変化とは遥かに多かったと思われる。
もし余の意志が薄弱であって、それら幾多の変化や誘惑に遭遇した場合に、うかうかと一歩を踏み誤ったならば、今日あるいは、取り返しのつかぬ結果に到着していたかもしれぬ。例えば、過去四十年間に起こった小変動の中、その東すべきを西するようなことがあったならば、事件の大小は別として、初一念はここに挫折することになる。仮に一つでも挫折されて、方向が錯綜することになれば、最早自己の決心は傷つけられたことになるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構うものかという気になるのが人情だから、止め度がなくなってしまう。かの大堤も蟻の穴より崩るるの喩(たと)えのごとく、そうなっては右に行くものも、中途から引き返して左へ行くようなことになり、遂には一生を破壊(こわ)してしまわねばならぬ。しかるに予は、幸いにも左様な場合に処する毎に熟慮考察し、危うく心が動きかけたことがあっても、中途から取り返して本心に立ち戻ったので、四十余年間まず無事に過ごして来ることを得た。これによってこれを観るに、意志の鍛錬のむずかしきことは、今さら驚嘆の外はないが、しかしそれらの経験から修得した教訓の価値も、また決して少ないものではないと思う。しかして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでも、これを閑却するは宜しくない。自己の意志に反することなら、事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいかない。最初は些細のことと侮ってやったことが、遂にはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えて行(や)らねばならぬ。

本節では、日常生活での意志の強さが重要であることを強調しています。しばしば固く決心したことでも、他人の言葉や状況の変化により心が変わることがあり、これは意志の弱さの表れです。渋沢先生は、事物に対する明確な心掛けを持つことで、他人の影響に惑わされにくくなると述べています。自己の原則や信念を持ち、これに忠実であることが、変わりやすい人間の心を鍛える鍵だと強調しています。また、先生自身の経験を例に、政治から実業への転向時の決心の重要性を語り、意志の強さを維持することの難しさとその価値を説いています。

人間ぶれないためには、一貫した意志を持つことが重要であり、そのための日々の自己修養が必要ということです。私も日々の日課として出勤前は早朝自宅のトイレ掃除と風呂掃除を欠かさず行っていますが、この日課はいまの仕事にも生かされていると実感しており、続けていこうと思います。

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