儒者は今も昔も「富貴功名(財産や功名)」のことをとにかく卑しくて悪いものと解釈するが、本来論語における孔子の発言を正しく読めば、「道理を有た富貴でなければ、むしろ貧賤の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならば、あえて差し支えない」「正当の道を踏んで得らるるならば、執鞭の士となっても宜いから富を積め、しかしながら不正当の手段を取るくらいなら、むしろ貧賤におれ」と言っておる。
おそらく古く国家権力の犬となった学者としての儒者は、儒教を使って国民を支配しやすくするため、とにかく国民は「富貴功名」に勤しむことなく、お国のため税金をたくさん支払って、お国のために積極的に働いて徳をつみなさい、と論語を解釈したのであろうが、孔夫子も渋澤先生も人間の心理というものをよくご存知で、どのようなルールをもって人々の欲望を自由にしておくと無理なく全体がうまくいき、国が栄えるかをよくわかっていらっしゃる、というものです。
今の日本の官僚たちも、この苦しい社会情勢のなか増税を行い、意味不明な行動制限を強要し、過去の反省もないまま意味のない政策にだけ金を注ぎこもうとする。
正しい国の繁栄のために必要なのは、進化心理学や幸福論に基づいた正しい施策であって、技術の進展や社会の変化にあわせた規制改革や減税を通した民間への自由の解放こそが必要なのだと思います。