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論語と算盤③常識と習慣: 4.習慣の感染性と伝播力

由来習慣とは、人の平生における所作が重なりて、一つの固有性となるものであるから、それが自ずから心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は、善人となると言ったように、遂にはその人の人格にも関係して来るものである。ゆえに何人も平素心して良習慣を養うことは、人として世に処する上に大切なことであろう。
また習慣は、ただ一人の身体にのみ付随しているものでなく、他人に感染するもので、ややもすれば人は他人の習慣を模倣したがる。この他に広まらんとする力は、単に善事の習慣ばかりでなく、悪事の習慣も同様であるから、大いに警戒を要する次第である。言語動作のごときは、甲の習慣が乙に伝わり、乙の習慣が丙に伝わるような例は、決して珍しくない。著しい例証を挙ぐれば、近来新聞紙上に折々新文字が見える。一日甲の新聞にその文字が登載されたかと思うと、それがたちまち乙丙丁の新聞に伝載され、遂には社会一般の言語として、誰しも怪しまぬことになる。かの「ハイカラ」とか「成金」とかいう言葉は、すなわちその一例である。婦女子の言葉などもやはり左様で、近頃の女学生が頻りに「よくッてよ」とか「そうだわ」とかいう類の言語を用いるのも、ある種の習慣が伝播したものといって差し支えない。また昔日は無かった「実業」という文字のごときも、今日は最早習慣となり、実業といえばただちに、商工業のことを思わせるようになって来た。かの「壮士」という文字なども、字面から見れば壮年の人でなければならぬ筈であるのに、今日では老人を指しても壮士といい、誰一人それを怪しむものなきに至っている。もって習慣が、いかに感染性と伝播力とを持っているかを察知するに足るであろう。しかして、この事実より推測する時は、一人の習慣は終に天下の習慣となりかねまじき勢いであるから、習慣に対しては深い注意を払うとともに、また自重して貰わねばならぬのである。
ことに習慣は、少年時代が大切であろうと思う。記憶の方からいっても、少年時代の若い頭脳に記憶したことは、老後に至っても多く頭脳の中に明確に存して居る。余のごときも、いかなる時のことをよく記憶しているかといえば、やはり少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年の時に読んだことを最もよく覚えている。昨今いくら読んでも、その方は読む先から皆忘れてしまう。そういう訳であるから、習慣も少年時代が最も大切で、一度習慣となったなら、それは固有性となって終生変わることはないのみならず、幼少の頃から青年期を通じては、非常に習慣のつきやすい時である。それゆえに、この時期を外さず良習慣をつけ、それをして個性とするようにしたいものである。余は青年時代に家出して天下を流浪し、比較的放縦な生活をしたことが習慣となって、後年まで悪習慣が直らなくて困ったが、日々悪い習慣を直したいとの一念から、大部分はこれを矯正することができたつもりである。悪いと知りつつ改められぬのは、つまり克己心(こっきしん、欲望や邪念を制し目標に向かって邁進する強い気持ち)の足らぬのである。余の経験によれば、習慣は老人になっても、やはり重んぜねばならぬと考える。それは青年時代の悪習慣も、老後の今日に至って努力すれば、改められるものであるから、今日のごとく日に新たなる世に処しては、なおさらこの心をもって自重して行かねばならぬのである。
とかく習慣は、不用意の間に出来上がるものであるから、大事に際しては、それを改めることができるのである。例えば、朝寝をする習慣の人が、常時はどうしても早起きができないけれども、戦争とか火事とかいう場合に当たりては、いかに寝坊でも、必ず早起きができるということから観ても、そう思われるのである。しからば何ゆえにそうなるかというに、習慣は些細のことであるとして軽蔑しやすいもので、日常それが、わがままに伴っているからである。されば男女となく老若となく、心を留めて良習慣を養うようにしなければならぬのである。

本節では、個人的にも社会的にも習慣は大事だと書いてありますが、正しい目標をもってそれに邁進し続けることは特に若いうちは重要ですよってことですね。克己心をもってことにあたれば自ずと良い方向に習慣がついてくるともいえます。

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今日はコロナも落ち着いてきたかなと思い、数ヶ月ぶりに新幹線に乗りましたが、秋晴れの中綺麗な富士山を拝むことができました。

そろそろ元のルーチンに戻して克己心を持って進んでいきたいと思います。

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